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食堂車はなぜ消えたのか? [テクノロジー]

昭和30年頃の食堂車.jpg ぼんくら少年は旅行が大好きだった。一度列車に乗り込むと、たとえ何時間でも、列車のガタンゴトンという音を聞きながら、車窓に広がる風景を飽きず眺めていた。どこに行くかなんて大した問題じゃなく、移動というプロセスそのものが面白くて仕方がなかったのだ。
 だから、車中でどう過ごすのかについては人並み以上にこだわりがあったわけで。お腹が減ってようがいまいが、駅弁にお茶(それも缶じゃなくてビニール容器[あるいは陶器]のほう)、それに冷凍みかんとカップのアイスは、何がなんでも買ってもらった。
「食べたばっかりじゃないの。我慢なさいっ」
「(ホーム中に響く大声で)イヤぁだぁ~~~~、買って買って買ってぇ!」
 これがもし自分の息子だったらブッ叩いて切り刻んでやるところだが、母は愛のゆえか、はたまた人々の冷たい視線から逃れたい一心でか、たいていは願いを叶えてくれた。
 だが甘いっ。ぼんくら少年の野望はこれに留まらなかったのだ。
 食堂車…。嗚呼、なんてステキな響きなんだろう。駅弁なんてただの雑魚。本当の狙いは食堂車。ビュフェ(ビュッフェ)はダメだよ! 飲み物と軽食しかないし、おまけにタバコの煙が凄いし。ヨタヨタしながら通路を歩き、いくつもの車両を通り抜けると、ひと味違ったドアに突き当たる。このドアを開けると、いい匂いと一緒に、テーブルとイスの並ぶ明るい車内が目に飛び込んでくる。きゃー、憧れの食堂車についに辿り着いたんだ、生きててよかった(って小学生だろうが^^;)。
ひかりの食堂車.jpg 席について備え付けのメニューを広げる。ほとんどが定食だ。目を輝かせる息子に、値段をみて青ざめる母。ビーフステーキ定食を注文する息子にコーヒーだけを注文する母。嬉々としてステーキにかぶりつく息子に美味しくもないコーヒーをすすりながらボーッとする母。クソっ、なんてガキなんだ。きっとロクな大人にならないぞっ(ホントにそうでした^^;;;)。
 高いわりには、そんなに美味しくなかったし(笑)。でも目まぐるしく変わる景色を楽しみながらの食事は、例えようもなく楽しいものだった。自分が旅の主役だとすると、食堂車はさしずめ最良の舞台だったのだ。
 その食堂車が、気付いた時には姿を消していた。ぼんくらオヤジが大学生の頃には普通にあって、結婚した頃には無くなっていたんだから、1980年代の後半あたりに分岐点があったってことかな。気になって調べてみたら、中央東線の急行『アルプス』、信越本線の『信州』『妙高』なんかは1976年に廃止されていた。思いの外、早かったなぁ! 特急も、その10年後に『おおとり』と『オホーツク』の営業終了を持って在来線から姿を消してしまっていた。現在ではブルートレインの『北斗星』『カシオペア』『トワイライトエクスプレス』で細々と営業を続けているだけ。ビュフェに至っては、JR九州久大本線の『ゆふいんの森』に連結されているものしか現存していないらしい。新幹線も食堂車は2000年に、ビュフェは2003年をもって営業を終了してしまったようだ。
 どうして無くなっちゃんだろう? これも調べてみた。
ビュフェ.jpg まず旧国鉄時代に遡ると、1972に起きた北陸トンネル火災事故の原因が食堂車の石炭コンロってことになって、電気コンロを装備していない食堂車が使用禁止になったのに、財政難で新たな食堂車が作れなかったっていうのが第一の理由。
 第二の理由は、狭くて常に揺れる厨房で、お定まりの料理しか作れないという仕事がコックさんに不人気で、ただでさえ慢性的な要員不足だったところにもってきて特急列車の増発で食堂車が増えてしまい、ついには運営自体が難しくなったこと。
 第三の理由が面白い。自由席代わりにコーヒーやビール一杯で長時間、席を占領するマナーの悪い客が増えて経営が圧迫されたというのだ。たしかに自由席に座れなかったら食堂車に行くよね(笑)。どっちにも座れるんなら、ゆったりとした食堂車で目的地に行きたいと思うかもしれないし。
 最大の理由は、第四のスピードアップによって乗車時間が短縮したことと、長距離移動が列車から飛行機にシフトしたことだ。ぼんくらオヤジも覚えてるけど、短時間の乗車で食堂車を利用するのは勇気が要った。せっかく指定席券を買ったのに、席に着いた途端に食堂車に移動して、時計をみながらヒヤヒヤして食事を摂り、大慌てで席に戻ったときにはもう目的地なんてことになるのだ。ぼんくらみたいな素晴らしい乗客ばかりだったらともかく、普通はこんなバカな乗り方はしないもんな。
 他にも、「コンビニ弁当を持ち込んだほうが安くて美味しい」という乗客が増えた等々、なるほどと思える理由が多々あり、最終的には消滅の止む無きに至ったということらしい。ん-、そっか。仕方なかったんだな。
 でも、昭和に味わったあの楽しさ、どうにか復活させてもらえないかなぁ! 採算を無視できないのは分かるけど、無駄を邪魔者にされると『旅』が成立しなくなっちゃうよ。無駄が必ずしも無価値じゃないってことを実感できるのが旅なんだから。それが可能だった昭和って、もしかしたらもの凄く贅沢な時代だったのかもね。





