家庭盤 [遊び]
実はこの3ゲーム、昭和の子どもたちにとってはセットで思い出せる理由があるんだよね。『家庭盤』という名称は知ってるかな。いくつかのボードゲームやカードゲーム、時にはチェッカーやオセロ、ルーレットまでを同梱したゲームセットのことだ。
ハナヤマやエポック社、任天堂などから家庭盤の名で発売され、ゲームの種類も数も様々で「これが基本セット」っていうのはないんだけど、先のダイヤモンド、コピット(コビト)、ルードの3種は、たいがいの家庭盤に組み込まれていたんだ。覚えてる人が多いのは、たぶんそのせいだと思うよ♪
家庭盤のお初については、昭和の生き字引として知られている日曜研究家の串間努さんがハナヤマの前社長小林邦巖さんにインタビューした際に、はなやまゲーム研究所(現ハナヤマ)が昭和14年(1939)に家庭盤を発売したって旨の発言を引き出してるんだ。エポック社は戦後にできた会社だし、任天堂は明治の創業だけど、戦前に作っていたゲームといったら花札とトランプぐらいだったから、家庭盤が日本で発売されたのは太平洋戦争直前の昭和14年(1939)だったとみてよさそうだ。
小林さんによると、家庭盤という名称はファミリー・ゲームの訳語として生まれたらしい。あくまで推定だけど。初回盤に採用されたのはダイヤモンド、コピット、ルード、それに『名探偵』というハナヤマのオリジナル・ゲームの4種類だったとのこと。内容からしても、戦後の家庭盤の原型になってるよね。
ハナヤマの家庭盤が売れた最盛期は昭和30年代で、その後は次々に登場した派手なゲーム群に埋もれて存在感を失っていっちゃった。
先述の串間さんは、
「団塊の世代以降、少子化が加速してゲームのメンツが足らなくなったのも家庭盤が衰退した理由のひとつ」
という指摘をしてるよ。なるほど、たしかにぼんくら少年が遊ぶ時には友だちの家に集まってメンツを揃えてから遊んだことのほうが、家族と遊ぶよりもはるかに多かった。妹は年子だったからゲームの相手になったけど、弟は7才も離れてたからね。家族でやる時は、年の半分は家にいない父がいる時で、しかも誕生日や年末年始の晩ぐらいだったかな。
今もゲーム・メーカー各社から細々と売られている家庭盤だけど、平成に入ってからは特に複数の人間で遊ぶゲームは売れなくなっているということで、いつ販売が打ち切られても不思議じゃない現状のようだ。片付けなかったりコマを無くして叱られたり、ルールをめぐって友だちとケンカになったり、思い出は尽きないゲームだもん。生き残っていって欲しいね。
15パズル [遊び]
4×4のボード上に15枚のナンバリングされたコマがランダムに置かれ、これを空いたマス目を利用して動かすことで目的の形にするパズルが『15パズル』だ。
15パズルの起源についてはハッキリしないんだけど、19世紀を代表するアメリカのパズル作家にして数学者のサム・ロイドが、15パズルの問題に多額の懸賞金をかけたことで大ブレークしたあたりから近世の資料に登場している由。このシンプルさを思うに、かなり古くからあった遊びじゃないかとは思うんだけどね。
この15パズルがプラスチック製のチープな姿で、いかにも唐突に日本の駄菓子屋に並びだしたのは昭和40年代後半のこと。子どもたちがコマを無くさないように、ケースとそれぞれのコマにはスリットが付いていてケースから外れない工夫がしてあった。
ただの数字ではウケがよくなかったのか、その後は数字の代わりにアニメのキャラを用いたパズルが主流になっちゃったけど、パズル自体は未だに根強い人気があるよ。
■オンラインで遊びたい人はこちらへどーぞ♪(PC版でゴメンね)■
http://www.passionforpuzzles.com/virtualcube/slidegame/index.php
■iPhoneで15パズルの簡易版(9マスで絵のほう)をやってます■
http://www.youtube.com/watch?v=6Xj9sEqgwDk
■15パズルの達人。42秒でクリアします^^;■
http://www.youtube.com/watch?v=vi7AuRDAOP4
ルービックキューブ [遊び]
