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B級玩具傑作選 - マジック・プリント [遊び]

マジックプリント3.jpg 子供の遊びにシールはつきもの。親になって痛感したけど、これってホントに迷惑な遊びだよねぇ。ところ構わずベタベタ貼りおって(怒)。液晶テレビの画面にまで貼るたぁ何事だっ(怒怒)。嗚呼、賃貸マンションの柱や壁にまで貼っちゃって(怒怒怒)。
 面白さと迷惑さ加減で群を抜いているシール遊びといったら、一も二もなく『マジック・プリント』だろう。ガラスや家具なんかの光沢面にシールを押し当て、裏側から丹念にこすると膜状の印刷面が台紙から剥がれて張り付くという、当時としては画期的な技術だった。
マジックプリント2.jpg 駄菓子屋でも売られてたけど、ぼんくらオヤジはガムやチョコに付いていたおまけのシールが大好きだった。一度で二度美味しいし、シールが入っているかどうかを確かめる時のドキドキ感がタマらなかったからだ。柄は当時の人気アニメのキャラがほとんどで、鉄腕アトムなどの手塚キャラやスーパージェッターなんかは覚えてるんだけど、他にどんなのがあったっけ? 
 これって結構、キレイに貼るのは難しかったよね。ターゲットの表面次第って感じがするんだけど、実はもっと奥が深くて、こすり方が足りなくても、こすり過ぎても上手くくっつかなかった。友達によっては、両手に挟んで暖めてから貼るなんていうテクニシャンもいたりして。それだけに、キレイに転写できた時の達成感といったらなかった。おまけにシールを貼っただけで、味気ない筆入れや下敷きがオリジナル・グッズに返信しちゃうんだもんね♪
 もちろん、タンスやらテレビやらにベタベタとシールを貼られて親が黙っているわけもなく。他のシールと違って一度貼っちゃうとホントに剥がすのが大変だったし、親が「マジック・プリント禁止令」を強権発動するまでそうはかからなかったと思う。しばらくして「そういえば」と思い出した頃には、既に子供の世界から消えていた。またやってみたくなったな。ぼんくらオバンに見つからないところで(笑)。マジックプリント1.jpg


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ダーバンとアラン・ドロン [ファッション]

alain_delon.jpg "D'urban, c'est l'elegance de l'homme moderne. "
 このオマジナイのような台詞。イケメン俳優アラン・ドロン。もう分かった? そーです、レナウンの男性ブランド『ダーバン』が70年代に世に送ったテレビ・コマーシャルなんであります。
「ダーバン、それは現代を生きる男のエレガンス」。こーゆー意味だったのかぁ。40年越しの謎が解けた(感動)。
 70年代を思い出してみると、大人の男は気の毒なほどダサかった。色でいえばネズミ色。私服といったら、ただスーツの背広を脱いだだけって感じだったし。無理もない。当時のお父さんは、仕事が終われば部下や上司、取引先の接待に追われ、子供達を大学に送り、マイカーと一戸建ての家を手に入れ、休日はゴルフに出掛けなけりゃ一人前じゃないかのような風潮の中で毎日を戦っていたわけで、自分の身なりをどうにかするヒマなどなかったのだ。今じゃとても受け入れられない価値観だけど、彼らが払った犠牲と献身の上に『今』がある。こんな敬意を込めた意味での「ダサいファッション」を見慣れていたぼんくらオヤジにとって、洗練されたスーツを身にまとったアラン・ドロンは、まさに現実離れした映画の住人だった。それだけに、怪獣映画のヒーロー並みに感情移入もしやすくて、大人になった自分をドロンと重ね合わせて夢(正確には妄想)を膨らませることのできるCMだった。当時の大人はどんな思いで観てたのかな?





