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ベビースターラーメン [食]

ベビースターラーメン2.jpg 今年は駄菓子の50周年がやたらと目立つ。ぼんくらの生まれた昭和34年(1959)は駄菓子のベビーラッシュ年ってことになるんね♪ 松田産業有限会社(現おやつカンパニー)の『べビースターラーメン』もそのひとつだ。
 創業者の松田由雄さんが、当時手掛けていたノンフライ麺の製造工程でどうしても出てしまう麺のカケラを集め、味をつけてフライにしたものを従業員向けにおやつとして配ったところ、「美味い」と大評判になったというのがベビースターラーメン誕生のきっかけだ。
 その後、子どもたちがそのままで食べやすい麺の太さや長さ、味付けなどの研究を繰り返した結果、昭和34年(1959)に1袋5円でチキン味の『ベビーラーメン』として発売。その後10円に値上がりしたんだけど、人気は衰えるどころか子どもたちの支持を得て、たちまち全国の駄菓子屋さんに行き渡ることになった。先立つ昭和33年(1958)に日清食品の『チキンラーメン』が巻き起こしたラーメン旋風に後押しされた形だったんだけど、事実、美味しかったよね。袋に印刷された女の子は『ベビーちゃん』だよ。
 名称が現在の『ベビースターラーメン』に変更され、価格が20円に値上がりしたのは昭和48年(1973)。マスコットキャラがベビーちゃんから『ベイちゃん』に交代し、みそ味、しお味、カレー味がラインナップに加わったのは昭和63年(1988)のことだ。
 さて御年21才になったはずのベイちゃんだけど、不二家のペコちゃんポコちゃんと同じく、年齢はずーっと10才のままなんである。東京都民で、お父さんは作家、お母さんがデザイナーという結構ハイソな家庭の坊やなんだよね。
ベビースターラーメン1.jpg 自由な気風で育ったせいか、ベイちゃんは好奇心が旺盛。日本全国津津浦浦を旅するだけじゃ収まらず、中国からイタリアに至る麺ロードを走破し、果ては宇宙旅行にまで出かけちゃうという何ともウルトラに行動的な小学生だ。人は見かけによらないねぇ(笑)。行く先々でお母さんお手製のコスチュームを身に付けてラーメンの袋に登場してるんだよ。気付いてた? あ、時々女の子も顔を出してるけど、あれはベイちゃんが女装してるわけじゃなくって、『ビーちゃん』という8才のれっきとした女の子だからね^^; ベイちゃんとの関係は不明だけど、どうやらベイちゃんとビーちゃんでベビーちゃんということらしい。え、言われなくても分かるって?


■ベビースターラーメンCM 田代まさし編 オンエア年不明■



■ベビースターラーメンCM 1991年か1992年■


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たまごアイス? おっぱいアイス? [食]

 今日の話題に入る前に、以前に宿題となった『パインアイス』についての中間報告を。結論からいうと、まだ元祖は特定できずにいるよ。情報を照会した各社からの返答から浮き上がってきたのは、どうもパインアイスの製法については各社とも特許を取っていないのではないかということだ。「ご指摘の商品と弊社の旧製品が同一のものであるとの確認がとれませんでした。従いまして特許に関しましてのご質問にはお答えすることができません」「弊社では当該商品の製造工程について他社のライセンス生産を行ったという事実はなく、また弊社による特許を含め独自製法を謳った事実もありません」。カンタンに言って特許は取っていないのだ。これは特許検索の結果とも符合するので、事実とみていいだろう。ただ、ぼんくらが本命じゃないかとみているもう1社については、今後も引き続き調査を続けていくつもりなので、新事実が明らかになったら、また報告するね♪
たまごアイス1.jpg さて今回の本題もアイス。しかもこれまた謎の多い商品なんだよね。『たまごアイス』。出たぁ! って思ってる人もいるでしょ^^ ゴム風船状の袋にバニラアイス味のシャーベットを流し込んで輪ゴムやアルミ環で留めてあるやつだよね。呼び名もまちまちで『おっぱいアイス』とか『風船アイス』『ボンボンアイス』『ヨーヨーアイス』なんて名前で覚えてる人もいるんじゃないかな。
 これって、おっぱいアイスと呼ばれる通り、結わえてあるほうの反対側に乳首のような突起があって、そこを歯で噛み千切ったり、ハサミで切ったりして、そこからチューチューとアイスを吸い出すって食べ方だったよね。子供時代ならまだしも、さすがに今、往来を歩きながらこうやって食べろと言われても引いちゃうな^^; いきなり、教師生活を引退した風情のおばさんにハンドバックで思いっきり殴られて、警察に突き出されそうな気がする(笑)
たまごアイス2.jpg 立派な現役商品で、井村屋や大阪のセンタンからは『たまごアイス』、高知の久保田食品からは『おっぱいアイス』、福岡の丸永製菓からは『恐竜の玉子』などなど、複数のメーカーが製造してるんだけど、パインアイス同様、これも元祖が分からない。製法が単純明快なところをみると、どこかの町のアイスクリーム屋さんが思いついて売り出したらアッという間に広まった、ってな感じかもね。
 今はそんなことはないだろうけど、ぼんくら少年がせっせと食べていたころはゴムの品質が悪かったんだろうね、なんかの拍子にゴムが破れちゃって中身が地面にボトンなんて悲劇があったなぁ。中身が液状になってるのに気がつかないでグイッとゴムを押して頭からアイスを被ったこともあるし。でも、あの優しいミルクの味とゴムの臭いは、やっぱり忘れられないや。


