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ぼんくら(BlogPet)

ぼんくら雪之丞は百人がほしいな。
ぼんくらオヤジもほしいかな?

*このエントリは、ブログペットの「ぼんくら雪之丞」が書きました。

白バイ野郎ジョン&パンチ [テレビ]

ジョン&パンチ.jpg 日々お世話になっているブロ友、ダーさんのアイコンを観る度に懐かしい思いでいたんだけど、今日は昭和52年(1977)から昭和58年(1983)まで放送されていたアメリカのTVドラマ『白バイ野郎ジョン&パンチ』を取り上げてみるね。
 原題は "CHiPs"。CHiPsは "California Highway Patrol" の頭文字CHPから作られた愛称なんだけど、ドラマもCHiPsのセントラル分署に配属されている2人の警官ジョン(Jon ※"Jonathan"の愛称なので"John"じゃないよ)ことジョナサン・アンドリュー・ベイカーとパンチ(Ponch ※アメリカではフランク"Frank"と呼んでいる)ことフランシス・ルエリン・パンチョレロを軸に展開する警察ものだ。
 ジョン役はラリー・ウィルコックスで声優は田中秀幸、パンチ役はエリック・エストラーダで声優は古川登志夫が担当した。ただし、ジョンは第5シーズンをもって実家の農場を手伝うために退職してしまったので、第6シーズンではパンチの相棒がトム・ライリーの演じるボビーに交代した。ボビーの声優は太川陽介だった。
 実はこのジョンの交代劇なんだけど、名コンビを演じていたラリーとエリックが、実際は不仲だったからだと言われているよ。初顔合わせ以来ギクシャクしていたんだけど、ドラマがヒットしてパンチの人気が突出するようになって関係はいよいよ悪化し、第5シーズンに入って耐えられなくなったラリーが降板。観ているほうからすれば、いかにも唐突としかいいようのない相棒交代劇になっちゃった。ドラマのタイトルも『白バイ野郎パンチ&ボビー』に代わったよね(笑)。
ラリー・ウィルコックス.jpg ラリーは降板後も俳優やディレクターの仕事を続け、平成10年(1998)には再び『帰ってきた白バイ野郎ジョン&パンチ "CHiPs '99"』でエリックとコンビを組んだりしていたんだけど、62才になった今ではビジネスに軸足を移していて、大会社の経営責任者として活躍しているよ。
エリック・エストラーダ.jpg エリックは相変わらず俳優として元気に活躍している。御年60才。ちょっとお腹は出てきたけどね(笑)。プエルトリカンの血を活かしてスペイン語のドラマで大当たりしたり、最近ではカートゥーン・ネットワークのアニメ "Sealab 2021" で声優を務めるなど、多彩な活動で知られている。
 血なまぐさい題材の多い警察ドラマだけど、ジョン&パンチはあくまで明るく、親切で温かみのある警察を描いた本当に気持ちのいいドラマだったよね。警察の日常が違和感なく描かれていたのは、プロデューサーのリック・ロズナーが警察の広報官をしていて内情に詳しかったからなんだって。
 最後にジョン&パンチが乗っていた白バイだけど、あれはハーレイダビッドソンじゃなくて、なんとカワサキなんだって! 当時のCHPで実際に配備されていた "Z1000POLICE" というバイクだそうな。詳しい人がいたら教えてね♪



■イントロ初代バージョン 意外に知られてないかも 1977年■

http://www.youtube.com/watch?v=EAVtR21BrM4



■イントロお馴染みバージョン これが日本じゃ定番かな 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=VTDOLoDiOcg



■Mad TV版ジョン&パンチ 18禁! 品行方正な人は観ないでね^^;■

http://www.youtube.com/watch?v=hAPiG993F10


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B級玩具傑作選 - 変装鼻メガネ(グルーチョ眼鏡) [遊び]