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アルマイトの弁当箱 [雑貨]

アルマイトの弁当箱1.jpg 鈍い銀色の表面。フタを開閉した時の独特の感触と擦れ合う音。中にぎっしりと詰まったご飯とおかず。給食の普及とともに日常生活からは消えちゃったけど、運動会や遠足などにはしっかりと顔を出し、ボクらの思い出に彩りを添えてくれたのがアルマイトの弁当箱だった。
アルマイトの弁当箱2.jpg アルマイトは、腐食を防ぐためにアルミに酸化皮膜を施したものだ。初めは『ドカベン』で有名な味も素っ気もない代物だったけど、オフセット技術の進歩でフタに絵柄を印刷できるようになって、戦後の大ヒット商品になった。買った時には鮮やかだった絵が、だんだんくすんだり削れたりして消えていくの切ない思いで見ていた人も少なくないんじゃない? 
アルマイトの弁当箱3.jpg アルマイトの弁当箱はその後も進化を続け、ゴムのパッキングを付けたフタを両サイドのローラーでパチンと留めるタイプが出てからは、おかずの汁が漏れ出して教科書やノートを汚すことも無くなった。ご飯とおかずの間を仕切り、フタの脇に箸入れを実装した『中学生用ブック弁当』なんかは、百貨店に行列ができるほどの人気だった。
 昭和60年代には、弁当箱の主役はプラスティック製品に取って代わっちゃったけど、今でもアルマイトの弁当箱は現役選手だ。スーパーや雑貨店に行ったら、手に取ってみない? きっといろんな記憶が甦ってくるよ。


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B級玩具傑作選 - スモーキング・モンキー [遊び]

smokingmonkey.jpg “けむり”で思い出したんだけど、4~5センチのサルの座像に白っぽいスティック状の“タバコ”を加えさせると、サルが間隔をおいてプカぁ~、プカぁ~って丸い煙の輪っかを吐き出すオモチャがあった。レア・アイテムで、駄菓子屋で売っていることは希だった。だからお祭りや縁日が勝負で、夜店を血まなこになって探し歩いたんだよね。あれば狂喜乱舞、なければテキ屋の兄さんたちに、
「次のお祭りには必ず持ってきて!」
 なんて、恐れも知らぬ要求を叩きつけて憂さを晴らしてた(^^;;;
 このオモチャの名前、知ってる? 実はぼんくらオヤジも、この記事を書くために調べて、初めて知りました。『スモーキング・モンキー』だそうな。日本製ということ以外は残念ながら製造元も不明(分かる人、教えてください)。現在は、これまた残念なことに入手不可とのこと。元々、このお猿さんは国内向けに作られたものじゃなく、主にアメリカに輸出されていたようだ。道理で安定して手に入らなかったわけだ。
 一時期、逆輸入ものが若者向けの雑貨店に並んでいたこともあるようだけど、4,000円を軽く超える値段だったらしい(笑)。ぼったくりの夜店でも100~200円だったはずだから、これは最早、暴挙だね(笑笑笑)。
 スモーキング・モンキーでもうひとつ、記憶に残っているのは煙の臭いだ。本体も結構、熱くなってたから、もしかすると本体が焼けるか溶け出したのかもしれないけど、親が、
「外で遊びなさいっ」
 って怒鳴るぐらい、火をつけると強烈な臭いが漂った。どういえばいいのかな、今の子には意味のない説明なんだけど、セルロイドが燃える時に放つ刺激臭とよく似ていた。タバコか本体がセルロイドだったのかもしれないけど、今回は取材不足で確かめることができなかった。分かったら報告するね♪


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B級玩具傑作選 - ようかいけむり [遊び]

ようかいけむり表.jpg 『ようかいけむり』は、ぼんくらオヤジが当時のB級玩具ベストテンに是非とも入れたい実に怪しげなアイテムだ。
 オドロオドロしい幽霊や妖怪が表紙に描かれている手帳サイズのカードで、裏面のハトロン紙を剥がすと、中央部分にけむりの元が塗ってある。触ると何ともいえないネチョーっとした薬剤が指に付くんだけど、これを親指と他の指に付けて、くっつけたり離したりすると、あれあれ不思議、指の間からけむりが立ち上るのだ。正確にいうとけむりじゃなくって、フワフワした繊維状の物体が宙に漂う。ただそれだけのことなんだけど、これが結構、クセになるんだよね。
ようかいけむり裏.jpg あんまり夢中になると漂っていたけむりが辺り一面に落ちて、そこいら中が鳥もち状態になっちゃうよ。まだ駄菓子屋さんか祭りの出店で手に入るけど、なるべく外で遊ぶべし。さもないと奥さんがようかいになるかもよ(^^;;;





