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父のアイテム - ローラー・シェーバー [雑貨]

ローラー・シェーバー1.jpg ぼんくらオヤジの亡父が使っていたもの。いっぱいあったはずなんだけど、今でも覚えてるものって意外に少ない。そんな数少ないアイテムのひとつが手動式の『ローラー・シェーバー』だ。小さなハードケースのチャックを開けると、手のひら大の四角いシェーバーが顔を出す。金属製のコアの表裏にプラスチックの化粧板を施したもので、見かけのわりには重い。ローラー状のカミソリ刃が回転する部分は弾力性のある金属製のメッシュ・カバーで覆われていて、この部分が顔に当たる。メッシュ・カバーを外せばローラー本体もカンタンに着脱できるので、掃除をするときは取り外したローラー表面に刻まれた螺旋状の刃を専用のブラシで掃けばよかった。
 ぼんくら少年は髭は生えていなかったから(笑)本来なら触ることも許されない道具だったんだけど、父親が髭を剃ったあとの掃除を買って出ることで、おおっぴらに道具の分解組み立てをすることができた。親公認で道具をいじり回せることなんてそうはなかったから、この作業を任されているときは大人の仲間に入れてもらったようで、ちょっぴり誇らしかった。
 やがて父は電動シェーバーを使うようになり、中学生になって髭剃りが必要になったぼんくら少年は晴れてローラー・シェーバーのオーナーとなった。でも使ったのは1年ぐらいだったかな。高校生になってからはカミソリを使うようになったので、ローラー・シェーバーは勉強机の引き出しに放り込まれたままとなり、その後は引っ越しを重ねるうちに姿が見えなくなってしまった。たぶん小物の整理をしているときに捨ててしまったんだろう。
ローラー・シェーバー2.jpg 名前はおろか存在自体も忘れて数十年が経った先日、たまたまヤフオクに出品されているローラー・シェーバーに出くわして、先述の記憶が堰を切ったように甦ってきた。それで気付いたんだけど、これってタダの懐古趣味じゃないんだね。ぼんくらオヤジもみんなもよく「懐かしい」って言うけど、これは安っぽいノスタルジーなんかじゃないんだよね。今の自分を支えてくれている大切な根っこを思い出したり気付いたりしたときの気持ちを、ボクらは「懐かしい」という愛おしい言葉で語ってるんじゃないだろうか。ぼんくらオヤジがローラー・シェーバーで思い出し、再確認したのは、今は亡き父との間にあった確かな絆だった。


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ボンナイフ? それともミッキーナイフ? [文具]

ボンナイフ1.jpg プラスチックのサヤにカミソリのような薄い刃が二つ折りで収納されているナイフがあったよね。スゴくよく切れるし場所も取らないから、カッターナイフが普及するまでは、肥後の守とともに小学生が持ち歩く文具のベスト5には入っていたと思う。
 ところで今日はぜひ、この記事を読んでもらったみんなに協力してもらいたいんだけど、いい? 自分がどこで(県か地域[関西とか北海道とか])で小学生時代を過ごしていたかと、このナイフをどういう名前で呼んでいたかを教えてもらいたいんだよね。箇条書きでもいいから、コメント欄に書くか、下の投票フォームで教えてね♪
bonmickey.jpg なんでこんなことをお願いするかっていうと、このナイフの記事を書こうと思ったら、地域によって『ボンナイフ』と呼ばれたり『ミッキーナイフ』って呼ばれたりとバラバラなことに気付いたから。ぼんくらオヤジは東京と福島で少年時代を過ごしたんだけど、『ボンナイフ』って言ってた。たしかにサヤを兼用してたプラスチックの柄には「BON」と刻まれていたしね。それでメーカーを調べてみたんだけど、残念ながら分からなかった。はっきりしてるのは現在は販売されていないということ。じゃあ『ミッキーナイフ』はというと、こちらは現在でも大阪の坪米製作所で製造が続けられていることが分かった。もちろん文具屋さんによっては置いているだろうし、ネット販売で手に入れることもできる現役バリバリの文具だ。
ミッキーナイフ2.jpg もうひとつ判明したのは、ミッキーナイフが一時期は坪米製作所に商標登録されていたということだ。なんで分かったかというと、平成17年(2005)にディズニーから商標法50条に基づく不使用取消審判を請求されて、坪米製作所が登録を取り消しているからだ。ってことは、『ボンナイフ』も『ミッキーナイフ』と同様に商品名で、流通した地域でそれが一般名称のように使われていたっていうのが真相とみていいんだろうか。ホッチキスみたいに文具の世界ではよくある話だからね。
 ではでは真相解明の一助として、みんなの記憶に期待してるね(笑)。フォローよろしく♪