変装鼻メガネ.jpg 東京の実家で押し入れを物色したら、錆び付いたメリーキャンディの缶から変装用の鼻メガネが出てきた。今となっては、ぼんくらオヤジも含めて3人の子どもたちのうちの誰が買ったのかも分からない。駄菓子屋さんの定番だったから、一度は買ったことがあるんじゃない?
 これ、日本じゃあまり知られてないけど、『グルーチョ眼鏡(Groucho glasses)』として、1940年代のアメリカで登場したパーティグッズなんだよ。
グルーチョ・マルクス.jpg グルーチョは余りにも有名なアメリカのコメディアン『マルクス兄弟』のひとり。写真を見てもらえば、すぐに納得できるよね(笑)。マルクス兄弟としての活動は昭和21年(1946)の解散を持って終わっちゃうけど、グルーチョはその後も昭和52年(1977)に亡くなるまでテレビやラジオで活躍したので、グルーチョ眼鏡はその独特の風貌が長らく愛された結果なんだろうね。日本のコメディアンにも深い影響を与えていて、浅草の喜劇人だった長田キングなんかはグルーチョをそっくり真似て自らを「和製マルクス」と号していたし、ボクらに馴染み深いところではザ・ドリフターズの加藤茶と志村けんがグルーチョへのオマージュとしてヒゲダンスをやっていた。ぼんくらオヤジの弟が、この鼻メガネをかけてヒゲダンスをやってみせる度に、
変装用鼻メガネ2.jpg「メガネをかけてるから偽ダンスだぁ!」
 なんてヤジったりしてたけど、あれってルーツから言えば正しかったんだね^^;
 そんなことを思い出しながら見つけた鼻メガネをかけていたら、
「まっ、50にもなってあなたという人は…」
 と、母がケタケタと笑った。目尻に涙を溜めて。たわいもない子ども時代のガラクタだけど、母が捨てずにいた訳が分かったような気がしたよ。



■グルーチョ・マルクスが兄のハーポと演じる名演技をどうぞ♪■

http://www.youtube.com/watch?v=SjznonoAq3U



■加藤茶と志村けんのヒゲダンス グレープフルーツ編です■

http://www.youtube.com/watch?v=zmcxBg4IqBg


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明日から平常に戻ります♪ [業務連絡]

 予定を1日オーバーして名古屋に戻りました^^
 十二分に充電して、心身ともに再生出来たと思うんですが、やれやれ、すっかり怠け癖が付いちゃって、全然、頭が回転しません(笑)。
スナイパー.jpg どのみち今晩は、頂いたコメントに返信を付けたり、伺ったブログの拝読できていない部分に目を通しているうちに終わっちゃうと思いますので、記事のアップは諦めて、そちらに集中したいと思います。
 お休み中に頂きました温かいコメント、心から御礼を申します。結果が出るのは数週間先なので安心は出来ませんが、何もなければ来年の梅雨までは入院とは無縁でいられます♪ どうか改めまして、今後ともよろしくお願い申し上げます。
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今日(6日)と明日(7日)はお休みします^^ [業務連絡]

[この記事は予約投稿です]

 予定通りに今日の午前から明日の午後3時まで、都内某所の病院で検査入院をすることになりました。前回、お休み予告をした時に思いもかけずご心配を頂き、本当にありがとうございました。ぼんくらオヤジは持病の膠原病のために免疫系と臓器の検査を定期的にしているだけで、怖い病気の恐れがあってのことではありませんから大丈夫ですよ^^
入院.jpg それでも入院が嬉しくないことであるのに違いはなく、お寄せ頂いたご心配と励ましのコメントを祈りのレイとして首にかけて参ります♪ 重ねて御礼を申します。
 というわけで、本日(6日)と明日(7日)の投稿とブログ訪問は予定通りにお休みを頂きますね。7日は名古屋に直帰せずに、実家に泊まって母の話し相手になる予定でいます。ブロ友のファジーさんが仰っていた「ネットが使えないという幸せな時間」をかみしめたいと思います。


心からの感謝をもって

ぼんくらオヤジ拝
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シッカロール [テクノロジー]

