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ミニスカートとツイッギー [ファッション]

twiggy.jpg ミニスカートとは、言わずと知れた膝上丈のスカート。1967年にイギリスの人気モデル、ツイッギーが来日して大流行させたのは超有名なお話だけど、人並み以上にスケベ心満々だったぼんくらオヤジが何故か当時のミニスカートを思い出せない。性懲りもなくスカートめくりをしちゃバケツを持って廊下に立ってた少年が、膝上丈のスカートについて記憶がないなんて、こりゃ変だよ。宇宙人にアブダクトされて記憶を消されたんじゃなかろうか。
ミニスカート1.jpg てなわけで当時の様子を調べてみたら、分かりました! →の写真はツイッギー・ルック(当時はこう呼んでいた)で街を歩く女の子たち。ん? これがミニスカートぉ!? そーなんです、昭和40年代のミニスカートはこんな程度だったんですっ。これじゃ坊やのスケベ心にすら火はつかないよ。どーりでぼんくら少年の記憶から吹っ飛んでたわけだ。ぼんくらオバンの解説によると、膝上丈30センチ以上という定義からいえば、写真の少女たちは間違いなくミニスカートなのだと。そうみえないのは、オバンも含めて当時の女の子が短足だったから必然的に露出度が低いのだと(笑)。面白がって「実演」してみせてくれたオバンの様子からすると、たしかにそーいえなくもない。とにかく、一時期みかけた制服姿の女子高生のほうがよほど過激なんであって、どうしてあんなもんがセンセーショナルだったのか理解に苦しむほどオジョーなファッションだったのだ。
twiggylawson2006.jpg これで時のファーストレディ、佐藤寛子夫人が62才でミニスカートを愛用していたというエピソードも納得できる。思い出したけど、サザエさんも持ってたスカートを切ってミニスカートにしてたな(笑)。
 第一波のブームは74年頃に終わったが、その後も思い出したようにミニスカートはファッション界に姿を現す。最近では2005年がブームだった由。ところで10月18日が『ミニスカートの日』だって知ってた? 何でだろうと思って一生懸命語呂合わせを考えたんだけど分からない。調べたら、ツイッギーが初来日した日だとっ(怒)。
 最後にツイッギーのことだけど、成熟した女性になって体型がツイッギー(小枝)じゃなくなっちゃってからは映画や歌手の世界に転身し、今年で60才を迎える現在でもロンドンとニューヨークを拠点に多彩な活動を続けている。相変わらす美人だよねぇ(^^)





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団地の生活は憧れの的だった [社会現象]

団地1.jpg 先日、ぼんくらオバンがお向かいのTSUTAYAからジブリのアニメ『耳をすませば』を借りてきた。ぼんくらオヤジの感性は枯れ萎んでいるようで、映画そのものは「なんだかなぁ~」って感じだったんだけど、ひとつだけ強く印象に残ったものがあった。それは『団地』の光景だ。
 当然、近藤監督も意識してるんだろうけど、ある時期の昭和の団地が丹念に描かれていたのだ。外観や内部の様子はもちろん、住民の人間関係も含めてね。
団地2.jpg 公団住宅、いわゆる団地は、1950年代の半ば頃から建設が始まる。当時の一般的な間取りは、和室2間にダイニングキッチンの2DK。水洗トイレと風呂場、ベランダが標準装備されていて、ダイニングキッチンにはちゃぶ台に替わってイスとテーブルの5点セット。今の人たちには信じられないだろうけど、当時は憧れの的だったんだよね。狭さの故に、必然的にジジババ抜きの核家族という新しい家族形態をもたらしたことも憧れに拍車をかけ、『団地族』なんて呼び名も生まれたりした。
 閉鎖的な間取りと核家族化でご近所付き合いも希薄になり、戦後型都市生活のひな形が誕生する。姑から解放され、家電製品の普及で家事にも時間をかけずに済むようになった主婦が『団地妻』(誰だ、スケベぇな想像をしてるのは^^;)なんて揶揄されたのは、批判っていうより羨しかったからだろう。
団地3.jpg 古い一戸建ての家に住んでいたぼんくら少年が羨ましかったのは、団地に住む子供たちの結束力だった。閉鎖的というわけじゃないんだけど、団地内に公園という共通の遊び場があって、生活圏が一緒だという感覚は、当たり前のように仲間意識を育んだのだ。兄弟でもないのに年齢性別を超えた子同士で遊んだり、お互いの住居を自由に行き来する様は、それだけで自由な雰囲気を感じさせるものだったし、盆踊りやクリスマス会など、自治会主催の行事が、気心の知れた者同士の箱庭的な環境で行われるってのも何か羨ましかった。もっとも団地に住む友達の中には、こうしたしがらみが嫌いな子がいたことも確かだけど(笑)。
 当時、子供たちが溢れかえって活気に満ちていた団地は、少子化と施設の老朽化、そして住民の高齢化という当初からの懸念が現実のものとなる中で、存続の危機に立たされている。仕方のないことだけど、ボクらが子供時代を過ごした世界は、確実に失われようとしているのだ。