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昆虫採集セットが消えたワケ [その他]

昆虫採集セット.jpg 子供の頃はフツーにあったのに、今やまったく見ることのできないアイテムも存在する。その典型が子供用の『昆虫採集キット』だ。
 昭和の子供たちにとって、昆虫の標本は夏休みの自由研究の定番だった。そこで役にたったのが『昆虫採集キット』で、12色の絵の具セットぐらいのケースに注射器や虫眼鏡、ピンセット、虫ピン、そして緑か青に着色された防腐剤とと赤い殺虫剤が入っていた。何だか恐ろしいものが入っているようだけど、実は染料が違うだけで、この防腐剤と殺虫剤の正体はメタノールが3パーセント程度入ったただの水だった(笑)。たしかに本物の殺虫剤やホルマリンだったら、誤って人体に注射したり針を刺したりしたら危険だもんね。もっとも戦前の大人用セットには殺虫剤に青酸カリが使われてたっていうから、メタノールの水溶液なんて可愛いもんだけどね、ははは!
 じゃあ何で今、売られてないか分かる? 現在分かっているのは、昭和42年(1967)に昆虫採集セットの注射針が飛んで少女が失明するという事故が発生し、かねてから注射という行為自体を危険視していたPTAの抗議や学校での購入禁止の指導が相次いだ結果、徐々に製造業者が減っていったということだ。
 でも、完全に消えてしまったのには、現代ならではの理由があるのだ。何だろうか? 察しのいい人や身に覚えのある人なら直ぐに分かることだけど、覚せい剤の使用防止のためだ。昆虫採集のためだったものが40年で覚せい剤を打つ道具に変わっちゃったわけで、イヤハヤ、恐ろしい時代になっちゃったもんだよね^^;


■カブトムシの標本の作り方■



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名犬ラッシー [テレビ]

ラッシー1.jpg アマチュア写真の世界では「子供か動物を写せば、たいがいの写真はウケる」というお約束がある。だからクラブの写真展なんかでこうした被写体を出した暁には、袋叩きに遭うのを覚悟しなきゃならない。
 この禁じ手をダブルで使っちゃって、案の定というべきか大ヒットTVドラマになったのが『名犬ラッシー』だ。本家アメリカでは昭和29年(1954)から昭和49年(1974)までの20年に渡って放送が続いた長寿ドラマだけど、日本でも昭和32年(1957)から昭和41年(1966)までの9年間と、昭和50年(1975)から昭和51年(1976)までの1年間の都合10年間、家族で楽しめる良質の番組として親しまれた。これは海外のTVドラマとしては史上最長記録だ。
ラッシー3.jpg ぼんくら少年にとっても『名犬ラッシー』は必見の番組で、土曜の夜7時半からの30分は絶対にチャンネル権を誰にも譲らなかった。ぼんくら父がうっかりナイターに切り替えようもんなら、大泣きするわジタバタ暴れるわの大騒ぎで、団らんの一時はたちまちにして修羅場と化した。そのぐらい好きだったんだよね。いたいけなジェフ少年(後にティミー少年にバトンタッチ)とその信頼に必死で応えようとする忠犬ラッシー。感動してよく泣きました、私。なのに…
 なのにだ。具体的なストーリーが全然思い出せない。なんでぇ~? 記事を書くのに行き詰まって、ぼんくらオバンに訊いたら、
「あん? そりゃーあれだな。仲のいい犬と坊やがだよ、いろいろあっても一緒に乗り越えてメデタし目出度しだよね。まぁその繰り返しっちゅーワケよ」
ラッシー2.jpg たしかにそうなんだけどねぇ、これじゃぼんくらオヤジと大差ないし。ねえ、具体的なストーリーで覚えてるのって何かある? 調べて分かったのは、先ずラッシーはジェフの叔父さんが飼ってたってことと、その叔父さんが亡くなってジェフのもとに来たということだ。最初は主人を失った悲しみで誰にもなつかずにいたんだけど、ジェフと一緒に悪漢どもと闘ううちに絆が深まっていくっていうのが出だしのストーリーだ。ありゃあ、エリック・ナイトの原作とはハナっから全然違ってるし。TVドラマを思い出すのに原作を読んでもムダかぁ(泣)。
 というわけで、とにかく感動的な作品ではあった(笑)。はっきり覚えてるのは、当時、ええとこの家の庭には芝生が植えてあって、その上ではコリーがふんぞり返ってるか寝っ転がってたってことだ。庭にはコリー、家ン中にはスピッツっていうのが当時の流行だったよね。今じゃほとんどみかけないけど。