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カッターナイフ以前につかっていたもの - 肥後守 [文具]

higonomori.jpg ←この刃物を見て「アッ」と思った人!? 
 ぼんくらオヤジは、思わずポンと膝を叩きましたぜ! これ、使ってたんだもん。そうだよ、ハナっからカッターナイフを使ってたんじゃなかった。仲良しだったのに久しく忘れていた友人と再会したような気分だ。懐かしくもあり、申し訳なくもあり。時に結構な怪我をしながらも、ぼんくらオヤジはこのナイフで刃物の扱い方を覚えたのだ。折り目に沿って刃を滑らせて紙をカットしたり、鉛筆や竹ひごを削ったり、プラモデルのパーツに残ったバリを取ったり。
 『肥後守(ひごのかみ)』。このナイフの名前なんだけど、知ってた? ぼんくらオヤジはどうだったかなぁ? 肥後守なんて知らなかったような気がするんだけど、記憶があやふやで何とも(^^;;; 
 肥後守の作りは実にシンプルだ。一枚の金属板を折り畳んだものが、刃が折り畳まれている時にはサヤに、刃を引き出した時には柄になる。刃にロック機構は付いてなくて、刃の末端に突き出た『チキリ』と呼ばれる出っ張りを、親指で押さえながら使用する。簡易式のものは、チキリすら付いていない。
 このタイプは既に19世紀の末に考案されていて、安くて壊れにくいことから、戦前には携帯ナイフとして全国に普及していたようだ。いつから『肥後守』と呼ばれるようになったのかというと、肥後の国(今の熊本)で作られていたナイフを兵庫県三木市の金物商と鍛冶職人が持ち帰り、そのイミテーションを製造販売したところからその名が付いたという説もあるが、本当のところは不明。ただ、全盛期にいちばん肥後守を製造していたのは間違いなく三木市だったわけで、ご当地と何らかの縁があることだけは確かな由。
 必須の文房具として子供達にも愛用された肥後守は、ぼんくらオヤジの生まれた昭和30年代に生産のピークを迎えた。でも、鉛筆削り器やカッターナイフの普及、30年代後半に多発した刃物による青少年犯罪の防止運動など、取り巻く環境の変化と逆風の中、静かに我々の生活から姿を消していった。
 現在、肥後守は永尾駒製作所(三木市)の登録商標になって生き延びている。今でも同製作所(OEMも含む)の製品を手に入れることができるよ♪ 値段は、200円程度の日用品から1万円以上もする贅沢品まで幅広い。ネットでカンタンに買えるみたいなので、懐かしくなった人はぜひ愛用品のリストに加えてちょーだい。


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昭和と平成をつないだ冷凍みかんのお話 [食]

