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ベルボトム [ファッション]

ベルボトム1.jpg 昨日まで半ズボン姿でいた小学5年生のぼんくら少年が、ある日ついにジーパンを穿いた。小遣いを貯めて新宿で買ったのだ。
 レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジの写真を母に見せて、
「あーん、これ欲しい欲しい欲しい~よぉ~」
 とねだったんだけど、
「そんなの、まだ早いでしょ! どうしても欲しかったら自分で買いなさいっ」
 と言われたのを真に受けたんだけど、察しのいい人は、
「え~、小学生がそんなの買っちゃってぇ^^;」
 って言うだろうね。今どき子どもがジーパンを穿くのは当たり前だし、当時だってそうだったんだけど、ジミー・ペイジが穿いていたのはベルボトムだったのだ。
 パンタロンとかラッパズボンとも呼ばれていた、膝下が裾に向かって広がっているズボンといえば思い出したかな。丈長のブーツが下に履けるためにブーツカットと呼ばれることもあるよ。1960年代の中頃にパリコレクションから生まれたスタイルと言われていて、ヒッピー文化として定着してからは1970年代の後半まで世界中の若者に親しまれたんだ。
 日本で流行り出したのは1960年代も末になってからだから、ぼんくら少年は、まさに流行の最先端をいっていたことになる。2年近くに及んだ田舎暮らしから解放された反動で髪も長く伸ばしていたから、ベルボトムを穿けばチビながらヒッピー・スタイルが完成した。さすがに学校や友達と遊ぶ時は穿かなかったけど、ちょっと遠出する時はお気に入りのバンダナで長髪を縛り、妹にメタル系のブレスレットを借りて、いっぱしのロック・ミュージシャン気取りもいいところだった。
ベルボトム2.jpg 父は息子がどんな格好をしようが全くの無頓着で、
「そのほうが人混みで見つけやすいな」
 なんて調子なんだけど、母は、
「もう恥ずかしいったらありゃしない。私と一緒に出かける時は絶対にフツーの格好にしてよ!」
 言うことを聞かなかったら坊主刈りにするという脅迫までオマケにつけるほど嫌がった。妹は兄貴のスタイリストを自称していた(早い話が生身の着せ替え人形扱い)ので、自分のTシャツやらベルトやら缶バッジやらを景気よく兄貴に貸与して、長男をヒッピーからIVY路線に変える母の目論見をことごとく潰していた。勝手に髪の毛を切ったり、面白がってマニキュアを塗ったりすることもあったので参ったけどね^^;
 カブれたのが早かったせいか、ベルボトムからの卒業も早くて、中2の頃には、やっぱり流行り始めて間もないスリムに乗り換えちゃった。流行り廃りもあるんだけど、いちばんの理由は、小遣いをはたいてベルボトムを買っても、成長期なのでアッという間につんつるてんになっちゃうって問題だった。つんつるてんのベルボトムがどんなにみっともないかは、一度でも穿いたことのある人なら分かるよね。そうなっちゃっても適当な長さにハサミを入れてハーパンや短パンにすればいいんだけど、やっぱり悲しいし。
ベルボトム3.jpg 1980年代には、今度は猫も杓子もスリムジーンズになっちゃったけど、地味ながらファッション・シーンではベルボトムの人気は根強かったようで、よく言われる「10年サイクル」で波を描きながらもフレアパンツなんかでは定番になってるし、ロック・ファッションとしても依然として人気は衰えていない。
 え、今のぼんくらオヤジはベルボトムを穿く気はないのかって? ファッション以前にこのビールっ腹をどげんかせんと^^; ま、スリムで身軽だった少年時代の思い出にしとくよ(泣)。
 
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スマイリーフェース [ファッション]