実際にやってみるとよく分かるけど、言うは易しなんだな^^; コツというか、やみくもにやって完成することはまずないだろうね。まず各面の中央にある6個のセンターキューブ(サブキューブ)が、回転するだけで移動しないことに気付こう。そして一度揃えた面を壊さずに他の面を揃えるメソッドを見つけ出そう。さもないと、ぼんくらオヤジのように分解して組み立て直すことになるのがオチだよ(笑)。
ルービックキューブは、ハンガリーの建築学者エルノー・ルービックが昭和49年(1974)に考案し、3年後の昭和52年(1977)にハンガリーの玩具メーカー、ポリテクニカ社から『マジック・キューブ』という名前で発売されたんだ。その後、マジック・キューブの販売権はアメリカのアイデアル社に買い取られ、ルービックキューブと改名されて世界的な販売網に乗ることになった。
日本に上陸したのは昭和55年(1980)のことだった。日本での販売元はツクダオリジナル。上陸前からマスコミに先行報道されていたってこともあって、発売と同時に大ブームとなり、発売開始から8ヶ月で400万個を超える売り上げを記録しちゃった。
ブームの後もルービックキューブは世界中で売れ続けていて、信頼できるデータだけをみても、これまでに推定3億個ものルービックキューブが地球上にバラ撒かれた計算になる。
日本では現在、日本ルービックキューブ協会(JRCA)が国内の公式大会を毎年行っていて、ハイレベルなキュービストを輩出しているよ。ちなみに3年前の平成19年(2007)にハンガリーのブタペストで開催された世界大会では、優勝と3位が日本人キュービストだった。
ルービックキューブは数学的にも非常に奥が深く、とくに群論を考える上で極めて有益な題材とされていて、論文もたくさん発表されているんだ。さて、問題だよ。ルービックキューブを考え得るすべての配置から完成させる道筋は何通りあるでしょーか? 答えは43,252,003,274,489,856,000(4,325京2,003兆2,744億8,985万6千)通りだって!
■ルービックキューブ完成のコツ概説 あくまで一例です♪■
http://www.youtube.com/watch?v=DP0BV7wHTRs
■目隠しでルービックキューブを完成しちゃう青年^^;■
http://www.youtube.com/watch?v=AJe3diB6p_U&feature=related
■2007年度世界大会3位のキュービストはこれだけできる!■
http://www.youtube.com/watch?v=A3GafnnAMyU&feature=related
仮面ライダースナックとライダーカード [遊び]
昨年末に実家で会った弟がギョッとするようなことを言い出した。
「もしかしてお前、ガンとかエイズとか何だとかかんだとかで余命数ヶ月みたいな(涙目)?」
「まあ、いずれそういうことがあるかもね。今じゃないけど」
ニヤニヤしながら後ろ手に隠していたものを手渡してくれた。何だったと思う? 『仮面ライダーアルバム』というタイトルの細長いカードフォルダで、中にはぎっしりと仮面ライダー関連のカードがファイルされている。パラパラとめくっていたら、はらりと折り畳まれたビニールカードが床に落ちた。広げてみると『カルビースナック仮面ライダー 20円』。
思い出したぞ! 後でこーゆー名前に変わったけど、ぼんくら少年が夢中になってた頃は『仮面ライダースナック』って名前だった。1袋20円ってのは一緒だったけどね。袋の中にはライダーカードが1枚入っていて、これを友達と競って集めたんだ。もっとも入れ込んだのは6年生の1年間だけで、中学に入った途端に興味がなくなっちゃった。ところがピカピカの小学1年生になった弟が今度は兄貴と入れ替わるようにライダーカードに夢中になったので、ぼんくら少年は弟にコレクションをそっくり譲ったのだった。
弟はその後、投資効果なのか運が良かったのか数枚のラッキーカードを引き当てることができたんだ。何がラッキーかというと、これをカルビー製菓(現カルビー)に送ると先述の仮面ライダーアルバムになって帰ってくるからなんだよね。結果、そんなレアアイテムと200枚近いカードコレクションが40年後の実家に残ったという次第。