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ちびた

こんにちは

昔、新幹線の食堂車には行ったことがあります。
何を食べたのか全然覚えていないんですが、すごくいい匂いがして、
ワクワクして楽しかった記憶だけが残っています。

食堂車はそれ以外に記憶が全然ないですね。
冷凍ミカンはたくさん記憶にありますけど(^^;)

いくつかの理由の中で第三の理由が一番さみしかったです
気持ちはわかりますけどね・・・

by ちびた (2009-07-01 17:52) 

ぼんくらオヤジ

ちびたさん、コメントありがとうございます♪
そーなんです、列車で旅行するだけでも楽しいのに、
プラスαでワクワク感が増しますからねぇ♪♪♪
目の前の1円玉や5円玉を夢中になって拾ってる間に、
1歩先の万札が風でどっかに飛んでっちゃう。まあ、
短期的な得は長期的にみて損な場合が多いですよね。
※冷凍みかんをたくさん食べたんですね。あれって
そんなに美味しいわけじゃないし、溶けきっちゃうとそれは
それは不味いもんなんですが、なぜか欲しくなっちゃう。
不思議な食べ物でした(笑)。
by ぼんくらオヤジ (2009-07-01 18:43) 

s-img

冷凍ミカン懐かしいですね。
給食とかで良く出てきてました :-)
by s-img (2009-07-01 20:27) 

ぼんくらオヤジ

s-imgさん、nice&コメント感謝です♪
冷凍みかんが給食にも出てたこと、すっかり忘れてました。
覚えてるようで、結構、記憶が吹っ飛んでますねぇ(^^;
by ぼんくらオヤジ (2009-07-01 20:59) 

斗夢

第3の理由には本当に困りましたね。
なかなか空かないから立って待っていなければならない。
指定席が取れなかったらそれもいいけど。
by 斗夢 (2009-07-02 05:12) 

ぼんくらオヤジ

斗夢さん、nice&コメントありがとうございます♪
頂いたコメントに返信していて思い出したんですが、
確かに混んでいて座れずに戻ったことが多々ありましたね。
座れても相席だったりして。ぼんくらオヤジは初対面の方と
お喋りするのが大好きなんで気になりませんけど、そういうのが
イヤだったら、お金を払って拷問を受けるようなもんです。
ドMの人なら話は別ですが(笑)。
by ぼんくらオヤジ (2009-07-02 09:26) 

たかぽん

消えた理由

うーむ

youtubeを見てみると、うまそうに見えない料理だからかも。。。。

高くて、しょぼい料理


by たかぽん (2009-07-02 10:02) 

ぼんくらオヤジ

たかぽんさん、コメントありがとうございます♪
ぎゃははは、高くてしょぼい料理ですか、それ当たってるんです。
直火を使っての料理が出来なくなってからというものは、
調理済みのものを電子レンジで温めるだけという惨状で、
とてもじゃないけど、まともな代物ではなかったようですね。
末期に至っては牛丼やタコ焼き等々、スーパーのインショップ
並みのメニューだったとのこと。駄目になるべくしてなったんですね。
皮肉なことに、プレ調理や電子調理器の発達した今では、
素晴らしい料理が出せるようです。ですが旅費も含めて出費も
素晴らしいようで、ぼんくらには全く手が出せません(号泣)。

by ぼんくらオヤジ (2009-07-02 12:01) 

ごんべえ

ビュフェ・・・子供の頃(題名は忘れましたが)「新幹線の本」に乗っていたビュフェの本を見て
新幹線に乗りたい!と思ったものの
まさに高嶺の花・・・

大人になるまで「じっと我慢の子」で待ちましたが
いざ大人になるとビュフェはほぼ壊滅状態・・・
いつかビュフェで食事を・・・の夢は藻屑と消え去ったのでした(涙)。

味はともかくとして(笑)。走る列車内で食べるというワクワク感が
子供心を刺激しましたね。
by ごんべえ (2009-07-02 12:49) 

ぼんくらオヤジ

あ、ごんべえさんだ(^^)/~~~
我慢して、大人になった時には無くなってたなんて悲しすぎる(T-T)
そりゃあ、どっかでリベンジしませんと。意中の人とヨーロッパに行って
オリエント・エキスプレスで食事、なんてのはどーすか!?