※ 文中に「いたいけなジェフ少年」と書きましたが、ソフィー様より「降板時で12才の少年に『いたいけ』は不適切」とのご指摘を頂きましたので訂正します。


■『名犬ラッシー』オリジナル・オープニング 1957年■



■名犬ラッシーのパロディCM GE版 笑えます♪ 年代不明■



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ワワワ 輪が三つ♪ [テレビ]

 子供の頃に大好きだったドラマって、スポンサーのCMと対で覚えてない? ぼんくら少年は『名犬ラッシー』の大ファンだったので、スポンサーだったミツワ石鹸のCMが未だに頭にこびりついている。

ミツワ.gifワワワ 輪が三つ
ワワワ 輪が三つ
ミツワ ミツワ ミツワセツケン♪

 てな歌詞なんだけど、番組のエンディングでは、

ミツワ ミツワ ミツワのラッシー♪

 なんて歌詞まで変えちゃうんだから強引だよね(笑)。大体が何だよ~、ミツワのラッシーって^^; 放射能汚染の突然変異体かっ
 ミツワ石鹸は万延元年(1860)創業の由緒ある石鹸・洗濯洗剤メーカーだった。ミツワの名は創業者の三輪善兵衛から取ったものなんだけど、三輪さんは、実はミワさんでミツワさんではなかったんだよね。あんまり意味ないか(笑)。当初は化粧品の製造販売業者で、石鹸メーカーになったのは明治43年(1910)になってからだった。代表的なヒット商品となった薬用石鹸『ミューズ』が世に出たのは昭和28年(1953)年。そして件のCMが誕生したのは翌29年(1954)のこと。昭和50年(1975)に同社が倒産するまで「ワワワ 輪が三つ」は20年以上にわたって茶の間に流れ続けたのだった。
「え?『ミツワ石鹸』も『ミューズ』もまだあるじゃん!」
 その通りなんだけど、現在のミツワ石鹸は、玉の肌石鹸がP&Gから商標権を取得して平成20年(2008)に設立した子会社で、CMを流していたミツワ石鹸と直接の関係は無い。
ミツワ2.jpg 話は戻るけど、ぼんくらオヤジはコリー犬(最近は見ないねぇ)を見ると、未だにラッシーよりも先にミツワ石鹸とハウス食品(新・名犬ラッシーのスポンサー)のほうを思い出しちゃう。もう50才なのにねぇ。そっか、スポンサーが完全に主役を食ってるってことは、やっぱり「ミツワのラッシー」「ハウスのラッシー」で当たってるのかもしらん。


■ワワワ輪が三つ♪ 怒濤の3連チャンだぜ!■



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ラッキーパズル [遊び]

ラッキーパズル1.jpg 亡父が大好きだった『ラッキーパズル』。昭和10年(1935)に花山ゲーム研究所(現株式会社ハナヤマ)が発売した代表的なシルエットパズルで、長方形を7分割したピースを用いる至ってシンプルな遊びだ。この7枚のピースすべてを使って作られたシルエット集が小冊子になっていて、プレイヤーはシルエットをパズルで再現すればよいのだ。
ラッキーパズル2.jpg やってみると分かるが、たった7つのピースしかないというのに完成するには意外なほど骨が折れる。シルエットの再現が最大の楽しみなのはもちろんだけど、数えるほどしかない板きれで、どうしてこれほど多様な形が作れるのかという驚きがこのパズルには潜んでいる。
 既存のシルエット集に飽きたら、自分でシルエットを作って他のプレイヤーに遊んでもらうこともできる。ぼんくら家には亡父の遺したシルエット集が何十冊もあって、今ではそれで彼の孫たちがヒマさえあれば遊んでいる。もちろん彼の息子もね♪

luckypuzzle1.jpg


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泉屋のクッキー [食]