仮面ライダースナックが発売されたのは昭和46年(1971)。世は仮面ライダー・ブームの真っ最中だったんだけど、なぜか当初は関東と関西の大都市圏のみの販売となった。カードを付けて売るというアイデアは、カルビーと人脈のあったタレント教授の栗本慎一郎さんが提案したらしい。ブームとアイデアが両輪となって仮面ライダースナックはたちまち品切れ状態となり、翌昭和47年(1971)からは全国販売が始まった。
「それ以前にだってウルトラマンや怪獣のブロマイドってあったじゃん」
と思う人がいるかもね。でもね、それまでのブロマイドとライダーカードには決定的な違いがあったんだ。裏が真っ白なブロマイドと違って、ライダーカードの裏側には表のキャラのデータが細かく掲載されていたんだ。
それとカードにナンバーが入ってるっていうのもミソだった。コレクションをコンプリートするのに抜けてるナンバーを手に入れようとするでしょ? この戦略にはしてやられたな^^; 別に欲しくもないのに買っちゃったし、秘密基地で友達と交換したりして苦労したもんね。そういや印刷を間違ったエラーカードの存在までレアアイテムとして話題になったりもしたっけ。
カード目当ての購入は社会問題にもなった。子どもたちがカードだけを取ってお菓子を捨てちゃうという現象が全国的に起きちゃったのだ。弟はそんなことはする子じゃなかったから、別に家でも禁止されることはなかったけど、親に購入禁止を言い渡された覚えのある人もいるんじゃない? 同じことは、その後のビンクリマンチョコでも起きることになるんだけど、それは別の機会に取り上げるね。
カード付き菓子の先駆となった仮面ライダースナックは、販売終了の昭和48年(1973)1月まで推定で6億袋を売り上げる大記録を樹立し、昭和の駄菓子史上に残るスナック菓子となった。これを記念して平成11年(1999)と平成15年(2003)には『仮面ライダーチップス』として復刻版も出たよ。
話は弟との会話に戻るけど、
「形見といわず、どーせなら今ちょーだいよ」
と言ったら、
「ダメぇ! リバプールに持って帰るからね。学生たちに見せびらかすんだ。人気あるんだよ、イギリスのアニメヲタクにはね(笑)」
どうやら自分の講義を受ける学生たちに見せて本気で自慢する気らしく、嬉々として自分のトランクに詰め込んでしまった。
さっき本人に確認したら、本当に見せびらかして思惑通りの大評判だったそうな。
「データ入りというところが緻密で、いかにも日本人らしい」
という声が多々あったとのこと。栗本先生、あなたはエラいっ!
それにしても地球の反対側に行っちゃったんじゃ、あれが見納めだろうな、たぶん。むむむ、やっぱりやならきゃよかったか。返せ、弟っ(未練タラタラ)
■「仮面ライダースナック」CM 1972年■
http://www.youtube.com/watch?v=yWKx6ma8nUM&feature=related
■「仮面ライダー変身ベルト」CM 1972年■
http://www.youtube.com/watch?v=ZmcyHMBKgqE&feature=related
■「仮面ライダー自転車 ブリジストンのドレミ」CM 1972年■
http://www.youtube.com/watch?v=rTOjinteEwA&feature=related
モンチッチ [遊び]
年甲斐もなくキャアキャアとはしゃぎながらお喋りに興じていたら、妹の旦那が、
「キミって、実家にいる時は本当に子どもにもどるんだね」
と言いながら、妹の抱えるものを見つめてニヤニヤしている。妹が抱きしめていたのは人形だった。右の親指を咥え、愛くるしい表情をしてるんだけど毛むくじゃら。ヒトともサルともとれる不思議なデザイン。『モンチッチ』だ。
「彼が買ってくれたのよ。6年生の誕生日にね」
と、モンチッチの左手を使って父の写真を指さした。
「12才の誕生プレゼントにしちゃ幼すぎない?」
スイス人の旦那にしてみれば、こんな人形を10代の子に贈る感覚は相当に違和感のあることらしい。
「日本の感覚じゃフツーよ。ねえねえ、兄さん、匂い嗅いでみて」
差し出されたモンチッチを受け取ると、かすかに4711(ドイツのオーデコロン)の香りが鼻をくすぐった。そうだったのか。黙って弟に渡すと、弟も即座に理解した様子で、母に手渡した。母は匂いに気付くとケタケタと笑い、