スマイリーフェース1.jpg スマイリーフェース。スマイリーやニコちゃんマーク、スマイルマークなどという名前でも呼ばれていたよね。黄色い円に笑顔の描かれたシンプルなデザインなんだけど、日本では昭和46年(1971)にサンスター文具が缶バッジを発売して大ブレークしたよね。ぼんくら少年も大好きで、缶バッジはもちろん、下敷きやミニ定規なんかもスマイリー入りのものを買って使ってたよ。
 中でもお気に入りだったのは黒地にスマイリーフェースがプリントされたビニール製のショルダーバッグで、小6の時に買ってもらってから何年も愛用していた。最後はボロボロになったのをみかねた親の命令で泣く泣く処分したんだけど、ゴミ袋越しにスマイリーが悲しげに笑っているようで本当に切なかった。
スマイリーフェース2.jpg このスマイリーフェースがいつ、誰によって考案されたのかは諸説あるんだけど、昭和38年(1963)にアメリカの商業美術家であるハーベイ・ボールがデザインしたものだということでとりあえず一件落着しているようだ。平成8年(1996)、ボールのお膝元であるマサチューセッツ州ウースター市によってスマイリーフェースのボール考案説が公認され、平成11年(1999)にはアメリカの郵政公社の記念切手としてスマイリーフェースが採用されたことによって、事実上、アメリカがボールを生みの親として公認する形となった。なんともアメリカらしい強引な政治決着のような気がして、ぼんくらオヤジとしては頭が痒くなるような思いだけどね(笑)。
スマイリーフェース3.jpg ハーベイ・ボールが亡くなった平成13年(2001)には、息子が会長となってハーベイ・ボール・ワールド・スマイル財団なるものが設立されて、スマイリーフェースを世界平和の礎にするためのボランティア活動を展開しているらしい。日本支部なるものもあって、周富徳氏やサトウサンペイ、山田隆夫、柴俊夫などの有名人が「名誉スマイル大使」なるメンバーとして名を連ねてるんだけど、サイトの説明を何度読んでも、いまひとつ、何をしてるのかが分からない。これは私感だけど、これはどうもスマイリーフェースの著作権を世界的に確立するのが主たる目的のような気がする。財団以外にも著作権を主張している会社や個人はひとつやふたつじゃないからね。
 70年代に "Love & Peace" の象徴だったスマイリーフェースは、もはや著作権ビジネスの胡散臭さを物語るシンボルに様変わりしてしまった。相変わらず可愛らしいまんまなのにねぇ^^;


■月と木星、金星が作り出した壮大なスマイリー 2008年■



■花火が作り出したスマイリー 長岡の花火大会ですね♪ 2007年■


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薄い学生カバン [ファッション]

薄い学生カバン2.jpg 高校生の頃にヤンキーだった人はいる? ぼんくらはヤンキーが流行る前に高校生を終わらせちゃったんで直接は知らないんだけど、それでも気配はあったんだよね。リーゼント頭でボンタン(ワタリ幅が極端に広く逆にスソ幅が狭い学生ズボン)姿の高校生がチラホラと出現してたし。なんといっても、薄い学生カバンを持つのが流行ってた。
 薄い学生カバンをプラプラと持ち歩くのが何故にカッコいいのかと訊かれても困るんだけど、とにかくマトモに教科書やら辞書やらを学生カバンに詰め込むとボストンバッグ並みに膨らんじゃうもんだから、軽快にみえる薄いカバンは惹かれるものがあったのだ。
 流行りの終わり頃にはそういう製品も出回ったようだけど、ぼんくらの頃は自分でカバンを潰すという涙ぐましい努力が必要だった。どうするかっていうと、休みの日に風呂場にカバンを持ち込んで、針金でグルグル巻きにするか漬け物石なんかを重石にして熱湯に浸け込むんだよね。これで数時間も待てば薄いカバンが完成した。しばらく皮の臭いが浴室からとれなくて家族からはひんしゅくを買ったし、ムリにふやかして整形するから当然のように皮も波打ったようになったし、いいことはそんなに無かったのにバカだよねぇ^^;
薄い学生カバン1.jpg 10センチ以上は幅のあったものが5センチ以下になっちゃうわけで、今まで入っていたものも入らなくなり、結局はスポーツをやってたわけでもないのに自腹で偽マジソンバッグを買うハメにもなり。薄い学生カバンをチャラチャラと片手に持つだけの優雅な通学は夢と消え、カバンを二つ抱えて満員電車に揺られる毎日が始まっただけだった。初めっからそーなるのは分かりきってたのに、やっぱバカだわ^^;;;