■ひばりヶ丘団地 1959(埋め込み不可なので下のリンクをクリックしてね)■
http://www.youtube.com/watch?v=zCZn1MVLQYg



■ひばりヶ丘団地 2008■



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エコで不気味な『ハエ取り紙』 [雑貨]

ハエ取り紙1.jpg 天井や鴨居からぶら下がったアメ色のテープに、ハエや蛾がベタベタとくっついている光景を覚えているのは、昭和生まれでもどのぐらいの世代までなんだろうか?
 昭和34年生まれのぼんくらオヤジは、覚えているどころか、いろいろな思い出がある。単2電池ぐらいの円筒の上部に紙製の輪っかと画ビョウがロウで固定されていて、輪っかの部分を引っ張ると、アメ色の粘着テープが螺旋状に引っぱり出される仕組みだ。これが面白くて、ぼんくらオヤジはよせばいいのにハエ取りテープの交換を買って出るのだった。
 なんで「よせばいいのに」かというと、粘着テープが自分の背丈ほどの長さで、どんなに慎重に扱ったつもりでも、体や周りの家具なんかにベッタリと張り付いちゃうのだ。ちょっとでもどこかにくっつこうものなら、それを剥がそうとすればするほど他のものに張り付いてしまう。新品ならまだしも、使用済みのテープでこれが発生すると目も当てられない。虫の死骸がテープごと体にまとわりついてくるんだよ。ぼんくらオヤジは蛾が死ぬほど嫌いなので、それはそれは悲惨な思いを何度となく味わった。なら、交換なんかやらなきゃいいのに、バカだよね(^^; でもね、リスク覚悟でチャレンジしたくなるほどの快感があったんです。ニチャニチャ~って引き出す時の感触がね、ひひひ。
 このハエ取り紙は危険な薬剤が使われていないので、食品を扱う現場なんかでは相変わらず需要があって、今でも生産されている。形状もテープだけじゃなく、シートやスティックも販売されているようだ。ホームセンターで取り扱っているところもあるので、エコ重視の人はどうぞ!


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『ロッテ歌のアルバム』のお話 [テレビ]

ロッテ歌のアルバム.jpg ぼんくらオヤジは、どうしてか歌謡曲にまったく関心がなかった。それどころか歌番組が始まると絶望的な気分でテレビのスイッチを切っていた。何故かというと、ぼんくらオヤジが住んでいたド田舎では、万博の年までNHK総合と教育、それに民放が1局しかなかったからだ。
 日曜の正午からの30分間に何を観ていたのかがどうしても思い出せないんだけど、12時半になると、
「一週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供、『ロッテ歌のアルバム』ぅ ズンチャカ♪ズンチャカ♪」
 っていう 玉置宏の何とも言いようのない独特な口調で番組が始まっちゃうんだよなぁ。
「げぇえ~、なんでだよぉ」
 なんて文句を言いながらチャンネルを回しても(←久しぶりに使った^^;)無駄なのさっ。だってNHKは『のど自慢』だし、教育は…言うまでもないし、他にチャンネルはないし(泣)。玉置がオケの前奏に乗せて歌手やら曲やらを紹介している誰も観てないテレビ。その前でビータラびぃたらと文句をたれる息子に
「観るものがないなら外で遊んできなさいっ!」
 と、ぼんくら母は雷を落とすのだった。
 早いとこ打ち切られてお笑い番組になって欲しいというぼんくら少年の願いも空しく、番組は1965年には年間平均視聴率18.3%を記録。1958年から79年までの21年間に延べ1,110回の放送回数を記録する国民的長寿番組と相成った。出演した歌手は多すぎて書ききれないけど、ガーナミルク・チョコレート発売40周年記念の限定商品についていたおマケCD『ロッテ歌のアルバムガーナミルク』には次の10曲が収録されている。