「そうだったわね。ひとりが好きだったクセに寂しがりやさんだった人だもの。仲間に混ぜてあげないとスねるわ、きっと」
とモンチッチに軽くキスをして膝の上に座らせた。父が生涯、愛用し続けた4711。そういえば、父の訃報で帰国した時も、妹はモンチッチを抱きしめて号泣したっけ。気付かなかったけど、たぶんその時も父の4711をモンチッチに付けていたんじゃないかな。
写真立てに収まったり、毛むくじゃらの人形になったり、人は死んでからも忙しく立ち働かなければならない存在らしいね(笑)。
モンチッチは、昭和49年(1974)に東京都葛飾区の人形メーカー、セキグチによって発売された。名前は、フランス語の"mon(私の)"と"petit(小さい、可愛い)"に日本語の「ちっちゃい」という音、さらには赤ちゃんがおしゃぶりを吸う音などを掛け合わせて作ったそうだ。
モンチッチは、男の子のモンチッチくんと女の子のモンチッチちゃんの2種類がある。頭にリボンがついているかいないか程度の違いかと思っていたら、泣き顔のほうはモンチッチちゃんだそうな(もう、この辺になると、ぼんくらもよー分からん^^;)。ふたりは発売当初、1~3才の双子ってことだったんだけど、アニメでは幼稚園か小学校の低学年ぐらいの設定に格上げ(?)され、平成16年(2004)に30周年記念を迎えると、なんと恋人同士に変更されて結婚までしちゃった。おかげさまで現在では『ベビチッチ』というふたりの子どもも人形デビューを果たしてるよ♪
昭和50年(1975)にドイツ語圏を中心に輸出が始まってからというものは世界的な人気キャラとなっていて、"Monchhichi"や"MonCiccì"、"Chic-A-Boo"なんて名前で親しまれているよ。
ちなみに妹の旦那は"Kiki"って名前で覚えてたよ。なんと"La chanson de Kiki"という歌まで知ってた。おかげで、
「あなたのほうがよっぽど幼いじゃない」
なんて逆襲されて気の毒だったけどね(笑)。
■ふたごのモンチッチのうた by いとうのりこ 1980年■
http://www.youtube.com/watch?v=RxN3ze24184&feature=related
※フルコーラスは → http://www.youtube.com/watch?v=YYAbzffC61Q&feature=related
■モンチッチのCM 英語圏版 聞き覚えのある歌が…(笑)■
http://www.youtube.com/watch?v=od3cNTl40VI&feature=related
■"La chanson de Kiki" 可愛い歌ですね♪■
http://www.youtube.com/watch?v=79tE1cOoffE
魚雷戦ゲーム [遊び]
問題は魚雷の役目をする鉄球が思ったように転がってくれないことだ。盤によって微妙なクセがあるのだ。だから自分の家にあるもので向かうところ敵なしだったとしても、意気揚々と友だちの家に出向いてその家の盤で闘うとボロ負けなんてことがあった。フツーに狙うのがつまらなくなってくると、ビリヤードのように台の側面に魚雷を当ててバウンドさせて敵艦を狙うなんてテクニックを弄する輩が出てくるところも面白かった。
魚雷戦ゲームは昭和43年(1968)に2連発となり、昭和46年(1971)にはリフレクトスコープが実装され、スコープを覗き込みながら魚雷を発射することが出来るようになった。そして昭和49年(1974)には砲台の位置がはす向かいとなり、昭和51年(1976)モデルでリフレクトスコープが砲台と分かれて独立する。また平成元年(1989)には宇宙船仕様の『アストロウォーズ』が発売されて、砲台を回すと連動して自艦が左右に動く敵襲回避機能が搭載された。
そして現行の魚雷戦ゲームは、独立式リフレクトスコープ、連動式発射管(6連発)、敵襲回避機能を搭載しながら、71年モデルをベースにした懐かしいデザインを復刻させたものになっている。メーカー希望価格は税込で3,990円とお手頃だ。少年時代が甦る魚雷戦ゲーム、お子さんやお孫さんと遊んでみちゃどうだろう?