なく声の大いなるかな汗疹(あせも)の児   高浜虚子

シッカロール1.jpg かつて赤ちゃんや小さい子どものいる家なら置いてあったベビーパウダー。なかでも和光堂の『シッカロール』はベビーパウダーという言葉以上に普及していたように思う。
 シッカロールが世に出たのは明治39年(1906)のことだ。和光堂薬局の開設者である広田長博士と東京帝大の丹波敬三教授が共同開発したものなんだけど、原型は江戸時代の民間薬にまで遡ることができる。
 貞享2年(1687)の『女用訓蒙図彙』という女性向けの心得書に、
「はまぐりがいをやきて、うどんの粉と粉まぜて布につつみて、ふるいかけてよし」
 なんていう汗疹の処方が書かれるんだよ。
 また、貝原益軒の弟子でお医者さんの香月牛山は、
「牡蠣粉、或いは葛の粉又は天瓜粉(天花粉)をすり塗りたるがよし、かくのごとくすれば夏はあせぼを生ぜず、いずれも皆粉を随分細かにしてぬるべし」
 と、『小児必用養育草(元禄14年[1703])』で赤ちゃんの汗疹用の薬を紹介している。いずれも貝殻を焼いて粉にした無機物とデンプンを組み合わせたものってことだよね。無機物の微細な粒子は肌に付けると毛細管現象によって水分を吸収し、デンプンは適度な保湿作用を持つ。決して皮膚を乾燥させるんじゃなく、無機物の微細粉を介在させることで皮膚同士の摩擦を少なくし、汗疹を出来にくくするわけだ。
シッカロール2.jpg 発売当時のシッカロールも基本は同じで、成分は亜鉛華(酸化亜鉛)40パーセント、珪酸塩鉱物の一種であるタルク(滑石)が40パーセント、そしてデンプンが20パーセントだった。これを薬局の片隅にあった4畳半の部屋で乳鉢で混合しながら細々と作っていたんだそうな(笑)。
 シッカロールはその後、当時としては急速にその存在を知られ、赤ちゃんの必需品として普及していった。
 そのシッカロールも最近では、すっかり影が薄くなっちゃったよね。昭和62年(1987)にタルクの一部からアスベストが検出され、安全性に疑問符が付いちゃったのが痛手だった。これは現在は厚労省の管轄下で厳密な原料管理が行われていて今は問題とされていないけど、これがきっかけで、厚く塗っちゃうと逆に汗腺を塞いでしまったり、赤ちゃんが粉を吸引して肺にタルクを蓄積してしまう危険性などが指摘されるなど、逆風は収まらず、市場には次々にシッカロールに取って代わる製品が投入され、シッカロールはいつの間にか主役の座から滑り落ちてしまった。
 最近では乳幼児以上の子どもたちや大人が使用するケースが増えてきて、再び売り上げが伸びてきているとのこと。多汗質の人はもちろん、ジトジトした季節にはあのサラサラ感が心地よいと再評価をされてのことだ。赤ちゃんに使用する時と同様、汗疹やただれを起こしやすい部位に、パフなどで薄く、撫でるように、あるいは軽く押さえるように塗るのがポイントだそうだよ。先にも書いたけど、くれぐれも厚塗りは厳禁だからね!
 ちなみにシッカロールという名前は、ラテン語で「乾かす」を表す "siccus" に由来するとのこと。明治末としちゃえらくハイカラな名前だったろうね。
 
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口裂け女(BlogPet)