■古風なヤンキー ボンタン姿のほうじゃないですが懐かしいですねぇ♪■


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「う~ん、マンダム」 [ファッション]

マンダム.jpg「う~ん、マンダム」
 こう呟きながらアゴを突き出して撫でてみせるあまりにも有名なチャールズ・ブロンソンのCMだけど、これが流れたのはいつ?
 答えは万博の年、昭和45年(1970)だ。資生堂の『MG5』で男性化粧品のシェアを奪われた丹頂株式会社(現株式会社マンダム)が起死回生を期して世に送った『マンダム』シリーズのCMだ。まだ化粧品が男のイメージとすんなり結び付く時代ではなく、「男臭さ」をことさらに強調する中に「化粧品は男らしさを磨くアイテム」というコンセプトをさりげなく滑り込ませている。これが、高度経済成長が一段落し、容姿を気にする余裕の出てきた成人男性のニーズを刺激した結果、マンダム・シリーズは爆発的なヒットを記録。倒産寸前に追い込まれていた丹頂は一気に業績を回復し、昭和47年(1972)には社名を現在のマンダムに変更することになる。
 ところでこのCMの制作ディレクターって誰だか分かる? なんと『転校生』や『時をかける少女』でお馴染みの大林宣彦監督なんだよ! 当時駆け出しのCMディレクターだった大林監督は、この大ヒットを皮切りにソフィア・ローレンの『ホンダ・ロードパル』やカトリーヌ・ドヌーヴの『ラックス化粧品』、リンゴ・スターの『レナウン・シンプルライフ』等々、海外スターを起用したCMで次々にヒットを飛ばしていく。
 ロケ地はアリゾナの砂丘とハリウッドだった。ブロンソンは自身のキャラクターが男臭さのシンボルとなることを知って、
チャールズ・ブロンソン.jpg「これは私の初主演映画だ」
 とまで言って非常に喜んだそうな。リトアニア移民の子として大変な苦労を重ね、第二次大戦中にはB-29の射撃手として東京大空襲にも出撃した過去を持つブロンソンは、日本に対して特別な気持ちを抱いていたようだ。灼熱地獄の荒野で何度も馬で駆け、頭から泥水を被る過酷なCM撮影に際しても、彼は大スターとは思えない控えめな態度と温かい気配りでスタッフを感激させたそうだ。このCMがボクらを惹きつけたのは、ブロンソンが男を演じたからなんじゃなく、真の男を地で見せてくれたからなのかも。


■チャールズ・ブロンソン 『マンダム』CM 1970年■



■ジェリー・ウォレス 『男の世界 Lovers of The World』 1970年■



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ズック靴が子供のシンボルだった時代 [ファッション]

 先日、ぼんくら次男の靴を買いにショッピングモールに出かけた。今って凄いんだねぇ、子供用の靴って。サイズが小さいだけで、他は種類も値段も大人のものと大差ないんだよな。ポケットマネーで買ってやろうとタカをくくっていたぼんくらオヤジはすっかり青ざめてしまった。
「おーおーどれでもいいよぉ、好きなものを買いなさい。最低2足はね。交互に履かなきゃ直ぐにダメになっちゃうからね」
 なんて威勢のいいことを出かける前に言っちゃってたもんだから、ぼんくら次男は店に入るなり買い物カゴを引っ掴んで嬉々として靴の物色を始めた。ぼんくらオヤジは値札を見るたびに喉は渇くわ胃は痛くなるわ、薄れかけた意識の中でこんなことを考えていた。
「自分が子供の頃って何を履いてたっけ?」
 