■最新型魚雷戦ゲーム2005年モデルを紹介しています。面白そう♪■
http://www.youtube.com/watch?v=9Nlwe_ucp24
チョロQ [遊び]
3~4センチ程度の大きさで、初期型はプルバック式のゼンマイばねが駆動力だった。オモチャといってバカにしちゃいけないよ。当時の最先端素材だったエンジニアリング・プラスチックを歯車や軸受けなどに採用し、摩耗が少なく軽量の動力部を実現したおかげで、あの驚異的なダッシュ力を発揮することができたんだ。
車体の後部に10円玉を差し込めばウイリー走行も可能だったよね。これをやり過ぎてシャーシを傷めちゃった人もいるんじゃないかな。小さくて寸詰まりの可愛らしい外観からは想像も出来ないような過激な走りが男の子の心を捉えたんだろう。チョロQは発売後一年で1000万個を売り上げる大ヒット商品になった。
車体はそれぞれのパーツがネジ1本で分解できるようになっていたので、外観をカスタマイズしたり、エンジンをチューンアップすることがカンタンにできた。弟は手先が器用だったので、パーツの内側を削って軽くしたり、独自のカラーリングを施してオリジナルパーツを作って楽しんでいたよ。友達同士でパーツの交換をするのも流行っていたようで、弟の部屋にはよく友達が入り浸っていたっけ。兄貴の下宿で空いた部屋は、棚という棚にずらりとチョロQが並べられ、たまに泊まるとガレージで寝泊まりしているようで落ち着かなかったし(笑)。
チョロQはその後も28年間にわたって子どもたちに愛され続けたんだけど、平成21年(2009)にスタンダードチョロQは生産を終了した。現在では、従来のゼンマイ仕様以外にリモコン操作のできる電動モデルがラインナップされた『チョロQハイブリッド!』がチョロQの歴史を引き継いでいる。
■チョロQハイグレードのCM 1987年■
http://www.youtube.com/watch?v=uEx-IAh8dQE
■チョロQ大行進! いろんなチョロQがありますねぇ^^■
http://www.youtube.com/watch?v=SW4V_EnMrls
■新世代チョロQハイブリッド! むぅ、面白いかも♪■
http://www.youtube.com/watch?v=tETSEkftTBY
B級玩具傑作選 - 変装鼻メガネ(グルーチョ眼鏡) [遊び]
これ、日本じゃあまり知られてないけど、『グルーチョ眼鏡(Groucho glasses)』として、1940年代のアメリカで登場したパーティグッズなんだよ。
グルーチョは余りにも有名なアメリカのコメディアン『マルクス兄弟』のひとり。写真を見てもらえば、すぐに納得できるよね(笑)。マルクス兄弟としての活動は昭和21年(1946)の解散を持って終わっちゃうけど、グルーチョはその後も昭和52年(1977)に亡くなるまでテレビやラジオで活躍したので、グルーチョ眼鏡はその独特の風貌が長らく愛された結果なんだろうね。日本のコメディアンにも深い影響を与えていて、浅草の喜劇人だった長田キングなんかはグルーチョをそっくり真似て自らを「和製マルクス」と号していたし、ボクらに馴染み深いところではザ・ドリフターズの加藤茶と志村けんがグルーチョへのオマージュとしてヒゲダンスをやっていた。ぼんくらオヤジの弟が、この鼻メガネをかけてヒゲダンスをやってみせる度に、
「メガネをかけてるから偽ダンスだぁ!」
なんてヤジったりしてたけど、あれってルーツから言えば正しかったんだね^^;
そんなことを思い出しながら見つけた鼻メガネをかけていたら、
「まっ、50にもなってあなたという人は…」
と、母がケタケタと笑った。目尻に涙を溜めて。たわいもない子ども時代のガラクタだけど、母が捨てずにいた訳が分かったような気がしたよ。
■グルーチョ・マルクスが兄のハーポと演じる名演技をどうぞ♪■
http://www.youtube.com/watch?v=SjznonoAq3U
■加藤茶と志村けんのヒゲダンス グレープフルーツ編です■
http://www.youtube.com/watch?v=zmcxBg4IqBg
B級玩具傑作選 - くたくた動物 [遊び]
構造は至ってシンプル。台座にはバネが仕込まれていて、底板と動物の胴体は糸で繋がっている。フツーはこの糸がピンと張った状態なんだけど、底板を押すと、押した側の糸が緩んで動物がへにゃりと傾ぎ、指を放すとバネの力で糸は再び引っぱられて動物もしゃんとする。