「バスストップ」/平浩二
「雨のバラード」/湯原昌幸
「京都の恋」/渚ゆう子
「二人の銀座」/和泉雅子・山内賢
「世界は二人のために」/佐良直美
「雨の中の二人」/橋幸夫
「ラストダンスは私に」/越路吹雪
「小指の思い出」/伊東ゆかり
「恋の季節」/ピンキーとキラーズ
「白いブランコ」/ビリー・バンバン

※以上の曲が1枚につき1曲ずつ入っていた。ホントはもう1曲あるんだけど「シークレット版」ってことで詳細不明。

 21年間を代表するには大雑把すぎる選曲だけど、それでも当時を生きた日本人には馴染みの曲ばかりだ。
 だが、こんなマンモス番組も、万博を境に長期低落に転じる。長髪の歌手は出演お断りということで、グループ・サウンズやフォーク&ロック系のミュージシャンはほとんどが出入り禁止。バラエティ色を一切認めず、純粋な歌謡ショー形式にこだわったことも視聴者離れを加速する原因になってしまった。
 末期にはずうとるびやフォーリーブスをレギュラーにしたり、玉置を降板させて小島一慶を抜擢するなどのテコ入れを行ったが、時既に遅く。その後、85年に復活したものの、往年の視聴率を稼ぐことはできず、87年の9月をもって完全に消滅した。
 おかしいな。少年時代は大嫌いだった番組なのに、こうして調べていたら急に愛おしく思えてきた。長髪やお笑いに対する偏見だって、今となっては武骨な心意気に好感すら感じてしまう。歌は世につれ世は歌につれ。歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される(大辞林)。その歌を扱いながら変化を拒み、消えていった『ロッテ歌のアルバム』。この愚かしさこそ、今のボクらが失ってしまったものなのかもしれない。





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イラストといったら即、亜土だった時代 [雑貨]

水森亜土.jpg 水森亜土。昭和40~50年代にファンシー・グッズ(←もうこんな言い方しないか、あはは)といったら、それは水森亜土かサンリオの商品のことだよね。呆れるほど多様性のない時代だったなぁ(笑)。だからこそボクらは共有できるものがあって、初対面であってもすぐに連帯することができるんだから、なにが幸いするかなんてホントに分からないよね。平成生まれ同士が30年後、40年後に、ボクらと同じ調子で子供時代の記憶を楽しめるかっていうと、趣味嗜好がバラバラな分、ムズカしいんじゃない? 
 亜土ちゃん(でなきゃアドたん)は、イラストレーターだけじゃなく、歌手、女優、声優、作家などなど、裾野の広い活動でも有名だけど、ぼんくらオヤジが感じ入っていたのは、子供向けの『ピンポンパン』から『11PM』みたいなアダルト番組までを、キャラ設定を変えずに、まんまで通せちゃうということの不思議だった。今だって歌のお姉さんがグラドルになることはよくあることだけど、歌のお姉さんのまんま脱ぐことはないでしょう(笑)。亜土ちゃんは脱いだりはしなかったけど、あの天真爛漫なキャラのまんまでオトナの話題に突っ込んでいっちゃうんだもん(笑笑笑)。
 当時に比べると露出度は限りなく減っちゃったけど、70才を目前に控えた現在でも、亜土ちゃんは舞台やスタジオで地に足のついた活動を続けている。頑張れ、アドたん♪








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ゾウが乗っても壊れない『アーム筆入れ』 [文具]