泉屋1.jpg お菓子といえば駄菓子だった時代に、ちょっとリッチな気分になれるお菓子があった。泉屋のクッキーだ。もっぱらお中元やお歳暮で家にやってくるお菓子だったので、白地に青いラインのクッキー缶は貴重品のシンボルだった。
 泉屋のクッキーの誕生譚はユニークで、貿易商『泉屋』3代目泉伊助の妻、園子が伊助とともに楽しみで焼いていたクッキーが評判を呼び、昭和2年(1927)に京都で泉屋の看板を掲げたのがことの始まりだ。当初は実費だけを貰って代わりに焼いてあげるという商売とはいえないような商いだったけど、昭和11年(1936)に伊助が死去したのを機に、園子と3人の息子達の生活の糧として本格的な事業となって現在に至っている。
 ところで先述のクッキー缶中央に大きく描かれた泉屋のロゴマークを覚えてる? そう、浮き輪だ。これには敬虔なクリスチャンだった園子の深い思いが込められている。園子はクッキーを焼く行為を社会奉仕として捉えていて、浮き輪が人命を救うように、クッキーを通じて社会の役に立ちたいと考えていたのだ。この理念は下記のような社訓となって現在も受け継がれている。

●浮き輪はどんな暴風雨にあっても沈まないように、社員一同力をあわせて社会の荒波を乗り切りましょう。
●浮き輪は人の命を助けるように、いつでも社会の役にたつ会社としましょう。
●浮き輪があれば安心のように、ウキのマークの製品に変わらぬ信頼をもたれるように努めましょう。
●浮き輪は7つの海を渡るように、世界の国々を円くつなぎ平和の役目を果たしましょう。
●浮き輪は社員の和を表します。みんなが手をつなぎあって楽しく働きましょう。

泉屋2.jpg また、缶に必ず入っているドーナツ型の「リングターツ」というクッキーには4色の飾りが付いていて、これにもちゃんと意味があるんだよ。これは園子と3人の息子達を表してるんだよね。リングターツを浮き輪に見立て、伊助を失った母子が決して沈むことのない浮き輪に掴まり、来たるべき荒波を乗り切っていこうという園子の強い思いを表してるんだ。リングターツは浮き輪のロゴマークとともに泉屋の象徴となっていて、現在でも泉屋のクッキーの人気ナンバーワンを誇っているそうだ。
 社会奉仕の意識が極めて低い日本企業の中で、奉仕の精神を掲げ続けて激動の昭和を乗り切ってみせた製菓会社の船頭は、小柄な、しかし高い志を持ったひとりの女性だったのだ。


■リンツァー・クッキーのレシピ 園子と伊助もこんなふうに作ったのかな?■



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冷凍(BlogPet)

きょうぼんくら雪之丞がアンケートとか判明しなかったよ。
それで競争しなかったー。
だけど、冷凍しないです。

*このエントリは、ブログペットの「ぼんくら雪之丞」が書きました。

台風18号に昭和生まれが思うこと [その他]