子供の頃、ホントにそう思ってましたが、味なんてどーでもよかったんです。
とにかく食堂車は、ディズニーのアトラクションみたいな存在でしたねぇ。
by ぼんくらオヤジ (2009-07-02 13:16) 

みおのとおちゃん

子供の頃、話に聞いて乗ってみたかった記憶があります。

地方都市に住んでいると選択肢に鉄道ってなかなかあがらなく、いまだ機会がありません。
乗ってみたかったなぁ・・・・。

by みおのとおちゃん (2009-07-02 15:17) 

ぼんくらオヤジ

みおのとおちゃんは列車に乗るチャンスがなかったんですねぇ。
ぼんくらは親戚が日本中に飛び散って暮らしているので、
何かがあれば列車の長距離移動が必至だったんです。
したがって食堂車を狙うチャンスも多かったわけで、ひひひ。
みおのとちゃん家の家族旅行は、もっぱらクルマですか?
by ぼんくらオヤジ (2009-07-02 15:46) 

solty

目的地までの時間を楽しむ。すごく贅沢な時間だったのかも知れません。
by solty (2009-07-08 11:16) 

ぼんくらオヤジ

soltyさん、それって旅の真骨頂ですよね。でないと、
単なる点から点への移動になっちゃいますから。
by ぼんくらオヤジ (2009-07-08 12:28) 

佐世保さくら

初めまして。食堂車・時計で検索してここにたどり着きました。

私は生まれが昭和40年代後半ですが、ぼんくらオヤジさんと同様、旅好きで列車で飲み食いするのが好きな男です。駅弁、それ以上に食堂車・ビュフェが好きでした。
私は寝台特急と新幹線の食堂車でしか経験がありません。そして昼行特急の食堂車経験は全くありません(廃車をレストラン化したものならありますが)。ビュフェは新幹線とJR九州の在来線つばめだけです。
九州ブルトレから食堂車(売店車)がはずされることはとても寂しいものでした。売店でも営業してなくても、必ず食堂車へ行きテーブルに缶ビールや弁当を広げて食べていました。独特の音の響きでしたね車内は。

ビュフェとうきょうのコーヒー、都ホテルのうなぎ御膳、日本食堂・JD・JWのうなぎ定食、きじ焼き定食(?)、ビーフシチュー定食、フォレスト風ハンバーグステーキ定食、ステーキセット、さくら号で食べた和朝食のシジミのみそ汁とわさび漬け、スモークサーモン、牛肉のタタキ(100系にて)、帝国ホテルのカレー・・・・、微かですが覚えています。
電子レンジ温めのJR九州つばめのビュフェでも、軽食・お酒楽しみました。簡単なビュフェですが、時には客室乗務員さんが声をかけてくださいましたし、最高の肴、というか目のご馳走に、旧鹿児島本線の東シナ海の水平線や八代海など、きれいな素晴らしい景色がありました。

そこでしか味わえないのに、何で客は来ないのか。消えるからといって、駆け込む客はいったい何なのか。さびしいです。あと、フリースペースのない長距離列車(新幹線)はしんどいです。

長々と失礼いたしましたm(--)m。
by 佐世保さくら (2010-08-03 20:54) 

福島 金子誠

漫画まことちゃんで最高に食堂車のネタやってました「びちぐそかれー」
んでもって俺も子供の頃に夏休みの家族旅行でL特急ではまずあの車内販売のくそ硬いカップアイス 冷凍みかん更に上野から帰りにはまことちゃんよろしく親父に頼んで食堂車485系のひばり赤とクリームのやつスパゲティ頼んだが無いのでサンドイッチ(子供ごころでも残念)その後青とクリームの奴の食堂車にのれず仙台のサシー581の二両の東ぐちの電車ラーメンポイントには、家族と後その後女の子と行きました。
親には子供の時「まことは食道とかでズラとみて高いの注文する近所の同級生はカレーしか頼まないいい子」言われてた・・
大人になったら〜なんにな〜る〜(笑)
両親とドライブ運転者俺のみ食事「またまたパイロット特別メニュー更に高いの〜(笑)」
福島 金子慎 080(3334)8119
今現在その影響でボロのムーブターボ軽 の後部座席運転席の後ろ42Lの冷凍冷蔵庫搭載助手席後ろテーブル付き冷蔵庫のなか飲みもんお貸しつまみたくさん搭載しております。
by 福島 金子誠 (2015-03-29 21:22) 

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