アーム筆入れ.jpg「ゾウが踏んでもこわれない!」
 1965年に発売を開始した『アーム筆入れ』の名コピーだ。耐衝撃性と耐熱性に優れたポリカーボネート樹脂を使い、ホントに1.5トンの荷重に耐えられる筆入れを開発しちゃったのだから凄い。
「なんでそんな頑丈さが筆入れに必要なの?」
 なんでだろうね(笑)。たしかに子供は扱いが乱暴だし、当時既に出回っていたプラスチック製の筆入れはチャチなものが多くて、ちょっとしたことでヒビが入っちゃったり、側面が割れて欠けちゃったりしたから、象が踏んでも壊れないプラスチック製品の登場には、子供ばかりか大人も大いに注目したんだと思う。新幹線の開業、カラーテレビ、そして大阪万博と、昭和40年代は子供も大人も新しいテクノロジーに酔いしれた時代でもある。アーム筆入れは、テレビCMと新素材という時代の流れをつかんだ必然的なヒット商品だったといえるのだ。
 でも、ぼんくらオヤジは、お調子者の友達がよせばいいのにこの筆入れに乗って、ものの見事に粉砕した光景を今でも鮮明に覚えてるんだな(^^; あれって、たまたま壊れちゃっただけなのかな。子象とはいえ、CMではちゃんと筆入れを踏みつけているとのこと。まあ、普通に使ってるぶんには十分な耐久性があったのは確かだと思うけど(笑)。
 だからなんだろうね。アーム筆入れは異例の長寿商品となり、現在でも『NEWアーム筆入れ』として販売されている。製造元のサンスター文具株式会社は、歯磨きなんかののサンスター・グループとは無関係なので念のため。





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替え歌はボクらの自己主張だった [遊び]

とにかく子供時代のボクらは替え歌を量産したよね。きっかけがたとえ「森トンカツ♪」であったとしても、その後は自分たちで考え出し、アレンジし、口コミで流行らせた。他愛のない、馬鹿げた、下品極まりない、時には残酷ですらある替え歌は、ボクらが知らずして連帯していたことの証であり、文化の担い手でもあったことを示す金字塔なのだ。

■仮面ライダーV3(以下すべて覚えてる部分だけ^^;)■

赤い赤い赤いふんどしV3
ダブルタイフーン、おもちゃのベルト
力と技と団結の
父よ母よ妹よ
はやく来てくれ死んじまう


■瀬戸の花嫁■

瀬戸ワンタン
日暮れ天丼
夕波小波
あなたの島エビフライ
お嫁に行く海苔巻き
若いトンカツ
誰もがんもどき
心配するけれど
愛があるかラッキョウ
大丈夫なのりたま


■ガッチャマン■

地球はひとつ
割ったらふたつ
おお、ガッチャマン、ガッチャマン


■サザエさん■

お日様くわえたドラ猫、焼け死んで
お墓を作った、陽気なサザエさん
みんなが泣いてる、お日様は笑ってる
ルールルルルルー 今日も墓参り

買い物しようと街まで 出かけたら
財布を忘れて スーパーで万引き
みんなが笑ってる おまわりさん怒ってる
ルールルルルルー 今日はろうや行き

タンスに激突タラちゃん 鼻血ブー
タンスが倒れて タラちゃん下敷き
みんなが笑ってる タラちゃんもがいてる
ルールルルルルー 明日はお葬式


■バビル2世■

砂の嵐に囲まれた
バビルの塔に住んでいる
超能力少年
バビル2世
地球の平和を守るため
三つの僕(しもべ)に命令だ、ヤァ
怪鳥ロプロス羽がない
ポセイドンは故障中
ロデム骨折動けない


■ABC(アルファベット)の歌■

ABCの海岸で
カニにチンチン挟まれた
イテイテ離せ
離すもんかソーセージ
赤チン塗っても治らない
青チン塗ったら毛が生えた


堕ちるとこまで落ちたので、今回はこの辺で♪





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半ズボンはどこへいった? [ファッション]