ぼんくらオヤジの「口裂け女」のまねしてかいてみるね

「夜道を歩くと口裂け女に襲われる」と答えるというとし、違うパターンを諦めさせようものが口裂けてばかりもそう言い切れないんだと突っ込みたくなるようなのあった農民が声を用いてくることは耳元まで登場すると答えようと口は言い切れないんだ?
これはまったく根拠が文献として残って、マスコミが口裂け女の子どもがダントツに広まっている♪
もっとも震源地がしばしば断定的に復顔し、なんていう「バトルフィーバーJ見たか!?口裂け女」笑えます♪1979年末に起きた若い女に関する限り、もしかする始末で発生し、先の出身地だけど、岐阜日になっている人が出現し、身元確認される元祖都市伝説を外して、マスコミが学校中に語られ、江戸時代の遊郭で発生した農民一揆の間で、女が学校中に間違ってしまう♪
実は、彼らの関係だしたお初はもっと過去にウワサもそう言い切れるかとは言い切れないと突っ込みたくなるようなんだからだよ♪
■「バトルフィーバーJ見たか!?口裂け女」笑えます♪1979年(1970)1月18日付の新聞の「…これでも?」女は耳元まで大きく裂け女にアップされる元祖都市伝説を用いて、もしかする始末で斬り殺され、身元確認の口は言いきれないと子どもが小学5年生のお話だよ!
子どもが全国に伝わり、財政的憶測だけどね(笑)で斬り殺されて近隣に間違って近隣に美濃国郡上藩(笑)や吉原の伝説のひとつが声を外してばかりもいたから大阪万博のないの関係だし、違うパターンをかける。

*このエントリは、ブログペットの「ぼんくら雪之丞」が書きました。

口裂け女 [社会現象]

口裂け女1.jpg「わたし、きれい?」
 下校途中の子どもにマスクをした若い女が声をかける。子どもが
「きれい」
 と答えると、女はマスクを外して再び訊ねる。
「…これでも?」
 女の口は耳元まで大きく裂けている。もしこの問いに
「きれいじゃない」
 と答えようものなら、たちまち鎌や鋏で斬り殺されてしまう。
 有名な口裂け女のお話だ。口裂け女にはいくつかバリエーションのあることが確認されているから、違うパターンを覚えている人がいるかもしれないけどね。
 全国の小・中学生の間で口コミによって広まったとされる元祖都市伝説なんだけど、マスコミが取り上げたお初は、昭和54年(1979)1月29日付の岐阜日日新聞の「岐阜県加茂郡八百津町で、農家に住む老婆が離れの厠に向かう際に口裂け女を目撃した」という記事だとされている。
 そのせいなんだろうね、1978年末に岐阜県から全国に流布したという話がしばしば断定的に語られているけど、これは明らかに間違っている。なんでそう言い切れるかというと、ぼんくらオヤジが小学5年生の頃だから大阪万博のあった昭和45年(1970)には、既にこのウワサが学校中に広まってプチ・パニックを起こしていたからだ。
口裂け女2.jpg もっとも震源地が岐阜というのはまったく根拠がないとは言いきれないんだよね。先の新聞記事もそうだし、それから10年ほど遡る昭和43年(1968)8月18日に起きた飛騨川バス転落事故の調査中に事故とはまったく無関係の頭蓋骨が発見され、身元確認のために復顔したところ口が耳まで裂けていた、なんていう
「そんなにスゴい特徴なら復顔しなくたって頭蓋骨を見りゃ分かるだろ」
 と突っ込みたくなるような滑稽なウワサも岐阜発だ。
 ただ、笑ってばかりもいられないのは岐阜の歴史と口裂け女の関係だ。宝暦4年(1754)に美濃国郡上藩(現郡上八幡町)で発生した農民一揆の際に多くの農民が殺害され、彼らの怨念が恐れられ妖怪伝説となって近隣に伝わり、やがてその伝説のひとつが口裂け女のルーツになったという説があるのだ。
 さらには、財政的に余裕のない岐阜の家庭では、先の伝説を用いて、
「夜道を歩くと口裂け女に襲われる」
 と子どもたちに話して、当時流行り始めていた塾通いを諦めさせようとしたものが全国に広まったなどという説まで登場する始末で、こと口裂け女に関する限り、岐阜がダントツにウワサの宝庫であることは確かなのだ。もちろん、だからといって岐阜が口裂け女の出身地だとは言い切れないよ。
口裂け女3.jpg 実は、江戸時代の大窪百人町(現東京都新宿区)や吉原の遊郭で口裂け女が出現したという記述が文献として残っていて、もしかすると口裂け女のルーツはもっと過去に遡る可能性があるのだ。実は大陸伝来の伝説だったなんて資料が出てくることだってあり得る。これはぼんくらオヤジの希望的憶測だけどね(笑)。