運動靴1.jpg 思い出したのは『ズック』だ。『運動(スポーツ)靴』とも『短靴』とも呼ばれていた。ズックとは太い麻のより糸を分厚く密に織った耐水布のことだ。このズックとゴム底でできた靴を『ズック靴』と呼んでいたものが単にズックと呼ばれるようになったのだ。発祥の地は19世紀のイギリスで、日本では昭和24年(1949)に鬼塚商会(現アシックス)が納入用に生産を始めたのが最初と言われている。ただ、この通説については下調べの最中に戦前のアサヒ靴のポスターに似たような靴を発見したり、ズックという外来語が既に明治時代に使われていたというフシもあって、断定は避けたいと思う。
 一般的なズックは、足の甲の部分がゴムバンドで伸縮するようになっているものだった。しばらく使っているとこのゴムバンドの部分が波打ってきて脱げやすくなっちゃって、それが靴の寿命の目安でもあったと思う。中には穴が開くまで履く強者もいたけど(笑)。
運動靴2.jpg やがて布はズックからナイロンに変わり、ゴムバンドの部分がモロに見えないようにアニメキャラをあしらった合皮の飾りを被せたものなんかが登場したけど、基本形は全く変わっていなかった。価格も昭和40年代で300~350円と実にお手頃で、当時の子供たちにかける親の金銭感覚が伺える数字ともいえる。
 子供の靴といえば即、ズックか長靴という時代は昭和40年代の中頃まで続いたけど、万博と前後するように子供靴は急速に多様化を初め、ズックは学校の世界に徐々に押し込められていく。

「決めたよ」
 ハッと我に返ると、満面の笑みをたたえてぼんくら次男が目の前に立っている。重そうに手に持ったカゴには、ボルトが履いていそうなピッカピカのシューズが2足…。怖くて値札が見れないままにレジへ。
 この後の話は思い出したくもないので書かないけど、クレジットカードで決済しましたっ(号泣)


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中高生といえば『マジソンバッグ』だった [ファッション]

マジソンバッグ1.jpg ぼんくらオヤジが中学生になって驚いたことがある。かなりの数の2、3年生が同じバッグを持ち歩いていたのだ。白い横文字がプリントされた紺色の絹目ナイロンバッグで、ズックの肩掛けカバンをたすきに掛けた上からヒョイと肩に引っかけている姿は、お世辞にもカッコいいとは思えなかった。だから、それが『マジソンバッグ』という大人気商品だと分かるまでは、てっきり学校指定の体育系サークル用バッグかと思い込んでいたわけで(笑)。もっとも当たらずとも遠からずというか、体育系の生徒たちの間で特に好まれたのは確かで、別名『スポーツバッグ』とも呼ばれていたようだ。
 マジソンバッグは、鞄メーカーのエースが昭和43年(1968)から10年間にわたって製造販売していたバッグで、
「MADISON SQUARE GARDEN SPORTSMAN CLUB boxing wrestling football」という文字と星条旗やワシのマークが印刷されているが、当のマディソン・スクエア・ガーデンとはまったく関係がない。当時の売価は1,500円だった。今の価値で6,000円前後に相当するわけで、あの頃の中高生にとっては数ヶ月分の小遣いをはたかなければ買えない代物だったことになる。
マジソンバッグ2.jpg そこで市場のニーズに応えて(笑)登場したのがパチ物、バッタ物と呼ばれる模造品だ。理解に苦しむんだけど、エースはマジソンバッグの意匠登録をしておらず、これが廉価版模造品の大量生産に拍車をかけたのだ。このバッタ品の売価は、正規品の半額近い800~1,000円ほど。たとえ偽物と分かっていても中高生が飛びついたワケだ。おかげさまで正規品販売中の10年間で売れた2000万個という驚異的な販売実績のうち、半数以上は偽物というこれまたオッタマげた数字を叩き出した。
 当時の日本では、偽ブランド品を犯罪視するような商業倫理は製造者にも消費者にも希薄だった。国産のバッタ品なら正規品に引けを取らない品質だったこともあって、
「モノがよけりゃ別にいいじゃん」
 って安易な価値観が蔓延していたのだ。商標権や特許の侵害を公然と行っている今の中国をマスコミは平然と非難し嘲笑するけど、かつての日本が似たり寄ったりの状況だったことを知っている身にしてみれば、何ともおメデタいお話に聞こえて仕方がない。もちろんダメなものは駄目! なんだけどね。