冷凍みかん02.jpg 先の記事に登場した『冷凍みかん』。ぼんくらオヤジは旅行しか連想できなかったんだけど、
「給食にもよく出ていたね」
 というご指摘を頂いた。確かにそうでした! 相方のぼんくらオバンに、冷凍みかんから何を想像するかを尋ねたら、あっさり
「給食~」
 という答えが返ってきた。中2と小5の息子達にも聞いたところ、覚えていないとのこと。地域差はあるだろうけど、今の子供達には、あまり馴染みのある食品じゃないみたい。してみると、昭和40年代の子供達と冷凍みかんの関わりは特別なものだと言っていいだろう。
 冷凍みかんが世に出たのは昭和30年。当時は季節商品だったみかんだけど、これを1年中食べられるようにと、マルハ(当時の大洋漁業)と鉄道弘済会が共同で開発したのが冷凍みかんだった。
「“開発”だなんて大袈裟だなぁ。みかんを冷凍しただけでしょ」
 と思うかもしれないけど、これがそうじゃないんだな。
 みかんをそのまま冷凍すると、凍って膨張した水分が細胞膜を破ってみかんの外に出てしまい、本体がパサついてしまうのだ。これを防ぐために試行錯誤を重ねた結果、急速冷凍して水に浸けるという行程を繰り返して、みかんの表面に氷の膜を作るというアイデアが誕生した。冷凍みかんの皮をむくときにパラパラと落ちた氷は、こうしてわざと付けられたものだったわけだ。
冷凍みかん01.jpg 使用するみかんも特に甘みの強い品種を選んである。シャーベット状のものを食べるため、普通のみかんでは甘みが貧弱に感じられてしまうためだ。しかも、みかんは低温で寝かすと甘味が増すという不思議な特性をもっていて、甘味の強いみかんは更に甘味を増し、冷凍みかんの風味を更に良くしてくれる。
 道理で、家の冷蔵庫で同じものが出来なかったわけだ。駅で売ってるのは凍っていてもサクサクと食べられるのに、ただ冷凍したものはカチンカチンに凍って、歯が立たないどころか皮すらむけなかったもんな。いや、待てよ。駅で買ったものも、まれにカチンカチンのものがあったぞ。
 そんなことを思い出しながら資料を集めていたら、面白いことを知りましたぜ!
「あんまり食べると胃腸が冷えてお腹をこわす」
 こんな類のことを大人から言われた記憶ってない? ぼんくらオヤジは、よく母親から言われたなぁ。食い意地がはってたから無理もないんだけど(笑)。これが間違いってワケじゃないんだけど、製造方法に欠陥のある業者がいたり、一度溶けちゃったものを再冷凍する売店もあったりで、お腹に入る時点で品質に問題のあるものも少なからずあったらしい。買った時点でカチカチだった冷凍みかんは、これだったんじゃないかなぁ(恐怖)。
 冷凍みかんの製造出荷は昭和40年代にピークを迎え、その後はアイスクリームや缶入り飲料などにシェアを奪われて急速に売り上げを落とし、我々の記憶から消えていく。
冷凍みかん03.jpg それが近頃、スーパーの冷凍食品売り場に復権しているという話をぼんくらオバンから聞き、早速、近所のAPITAに行ってみた。ありましたありました! コーナーの一角に山のように積まれていたよっ(喜)。いつ頃から扱い始めたのか店員さんに質問してみたんだけど「分からない」とのこと。帰宅して調べてみたら、どうやら2006年にマイナー・ヒットした『冷凍みかん』という曲が火付け役になったようだ。2005年には年間90万個だった売り上げが、2006年には200万個近くに急上昇してるし。ピーク時の1000万個には遠く及ばないけど、たったひとつの曲で復権を果たせたのは、それだけ今のお父さん&お母さんの記憶に焼き付いていた食べ物だったからなんだろう。
「スーパーの冷凍みかんを買ってきたか」
 だって? もちろん買ってきましたとも! 地味な味わい。だけど氷の中にお日様の匂いがしっかりと封じ込まれていたよ♪ 売店のガラス・ケースからみかんを取り出した時のワクワクした気持ちや、曇った車窓を皮で拭いて叱られたこと、みかんの嫌いな友達が給食に出た冷凍みかんを机に隠して、教科書やノートをビシャビシャに濡らしたこと等々、次々に記憶が甦ってきた。味覚って凄いね!


■昭和生まれも平成生まれも冷凍みかんがお好き♪■



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食堂車はなぜ消えたのか? [テクノロジー]