これ、日本ではプラスチック製のものが駄菓子屋で買えたのでB級玩具に思われてるんだけど、実は昭和20年(1945)にスウェーデンの木工品メーカーBRIO社が開発した "Sampo" という立派な木製玩具なんだよ。BRIOのサイトを確認した限りじゃキャラはイヌだけみたい(業務連絡:miopapaさん、ご存知ないですか?)。日本では『起き上がりドッグ』と呼ばれていて、お値段も立派に高い。
してみると、ボクらが子どもの頃に遊んだプラスチック製のくたくた動物たちはコピー商品だったってことになるね。
たしかに当時の日本はコピー商品が巷に溢れていた。ぼんくらオヤジの記憶にある限り、一般の日本人が著作権や特許権、商標権といった知的財産権を意識しだしたのは1980年代に入ってからのような気がする。近頃、中国のコピー天国振りをマスコミが餌食にしてるけど、かつての日本を知る身にしてみれば歯切れが悪くなっちゃうよね^^;
■BRIO社のSampo 可愛いでしょう♪■
http://www.youtube.com/watch?v=ORYbjYKvR-I
■健康診断犬スパーキー その時のご主人の健康状態を体現します♪■
http://www.youtube.com/watch?v=TfDWcs0PLN4
キャベツ畑人形 [遊び]
昭和58年(1983)のクリスマスイブに、横浜で「キャベツ畑から生まれた、キャベッジ・パッチ・キッズ」というキャッチで72体を展示するイベントがあったんだけど、日本ではこれがブームの発端となった。
価格は発売当時で6,500円とベラボーに高かったんだけど、顔や髪型、肌や目の色、服装などなどの違いで種類が6000以上もあるうえに、販売時には出生証明書が付いて名前と誕生日が与えられるために、同じ人形は基本的にひとつとしてなく、1年後にはダメ押しのバースディ・カードまで届くという独自性が馬鹿ウケして、爆発的なヒットとなった。
キャベツ畑人形の生みの親はアメリカ人のザビエル・ロバーツだ。ジョージア州のクリーブランドで手芸店のマネージャーをしながらアートの勉強をしていたザビエルは、昭和51年(1976)に "Little People" という名前の出生証明書付き手作り人形を考案。初めはお店で細々と子どもたちに売ってたんだけど、じきに友人たちと会社を設立して人形の販売を始めたんだ。この世界初の出生証明書付きにしてハンドメイドの人形は徐々に口コミで噂が広まり、昭和56年(1981)にはそれを聞きつけたニューズウィークやウォールストリート・ジャーナルなどのマスコミが取り上げるようになると、40ドルで販売されていた人形に100倍のプレミアム価格が付くほどの人気商品になっちゃった。
これを業界が放っておくはずもなく、昭和57年(1982)に玩具メーカーのコレコ社がザビエルらと契約を結び "Cabbage Patch Kids" に改名して大量生産を開始。オリジナルの "Little People" はすべてが布製で手作りだったけど、キャベツ畑人形は顔がビニール製に仕様変更された。顔の微妙な違いを布へのプリントで表現できる技術が当時はなかったためだ。それでも他の仕様やコンセプトは固持され、これが好感されて、同年のクリスマスまでに何と全米で300万体ものキャベツ畑人形が売れるという史上空前の売り上げを記録したんだよ。その後、キャベツ畑人形の人気は世界中に飛び火し、1年後に日本にも上陸したってことだね。
日本はツクダオリジナルがライセンス生産と販売を行っていて、(なぜか近鉄や阪急の)プロ野球のユニフォームを着たものやウエディングドレスのものがあったらしいんだけど、知ってる人はいる?
これまで30年近くにわたって世界中で発行された出生証明書から割り出すと、キャベツ畑人形の人口は軽く1億人を突破するそうで、ヘタに建国なんかをしようもんなら、突然にして世界第12位の国家が誕生するという隠れた脅威になっているらしい。人形を持ってるんだったら、押し入れに放り込んでおかずに引っぱり出して飾ってあげたほうがいいかもよ^^;
余談だけど、人形を持ってる人は、お尻にあるザビエルのサインの色を調べてみてね。色で人形の生年が分かるんだよ(データはこちら)。
■キャベツ畑人形誕生25周年! スゴい人気なんですねぇ^^; 2007年■
http://www.youtube.com/watch?v=09LAleOrBvw
■パロディ「レタス畑人形 VS チャイルドプレイのチャッキー」 怖ぇ!■
http://www.youtube.com/watch?v=NTR0w1hzRLo