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ミニスカートとツイッギー [ファッション]

twiggy.jpg ミニスカートとは、言わずと知れた膝上丈のスカート。1967年にイギリスの人気モデル、ツイッギーが来日して大流行させたのは超有名なお話だけど、人並み以上にスケベ心満々だったぼんくらオヤジが何故か当時のミニスカートを思い出せない。性懲りもなくスカートめくりをしちゃバケツを持って廊下に立ってた少年が、膝上丈のスカートについて記憶がないなんて、こりゃ変だよ。宇宙人にアブダクトされて記憶を消されたんじゃなかろうか。
ミニスカート1.jpg てなわけで当時の様子を調べてみたら、分かりました! →の写真はツイッギー・ルック(当時はこう呼んでいた)で街を歩く女の子たち。ん? これがミニスカートぉ!? そーなんです、昭和40年代のミニスカートはこんな程度だったんですっ。これじゃ坊やのスケベ心にすら火はつかないよ。どーりでぼんくら少年の記憶から吹っ飛んでたわけだ。ぼんくらオバンの解説によると、膝上丈30センチ以上という定義からいえば、写真の少女たちは間違いなくミニスカートなのだと。そうみえないのは、オバンも含めて当時の女の子が短足だったから必然的に露出度が低いのだと(笑)。面白がって「実演」してみせてくれたオバンの様子からすると、たしかにそーいえなくもない。とにかく、一時期みかけた制服姿の女子高生のほうがよほど過激なんであって、どうしてあんなもんがセンセーショナルだったのか理解に苦しむほどオジョーなファッションだったのだ。
twiggylawson2006.jpg これで時のファーストレディ、佐藤寛子夫人が62才でミニスカートを愛用していたというエピソードも納得できる。思い出したけど、サザエさんも持ってたスカートを切ってミニスカートにしてたな(笑)。
 第一波のブームは74年頃に終わったが、その後も思い出したようにミニスカートはファッション界に姿を現す。最近では2005年がブームだった由。ところで10月18日が『ミニスカートの日』だって知ってた? 何でだろうと思って一生懸命語呂合わせを考えたんだけど分からない。調べたら、ツイッギーが初来日した日だとっ(怒)。
 最後にツイッギーのことだけど、成熟した女性になって体型がツイッギー(小枝)じゃなくなっちゃってからは映画や歌手の世界に転身し、今年で60才を迎える現在でもロンドンとニューヨークを拠点に多彩な活動を続けている。相変わらす美人だよねぇ(^^)





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半ズボンはどこへいった? [ファッション]