半ズボン1.jpg 先日、ぼんくらオバンと話をしていて気付いたんだけど、ボクらが子供の時分に穿かされていた半ズボンって、いつの間に無くなっちゃったんだろう?
 自分の息子たちはもちろん、授業参観なんかで小学校に行ってみると半ズボンは皆無。男の子は長ズボンかハーパンだ。体育気だってハーパンなんだから徹してるよなぁ。
 ぼんくらオヤジは雪が降ればカンタンに60センチは積もるような雪国に住んでいたことがあるんだけど、真冬でも半ズボンで通す豪傑が何人もいた。根性無しのぼんくら少年は、言うまでもなくタイツ&長ズボンだったけど(笑)。寒気にさらされてか、太腿の血管が紫色の編み目模様に透けて見えて痛々しいぐらいだったことを今でも覚えている。当時の大人たちには薄着に対して信仰と呼んでもいいほどの思い込みがあって、特に子供たちが冬場に暖かい格好でいることを嫌っていたのは確かだと思う。寒がりのぼんくら少年がタイツやズボン下を穿こうもんなら、母親は、
半ズボン2.jpg「そんなに着込むと弱い体になっちゃうよじゃないの~。風邪もひいてないのに情けないっ」
 なんて調子で怒ったもんだ。何の根拠があってのことだったんだろう? たしかに今でも真冬に裸ん坊で過ごす幼稚園があるけど、現在では、多少の益があったとしてもリスクのほうが高いというのが一般的な見解だ。人種や性別、年齢、体型等々、遺伝的な個体差によって寒さに対する耐性は決まるようで、生活習慣でコントロールできる代物ではないみたい。たぶん、戦中、戦後の耐乏生活を引きずった「常識」だったんだろうけど、極端な薄着や軽装を強いられた子供たちにとっては、ありゃ拷問だったなぁ(笑)。
 話が逸れちゃったけど、調べたところでは、男の子の半ズボンがハーパンにシフトしたのは1990年代の初めだったようだ。諸説があるようだけど、最も信憑性の高い理由は、下着の主流ががブリーフからトランクスに移ったために、丈の短い半ズボンでは都合が悪かったというものだ。そういやぼんくら一家でブリーフを穿いてる男子は一人もいないな。
 理由は何であれ、はっきりしているのは、昭和とともに半ズボンが終焉を迎えたということだ。そして地上から姿を消した昭和の少年たちは、今でもボクらの記憶の中で、真冬の校庭を半ズボン姿で駆け回っている。


■昭和50年代の小学生(臨海学校)■



■昭和30~40年頃の少年たち(ドラマによる再現)■



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アイデアルと植木等 [ファッション]

ideal_cm.jpg「なんである、アイデアル」
 元祖テキトー男の植木等が流行らせた60年代を代表するコマーシャルだ。何でかなぁ、小さい時から頭に刷り込まれたキャッチだったのに、アイデアルが傘を作ってる会社だってことを知ったのは随分後になってからだった。「なんである」かというに、当時のCMが5秒スポットという今では信じられないような細切れのオンエアだったことと、傘が植木等の小道具にしか見えなかったこと、テロップの「洋傘骨(骨って何だ?)」が読めなかったからでR。
 アイデアルは1905年創業の老舗で、ワンタッチで開閉ができるスプリング式折り畳み傘を1950年代に開発販売するなど、世界的にも有名な洋傘メーカーだったけど、1991年をピークに、長期のデフレに伴う低価格志向が広まるにつれて業績が悪化し、2006年に倒産。
 そして翌2007年には、植木が世を去る。高度経済成長期を代表したコメディアンとメーカーは、半年あまりであっさりと地上から消えてしまったのだった。





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タマゴボーロは歴史的銘菓だった! [食]

bolo_iwamoto.jpg 駄菓子屋の定番で、今でも家庭に根付いているお菓子の代表格が『タマゴボーロ』だ。そのままカリカリ食べちゃう人もいるだろうけど、やっぱり頬張って溶ける食感を楽しむ人のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。
 舌の上で転がしていると、じきにサッと溶けて、甘味とタマゴの風味が口いっぱいに広がる。なんであんな独特の溶け方をするんだろうね? 小麦粉じゃ、ああはいかないだろうし。そこで調べてみたんだけど、タマゴボーロの主成分は、なんとジャガイモの澱粉、つまり片栗粉でありました。道理で急に溶けるわけだ。
bolo_takeda.gif ちなみにボーロ(bolo)はポルトガル語でケーキのこと。16世紀には日本に伝わっているので、時の戦国武将や千利休のような有名人はこの味を知ってたんじゃないかな。でもさ、信長や家康がタマゴボーロを口いっぱいに頬張ってる姿って、あんまり絵にならないよね(笑)。


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