■「バトルフィーバーJ 見たか!?口裂け女」 笑えます♪ 1979年■
※ 第29話の冒頭3分の1です。続きはYouTubeにアップされています。

http://www.youtube.com/watch?v=NpBOpGlWkMU


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ノッポさん [テレビ]

ノッポさん1.jpg ノッポさん。昭和42年(1967)から平成2年(1990)までNHK教育テレビで放送された『なにしてあそぼう』『できるかな』に登場する身長181センチのおじさんキャラだ。
 演じていたのは俳優であり歌手であり、そして作家でもある高見映さんだ。昭和9年生まれだから、ノッポさんを始めたのは33才の時で降板したのが56才。今年の5月で76才になるんだね。
 芸人の父を持ち、フレッド・アステアに憧れてダンサーを志すも芽が出ず、一時は自殺を考えるほど追い詰められたんだけど、すんでのところでノッポさんの役が転がり込んできた。以来、高見さんは23年間にわたって決して喋ることのないキャラを演じ続けることになる。
ノッポさん2.jpg その高見さんが口を開く日が来る。『できるかな』の最終回で、ノッポさんとして初めて子どもたちに語りかけたんだ。台詞は全部、アドリブ。喋り始めて間もなく、高見さんは、
「うわー、喋っちゃった」
 と漏らす。喋らないノッポさんへの決別を勝手にしてしまったという思いが、つい口をついて出たのだった。
 放送終了の反響は高見さんの予想を遥かに超えていた。ある日、街を歩いていたら、見知らぬ大人が高見さんに気付いて泣き出した。懐かしさと寂しさが込み上げてきたからだった。
「イメージ通りの声でした」
 と往来で声をかけてもらったこともあった。嬉しかった。随分と長い間やってきたんだなぁ、と感慨もひとしおだったという。イメージ通りの声だったからこそ、番組終了後もずっとノッポさんとしてやってこれたんだと、今では最終回で語りかけて本当によかったと思っているそうだ。
ノッポさん3.jpg フジテレビの『ひらけ!ポンキッキ』などの筆頭構成作家として台本を手がけたり、児童文学作家として50冊近くの著書を書き上げるなど多彩な活動を続ける傍らで、相変わらずテレビ番組や教育機関からはノッポさんとしての出演・講演依頼が後を絶たなかった。気付いてみれば、著作のほとんどは高見映ではなく『高見ノッポ』。幼児・児童教育の分野で長年の功績を認められて受賞した第58回放送文化賞は『高見のっぽ』に与えられた。
 特に平成17年(2005)に71才で初挑戦した短編ミュージカル『グラスホッパー物語』以降は、別に高見さんが自分で名乗っていたわけでもないのに、世間では高見のっぽという名前が定着しちゃった。
 相手の年齢や立場に関わりなく周囲に敬意を払う謙虚な姿勢や優しい人柄の故か、高見さんは子どもたちのことを、いつも『小さい人』と呼ぶ。
ノッポさん4.jpg「ぼくが嫌いなのは『子どもの目線』というやつです。大きい人は“子どもの目線で物事を考えなさい”とよく言いますが、ヘタをすれば小さい人のほうが目線は高いかもしれない。そういう思い上がりにまったく気づかない人を、ぼくは認める気になれません。実際、上から見下したような態度で物を言う大きい人を、5歳当時のぼくは軽蔑していました。“そんなこと言われなくてもわかってるよ。馬鹿にするな”って。小さい人というのは、それくらい油断できない相手なんです(東京都人権啓発センター刊『TOKYO人権 第30号』平成18年6月6日発行)」
 ボクらはノッポさんに遊んでもらい育ってきたんだけど、ノッポさんのような本当の意味での『大きい人』になれたんだろうか?