 これまでにない規模の台風が近付いている。近畿・東海は直撃を免れない状況にあるし、直撃されなかったとしても巻き込まれない地域はないといってよさそうだ。ぼんくらオヤジも今日の予定はすべてキャンセルして、朝から台風の備えでドタバタしている。ベランダの物干し竿やハンガー、植物などを部屋に移動させたり、買い物を早めに済ませたり、風呂場に水を張って生活用水を確保したり、ガムテープやローソク等応急対応品のチェックを行ったりと、およそ思いつくことはやっているけど、どうなるやら。
伊勢湾台風1.jpg 昭和も台風と闘った時代だった。古くは昭和9年(1934)年の室戸台風、昭和20年(1945)の枕崎台風、そして昭和34年(1959)の伊勢湾台風という『昭和の三大台風』が有名だが、死者・行方不明者171名を出した昭和51年(1976)年の台風17号や、中心が879ヘクトパスカルという観測史上世界で最も低い気圧を記録し、死者・行方不明者115名を出した台風20号を鮮明に記憶している人も多いだろう。
 ぼんくらオヤジの住む名古屋は先月、伊勢湾台風上陸50周年を迎えたばかり。この記事に貼ってある写真は、すべて伊勢湾台風時の名古屋の写真だ。930ヘクトパスカルの勢力を保ったままで紀伊半島に上陸した台風は、死者4,697人、行方不明者401人、負傷者38,921人という未曾有の被害を日本にもたらした。中でも東海地方は、愛知県で3,351人(名古屋市は1,909人)、三重県1,211人と被害が集中し、愛知県は県民の2割が被災するという信じられない惨状となった。
伊勢湾台風3.jpg「当時は防災技術が未熟だったからだろう。今ならそんなことにはならないよ」
 と思う人も少なくないだろう。だがそれは間違いだ。台風で発生した高潮は、現在の水準と大差ない海岸堤防をあっさりと決壊させ、結果的に最大の災害要因となったのだ。世界的な気候変動によって既存の防災基準はもはや意味をなさず、それを根拠に作られた防災設備は未知の規模の天災には対応できないのではないかという恐ろしい話もある。人は自然の猛威に対しては未だに無力なのだということを前提しなければ、真に実効のある災害対策はとることができない。
伊勢湾台風2.jpg 今回の台風は大量の降雨をもたらすことが予想されているので、最後に伊勢湾台風で被災した人々へのアンケートで判明したデータを紹介したい。増水時に避難可能だった水位は成人男性で70cm、成人女性が50cm、子供で30cmが限界だったそうだ。ただし水流が強い場合は、たとえ30cmでも危険だということはくれぐれも頭に叩き込んでおいて欲しい。ドアの開閉が可能なのは水位30cmまで。尚、長靴は厳禁! 中に水が入り込んで足もとをとられ、却って危険なので、スニーカーのような短靴で外出すること。濡れるからといって短パンで出るのも危ない。何が流れていていつ足に接触するとも限らないからだ。
 7日16時現在で台風はやや速度を上げている由。先刻までの予想到達時間よりも早まりそうだね。子供たちも学校から戻ってきたし、ぼんくら一家はこれから台風が過ぎるまで狭いマンションの部屋に巣籠もりするよ。末尾ながら皆さんとご家族のご無事を心からお祈りします。


■災害記録映画「伊勢湾台風」その1 1960年制作■



■災害記録映画「伊勢湾台風」その2 1960年制作■



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『ヨーグル』とゾウの意味深な関係 [食]

ヨーグル2.jpg 小さな壺のような容器。牛乳瓶のような紙製のフタ。アイスを食べるときに使うような木のヘラ。甘酸っぱい味。溶けたマシュマロのような食感。これってなぁーんだ?
 答えは『ヨーグル』。ヨーグルト風味だからついた名前なんだけど、原料にはヨーグルトはおろか乳製品の類は一切使われていない。グラニュー糖とショートニングを同量混ぜて、それに香料と酸味料を加えてヨーグルト風味に仕上げたシンプルなお菓子なのだ。
 元祖ヨーグルは、昭和36年(1961)に大阪のサンヨー製菓株式会社が発売した『モロッコ・ヨーグル』だ。なんで「モロッコ」なのかというと、ヨーグルト→地中海→モロッコと先代の社長がイメージしたことによるらしい(笑)。発売当初の売価は5円だった。昭和49年(1974)にはオイルショックで10円に、さらに平成3年(1991)には物価上昇のあおりを受けて20円になって今に至っているけど、子供たちの財布に優しい駄菓子であり続けてきたことがよく分かる。
 面白いのは容器の形状で、あれは壺ではなく、ゾウの足をイメージしたものだそうだ。モロッコ→アフリカ→ゾウってことのようで、たしかに代々の卸売り用ロット・ケースにはゾウが描かれているし、今でも通常の11倍の大きさを誇る『ジャンボヨーグル』のフタにはヨーグルを鼻で運ぶゾウの姿が印刷されている。余談だが、モロッコにゾウは棲息していないので念のため(笑)。
ヨーグル1.jpg 残念ながらスーパー向けにはついてないけど、駄菓子屋さん向けのヨーグルにはフタのウラに「あたり」「はずれ」がついていて、今でも当たればもう1個貰うことができるよ♪
 製法が簡単なことから最盛期には日本各地にあったヨーグル・メーカーも、現在ではサンヨー製菓の他には、豊橋に2軒と名古屋に1軒の4拠点を残すのみだ。逆にメーカー同士の競争もなく、安定した需要と販路が維持されていて当面は安泰とのこと。今後も定番の駄菓子として、息長く子供たちに受け継がれていって欲しいと心から思う。


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