『ロッテ歌のアルバム』のお話 [テレビ]
ぼんくらオヤジは、どうしてか歌謡曲にまったく関心がなかった。それどころか歌番組が始まると絶望的な気分でテレビのスイッチを切っていた。何故かというと、ぼんくらオヤジが住んでいたド田舎では、万博の年までNHK総合と教育、それに民放が1局しかなかったからだ。
日曜の正午からの30分間に何を観ていたのかがどうしても思い出せないんだけど、12時半になると、
「一週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供、『ロッテ歌のアルバム』ぅ ズンチャカ♪ズンチャカ♪」
っていう 玉置宏の何とも言いようのない独特な口調で番組が始まっちゃうんだよなぁ。
「げぇえ~、なんでだよぉ」
なんて文句を言いながらチャンネルを回しても(←久しぶりに使った^^;)無駄なのさっ。だってNHKは『のど自慢』だし、教育は…言うまでもないし、他にチャンネルはないし(泣)。玉置がオケの前奏に乗せて歌手やら曲やらを紹介している誰も観てないテレビ。その前でビータラびぃたらと文句をたれる息子に
「観るものがないなら外で遊んできなさいっ!」
と、ぼんくら母は雷を落とすのだった。
早いとこ打ち切られてお笑い番組になって欲しいというぼんくら少年の願いも空しく、番組は1965年には年間平均視聴率18.3%を記録。1958年から79年までの21年間に延べ1,110回の放送回数を記録する国民的長寿番組と相成った。出演した歌手は多すぎて書ききれないけど、ガーナミルク・チョコレート発売40周年記念の限定商品についていたおマケCD『ロッテ歌のアルバムガーナミルク』には次の10曲が収録されている。
「バスストップ」/平浩二
「雨のバラード」/湯原昌幸
「京都の恋」/渚ゆう子
「二人の銀座」/和泉雅子・山内賢
「世界は二人のために」/佐良直美
「雨の中の二人」/橋幸夫
「ラストダンスは私に」/越路吹雪
「小指の思い出」/伊東ゆかり
「恋の季節」/ピンキーとキラーズ
「白いブランコ」/ビリー・バンバン
※以上の曲が1枚につき1曲ずつ入っていた。ホントはもう1曲あるんだけど「シークレット版」ってことで詳細不明。
21年間を代表するには大雑把すぎる選曲だけど、それでも当時を生きた日本人には馴染みの曲ばかりだ。
だが、こんなマンモス番組も、万博を境に長期低落に転じる。長髪の歌手は出演お断りということで、グループ・サウンズやフォーク&ロック系のミュージシャンはほとんどが出入り禁止。バラエティ色を一切認めず、純粋な歌謡ショー形式にこだわったことも視聴者離れを加速する原因になってしまった。
末期にはずうとるびやフォーリーブスをレギュラーにしたり、玉置を降板させて小島一慶を抜擢するなどのテコ入れを行ったが、時既に遅く。その後、85年に復活したものの、往年の視聴率を稼ぐことはできず、87年の9月をもって完全に消滅した。
おかしいな。少年時代は大嫌いだった番組なのに、こうして調べていたら急に愛おしく思えてきた。長髪やお笑いに対する偏見だって、今となっては武骨な心意気に好感すら感じてしまう。歌は世につれ世は歌につれ。歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される(大辞林)。その歌を扱いながら変化を拒み、消えていった『ロッテ歌のアルバム』。この愚かしさこそ、今のボクらが失ってしまったものなのかもしれない。
日曜の正午からの30分間に何を観ていたのかがどうしても思い出せないんだけど、12時半になると、
「一週間のご無沙汰でした。玉置宏でございます。お口の恋人、ロッテ提供、『ロッテ歌のアルバム』ぅ ズンチャカ♪ズンチャカ♪」
っていう 玉置宏の何とも言いようのない独特な口調で番組が始まっちゃうんだよなぁ。
「げぇえ~、なんでだよぉ」
なんて文句を言いながらチャンネルを回しても(←久しぶりに使った^^;)無駄なのさっ。だってNHKは『のど自慢』だし、教育は…言うまでもないし、他にチャンネルはないし(泣)。玉置がオケの前奏に乗せて歌手やら曲やらを紹介している誰も観てないテレビ。その前でビータラびぃたらと文句をたれる息子に
「観るものがないなら外で遊んできなさいっ!」
と、ぼんくら母は雷を落とすのだった。