昭和30年頃の食堂車.jpg ぼんくら少年は旅行が大好きだった。一度列車に乗り込むと、たとえ何時間でも、列車のガタンゴトンという音を聞きながら、車窓に広がる風景を飽きず眺めていた。どこに行くかなんて大した問題じゃなく、移動というプロセスそのものが面白くて仕方がなかったのだ。
 だから、車中でどう過ごすのかについては人並み以上にこだわりがあったわけで。お腹が減ってようがいまいが、駅弁にお茶(それも缶じゃなくてビニール容器[あるいは陶器]のほう)、それに冷凍みかんとカップのアイスは、何がなんでも買ってもらった。
「食べたばっかりじゃないの。我慢なさいっ」
「(ホーム中に響く大声で)イヤぁだぁ~~~~、買って買って買ってぇ!」
 これがもし自分の息子だったらブッ叩いて切り刻んでやるところだが、母は愛のゆえか、はたまた人々の冷たい視線から逃れたい一心でか、たいていは願いを叶えてくれた。
 だが甘いっ。ぼんくら少年の野望はこれに留まらなかったのだ。
 食堂車…。嗚呼、なんてステキな響きなんだろう。駅弁なんてただの雑魚。本当の狙いは食堂車。ビュフェ(ビュッフェ)はダメだよ! 飲み物と軽食しかないし、おまけにタバコの煙が凄いし。ヨタヨタしながら通路を歩き、いくつもの車両を通り抜けると、ひと味違ったドアに突き当たる。このドアを開けると、いい匂いと一緒に、テーブルとイスの並ぶ明るい車内が目に飛び込んでくる。きゃー、憧れの食堂車についに辿り着いたんだ、生きててよかった(って小学生だろうが^^;)。
ひかりの食堂車.jpg 席について備え付けのメニューを広げる。ほとんどが定食だ。目を輝かせる息子に、値段をみて青ざめる母。ビーフステーキ定食を注文する息子にコーヒーだけを注文する母。嬉々としてステーキにかぶりつく息子に美味しくもないコーヒーをすすりながらボーッとする母。クソっ、なんてガキなんだ。きっとロクな大人にならないぞっ(ホントにそうでした^^;;;)。
 高いわりには、そんなに美味しくなかったし(笑)。でも目まぐるしく変わる景色を楽しみながらの食事は、例えようもなく楽しいものだった。自分が旅の主役だとすると、食堂車はさしずめ最良の舞台だったのだ。
 その食堂車が、気付いた時には姿を消していた。ぼんくらオヤジが大学生の頃には普通にあって、結婚した頃には無くなっていたんだから、1980年代の後半あたりに分岐点があったってことかな。気になって調べてみたら、中央東線の急行『アルプス』、信越本線の『信州』『妙高』なんかは1976年に廃止されていた。思いの外、早かったなぁ! 特急も、その10年後に『おおとり』と『オホーツク』の営業終了を持って在来線から姿を消してしまっていた。現在ではブルートレインの『北斗星』『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』で細々と営業を続けているだけ。ビュフェに至っては、JR九州久大本線の『ゆふいんの森』に連結されているものしか現存していないらしい。新幹線も食堂車は2000年に、ビュフェは2003年をもって営業を終了してしまったようだ。
 どうして無くなっちゃんだろう? これも調べてみた。
ビュフェ.jpg まず旧国鉄時代に遡ると、1972に起きた北陸トンネル火災事故の原因が食堂車の石炭コンロってことになって、電気コンロを装備していない食堂車が使用禁止になったのに、財政難で新たな食堂車が作れなかったっていうのが第一の理由。
 第二の理由は、狭くて常に揺れる厨房で、お定まりの料理しか作れないという仕事がコックさんに不人気で、ただでさえ慢性的な要員不足だったところにもってきて特急列車の増発で食堂車が増えてしまい、ついには運営自体が難しくなったこと。
 第三の理由が面白い。自由席代わりにコーヒーやビール一杯で長時間、席を占領するマナーの悪い客が増えて経営が圧迫されたというのだ。たしかに自由席に座れなかったら食堂車に行くよね(笑)。どっちにも座れるんなら、ゆったりとした食堂車で目的地に行きたいと思うかもしれないし。
 最大の理由は、第四のスピードアップによって乗車時間が短縮したことと、長距離移動が列車から飛行機にシフトしたことだ。ぼんくらオヤジも覚えてるけど、短時間の乗車で食堂車を利用するのは勇気が要った。せっかく指定席券を買ったのに、席に着いた途端に食堂車に移動して、時計をみながらヒヤヒヤして食事を摂り、大慌てで席に戻ったときにはもう目的地なんてことになるのだ。ぼんくらみたいな素晴らしい乗客ばかりだったらともかく、普通はこんなバカな乗り方はしないもんな。
 他にも、「コンビニ弁当を持ち込んだほうが安くて美味しい」という乗客が増えた等々、なるほどと思える理由が多々あり、最終的には消滅の止む無きに至ったということらしい。ん-、そっか。仕方なかったんだな。
 でも、昭和に味わったあの楽しさ、どうにか復活させてもらえないかなぁ! 採算を無視できないのは分かるけど、無駄を邪魔者にされると『旅』が成立しなくなっちゃうよ。無駄が必ずしも無価値じゃないってことを実感できるのが旅なんだから。それが可能だった昭和って、もしかしたらもの凄く贅沢な時代だったのかもね。





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