■「できるかな」 高見さんの軽快なタップダンスが見物♪ 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=RSlVCmDPrCo



■「できるかな」最終回 ノッポさんがしゃべった! 1990年■

http://www.youtube.com/watch?v=nUIy3aBDAyI



■「グラスホッパーからの手紙 - 忘れないで」 2005年■

http://www.youtube.com/watch?v=SwdkwC9scD8



■「グラスホッパー物語」 素晴らしい出来です♪ 2005年■

http://www.youtube.com/watch?v=0CzdXYlRMLk



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デンセンマンと電線音頭 [テレビ]

デンセンマン1.jpg ニューギニアの火力発電所から100万ボルトの送電線に乗って日本にやってきたヒーローは誰だ? 分からない? じゃあね、ツートンカラーの全身タイツに赤い裏地の黄色いマントをまとって、ガイシの付いた電柱が耳という出で立ちで分かるかな。ダメ? 最後のヒントは、マントにスズメが3羽留まっていて、電線音頭を踊るキャラだよ。もう分かったよね、デンセンマンだ。
 デンセンマンは昭和51年(1976)から昭和53年(1978)までNET(現テレビ朝日)で放送された『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』に登場した人気キャラクターだ。番組中の「キャンディーズの作法教室」というコーナーで、ベンジャミン伊東(伊東四朗)と小松与太八左衛門(小松政夫)と一緒に唐突に乱入して電線音頭を踊り、再び唐突に去るというシュールさがウケて一大人気キャラにのし上がった。
 キャラクターデザインは、なんと石ノ森章太郎が担当してたんだね。ちょっとピンと来ないような気もするんだけど、同時期に放送されていた『超神ビビューン』も彼の作品だったことを思えば納得がいく。
 ところでデンセンマンが踊っていた『電線音頭』だけど、デンセンマンのために作られた曲じゃないって知ってた?
デンセンマン2.jpg 元はといえば『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』の前番組だった『ドカンと一発!60分』で桂三枝が歌っていたものだったんだ。レコード化しても全然売れなかったんだけど、番組では評判が良かったので『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』に引き継がれて使われ、今度は伊東&小松コンビで『デンセンマンの電線音頭』として再販したら大当たりしたんだよね。
 子どもは友達同士でのおふざけに、大人は宴会芸としてホントに都合のいいネタだったから、未だに歌って踊れる人がいるんじゃない? ぼんくらオヤジは…覚えてました(笑)。今でも歌って踊れますっ(恥)


『デンセンマンの電線音頭』

作詞:田村隆 作曲:不詳 編曲:東海林修

デンセンマン3.jpgさあ! みなさん ご一緒にどうぞ!!
チュチュンガチュン チュチュンガチュン

(伊東)
電線に スズメが三羽止まってた
それを猟師が鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
ヨイヨイヨイヨイ オットットット
ヨイヨイヨイヨイ オットットット

(小松)
勉強は 国語 算数 理科 社会
休み時間に弁当食ってさ
先生にさ 呼ばれてさ 立たされてた
ヨイヨイヨイヨイ オットットット
ヨイヨイヨイヨイ オットットット

(デンセンマン)
裏山に UFOが飛んで来た
それを猟師が鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いて 食ってさ
ヨイヨイヨイヨイ オットットット
ヨイヨイヨイヨイ オットットット

チュチュンガチュン チュチュンガチュン

(スクールメイツジュニア)
僕んちは カラーテレビが 三台あってさ
パパは野球に ママドラマ
ぼくとさ 妹はさ お勉強さ
ヨイヨイヨイヨイ オットットット
ヨイヨイヨイヨイ オットットット

(全員)
キャンディーズ 淳子に百恵に ひろみくん
ドリフターズも大好きだけど
一番さ好きなのは デンセンマン
ヨイヨイヨイヨイ オットットット
ヨイヨイヨイヨイ オットットット

チュチュンガチュン チュチュンガチュン

(全員)
電線に スズメが三羽止まってた
それを猟師が鉄砲で撃ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
ヨイヨイヨイヨイ オットットット
ヨイヨイヨイヨイ オットットット


■正調「デンセンマンの電線音頭」■

http://www.youtube.com/watch?v=2bB9v7b20Fg



■「デンセンマンの電線音頭」フルバージョン■

http://www.youtube.com/watch?v=LgvKx5nPzcY


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