早いとこ打ち切られてお笑い番組になって欲しいというぼんくら少年の願いも空しく、番組は1965年には年間平均視聴率18.3%を記録。1958年から79年までの21年間に延べ1,110回の放送回数を記録する国民的長寿番組と相成った。出演した歌手は多すぎて書ききれないけど、ガーナミルク・チョコレート発売40周年記念の限定商品についていたおマケCD『ロッテ歌のアルバムガーナミルク』には次の10曲が収録されている。
「バスストップ」/平浩二
「雨のバラード」/湯原昌幸
「京都の恋」/渚ゆう子
「二人の銀座」/和泉雅子・山内賢
「世界は二人のために」/佐良直美
「雨の中の二人」/橋幸夫
「ラストダンスは私に」/越路吹雪
「小指の思い出」/伊東ゆかり
「恋の季節」/ピンキーとキラーズ
「白いブランコ」/ビリー・バンバン
※以上の曲が1枚につき1曲ずつ入っていた。ホントはもう1曲あるんだけど「シークレット版」ってことで詳細不明。
21年間を代表するには大雑把すぎる選曲だけど、それでも当時を生きた日本人には馴染みの曲ばかりだ。
だが、こんなマンモス番組も、万博を境に長期低落に転じる。長髪の歌手は出演お断りということで、グループ・サウンズやフォーク&ロック系のミュージシャンはほとんどが出入り禁止。バラエティ色を一切認めず、純粋な歌謡ショー形式にこだわったことも視聴者離れを加速する原因になってしまった。
末期にはずうとるびやフォーリーブスをレギュラーにしたり、玉置を降板させて小島一慶を抜擢するなどのテコ入れを行ったが、時既に遅く。その後、85年に復活したものの、往年の視聴率を稼ぐことはできず、87年の9月をもって完全に消滅した。
おかしいな。少年時代は大嫌いだった番組なのに、こうして調べていたら急に愛おしく思えてきた。長髪やお笑いに対する偏見だって、今となっては武骨な心意気に好感すら感じてしまう。歌は世につれ世は歌につれ。歌は世の成り行きにつれて変化し、世のありさまも歌の流行に影響される(大辞林)。その歌を扱いながら変化を拒み、消えていった『ロッテ歌のアルバム』。この愚かしさこそ、今のボクらが失ってしまったものなのかもしれない。
2009-07-11 17:48
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コメント(8)
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同じです。かなり田舎でテレビ局3局でした……
同年代でも東京の人とではまったく知らない番組がいっぱいでした……
by ねこのこね (2009-07-11 18:56)
ねこのこねさん、そうなんですよ。
東京と地方の格差がベラボーにありましたねぇ。
by ぼんくらオヤジ (2009-07-11 22:00)
大阪万博の
世界の国からこんにちは
聞いたことあります!
ぼんくらさんの時はテレビ局は
あんまりなかったんですか?
by コンちゃん (2009-07-11 23:25)
やっほ~、コンちゃんだぁ(^^)/~~~
「こんにちわぁ~♪こんにちわぁ~♪世界の~♪国っからぁ~♪」
そん時は「だっせえ!」って思ってたけど、
今にしてみれば、三波春夫を使ったって感覚は凄かったかも。
ぼんくらの時代、東京は今と変わらないチャンネル数だったんですが、
地方は大都市でもない限りはNHK総合と教育の他は
民放が1~2局ってのがフツーだったと思います。
コンちゃんなんか、あの時代にタイム・スリップしたら、
つまんなくて気が変になっちゃうかもね(笑)
by ぼんくらオヤジ (2009-07-11 23:49)
橋・舟木・西郷・・・・
元祖御三家なら知ってます♪ (≧∇≦)ブハハハ!
by ダー (2009-07-12 09:09)
ダーさん、よく知ってましたねぇ~
実は記事を書いてる時に、
「ダーさんはギリギリ知らないんじゃないか」
って、ちらっと思ってたんです。
この元祖御三家に三田明を加えると
「四天王」になるんですが、これは知ってますか?
by ぼんくらオヤジ (2009-07-12 09:57)
玉置宏さんの名口調も
ご紹介の歌全て、歌えないけど歌詞は覚えていますし
ここだけの話
若い頃、西郷輝彦に少し似てるなんて云われ
つい、その気になって
彼の出す全てのドーナッツ盤を買い、
歌えるようにしていましたね・・・
今思うと、若くて馬鹿みたいですね!!
by miopapa (2009-07-14 10:24)
miopapaさん、
その馬鹿さ加減が懐かしく、愛おしいですよね♪
by ぼんくらオヤジ (2009-07-14 14:29)