半ズボン1.jpg 先日、ぼんくらオバンと話をしていて気付いたんだけど、ボクらが子供の時分に穿かされていた半ズボンって、いつの間に無くなっちゃったんだろう?
 自分の息子たちはもちろん、授業参観なんかで小学校に行ってみると半ズボンは皆無。男の子は長ズボンかハーパンだ。体育気だってハーパンなんだから徹してるよなぁ。
 ぼんくらオヤジは雪が降ればカンタンに60センチは積もるような雪国に住んでいたことがあるんだけど、真冬でも半ズボンで通す豪傑が何人もいた。根性無しのぼんくら少年は、言うまでもなくタイツ&長ズボンだったけど(笑)。寒気にさらされてか、太腿の血管が紫色の編み目模様に透けて見えて痛々しいぐらいだったことを今でも覚えている。当時の大人たちには薄着に対して信仰と呼んでもいいほどの思い込みがあって、特に子供たちが冬場に暖かい格好でいることを嫌っていたのは確かだと思う。寒がりのぼんくら少年がタイツやズボン下を穿こうもんなら、母親は、
半ズボン2.jpg「そんなに着込むと弱い体になっちゃうよじゃないの~。風邪もひいてないのに情けないっ」
 なんて調子で怒ったもんだ。何の根拠があってのことだったんだろう? たしかに今でも真冬に裸ん坊で過ごす幼稚園があるけど、現在では、多少の益があったとしてもリスクのほうが高いというのが一般的な見解だ。人種や性別、年齢、体型等々、遺伝的な個体差によって寒さに対する耐性は決まるようで、生活習慣でコントロールできる代物ではないみたい。たぶん、戦中、戦後の耐乏生活を引きずった「常識」だったんだろうけど、極端な薄着や軽装を強いられた子供たちにとっては、ありゃ拷問だったなぁ(笑)。
 話が逸れちゃったけど、調べたところでは、男の子の半ズボンがハーパンにシフトしたのは1990年代の初めだったようだ。諸説があるようだけど、最も信憑性の高い理由は、下着の主流ががブリーフからトランクスに移ったために、丈の短い半ズボンでは都合が悪かったというものだ。そういやぼんくら一家でブリーフを穿いてる男子は一人もいないな。
 理由は何であれ、はっきりしているのは、昭和とともに半ズボンが終焉を迎えたということだ。そして地上から姿を消した昭和の少年たちは、今でもボクらの記憶の中で、真冬の校庭を半ズボン姿で駆け回っている。


■昭和50年代の小学生(臨海学校)■



■昭和30~40年頃の少年たち(ドラマによる再現)■



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アイデアルと植木等 [ファッション]

ideal_cm.jpg「なんである、アイデアル」
 元祖テキトー男の植木等が流行らせた60年代を代表するコマーシャルだ。何でかなぁ、小さい時から頭に刷り込まれたキャッチだったのに、アイデアルが傘を作ってる会社だってことを知ったのは随分後になってからだった。「なんである」かというに、当時のCMが5秒スポットという今では信じられないような細切れのオンエアだったことと、傘が植木等の小道具にしか見えなかったこと、テロップの「洋傘骨(骨って何だ?)」が読めなかったからでR。
 アイデアルは1905年創業の老舗で、ワンタッチで開閉ができるスプリング式折り畳み傘を1950年代に開発販売するなど、世界的にも有名な洋傘メーカーだったけど、1991年をピークに、長期のデフレに伴う低価格志向が広まるにつれて業績が悪化し、2006年に倒産。
 そして翌2007年には、植木が世を去る。高度経済成長期を代表したコメディアンとメーカーは、半年あまりであっさりと地上から消えてしまったのだった。





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ダーバンとアラン・ドロン [ファッション]

alain_delon.jpg "D'urban, c'est l'elegance de l'homme moderne. "
 このオマジナイのような台詞。イケメン俳優アラン・ドロン。もう分かった? そーです、レナウンの男性ブランド『ダーバン』が70年代に世に送ったテレビ・コマーシャルなんであります。
「ダーバン、それは現代を生きる男のエレガンス」。こーゆー意味だったのかぁ。40年越しの謎が解けた(感動)。
 70年代を思い出してみると、大人の男は気の毒なほどダサかった。色でいえばネズミ色。私服といったら、ただスーツの背広を脱いだだけって感じだったし。無理もない。当時のお父さんは、仕事が終われば部下や上司、取引先の接待に追われ、子供達を大学に送り、マイカーと一戸建ての家を手に入れ、休日はゴルフに出掛けなけりゃ一人前じゃないかのような風潮の中で毎日を戦っていたわけで、自分の身なりをどうにかするヒマなどなかったのだ。今じゃとても受け入れられない価値観だけど、彼らが払った犠牲と献身の上に『今』がある。こんな敬意を込めた意味での「ダサいファッション」を見慣れていたぼんくらオヤジにとって、洗練されたスーツを身にまとったアラン・ドロンは、まさに現実離れした映画の住人だった。それだけに、怪獣映画のヒーロー並みに感情移入もしやすくて、大人になった自分をドロンと重ね合わせて夢(正確には妄想)を膨らませることのできるCMだった。当時の大人はどんな思いで観てたのかな?





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