■久保田食品御謹製『おっぱいアイス』を紹介しています■


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野球盤 [遊び]

野球盤1.jpg ボードゲームはたくさんあったけど、昭和を代表するものといったらやっぱり『野球盤』でしょー!
 野球盤の歴史は意外に古く、以前にも紹介したスマートボールの変形版も野球盤の勘定に入れるなら戦前から存在していたといえる。ただ現在誰もが思い浮かべる野球盤は、昭和33年(1958)にエポック社が販売を始めたものだ。
 半世紀の歴史の中で次々にいろいろな機能が加えられたり、人形の形が変わったりはしているけど、基本は一緒だ。バックスクリーンの裏にあるレバーでパチンコ玉のような鉄球を投げ、バネで回転するバットで打つ。打ったボールがボード上のどの穴に入るかでアウト・一塁打・二塁打・三塁打・本塁打かが決まる。万が一、穴に入らなかった場合は、どの位置でボールがとまったかでヒットかファウルを決める。ノーバウンドで観客席や場外に打球が飛んだ場合はホームラン、バウンドして柵越えした場合はエンタイトル・ツーベースとなる。
 打者はバッターボックスを左右のいずれかに決める程度だったけど、投手側には、ホームベース手前に仕込まれた磁石消える魔球.gifによってシュートとカーブの投げ分けが出来た。昭和46年(1971)には「消える魔球」モードも装備されたけど、これはホームベースの直前に落とし蓋をこしらえただけのお話で結構、セコかった(笑)。 説明書には「消える魔球を使用して見送られた場合はボール」というルールがちゃんと書いてあるのにストライク扱いにする子がいて、あれはケンカの原因になりやすかったなぁ。この機能、さすがに20世紀も終わりに近付いてくると「消える魔球」じゃ通じなくなってきちゃって、平成8年(1996)には野茂投手にあやかって「フォークボール機能」と改名されている。
 平成19年(2007)にはアーケードゲームも登場したんだけど知ってた? 伝統的な二人ゲームもできるけど、コンピュータ相手の一人ゲームもできる。回数制限はあるけど消える魔球も使えて思わずハマッちゃうよ♪ ゲーセンに行って遊んでみない?


■野球盤実況中継 長女 VS 三男 実況は次男だそうです(笑)■




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絵本『ぐりとぐら』 [本]

ぐりとぐら1.jpg ぼんくら少年には2才下の妹と5才違いの弟がいた。なので長男長女の性というか、役目というのか、絵本の読み聞かせをせがまれる日々が何年となく続いた。絵本は様々だったけど、なんといっても福音館の『こどものとも』がダントツに多かったかな。
 こうして音読するハメになった絵本の中で特に強烈な印象で頭に焼き付いているのは『ぐりぐら』だ。自分自身が好きだったってこともあるけど、なんといっても弟妹が入れ替わり立ち替わり読み聞かせをねだってくる絵本だったからだ。何十回というレベルじゃない。少なくとも数百回は読まされてると思うよ^^; 
 双子の野ねずみ、青い帽子と青い服の『ぐり』と赤い帽子に赤い服の『ぐら』の絵本は、昭和38年(1963)12月、福音館『こどものとも』の93号として発表された。作者は中川李枝子(作)・山脇百合子(絵)姉妹。元気な保育園児のしげるが登場する童話『いやいやえん』の作者としても有名だね♪ 
ぐりとぐら2.jpg ふたりが得意なのは野菜作り。そして、ふたりが大好きなのは料理を作ることと食べること。記念すべき第一作目の『ぐりぐら』では早速、大きな卵で大きなカステラを作っちゃう。絵本で描かれた黄色くて大きなカステラのホントに美味しそうなことといったらなかった! 実はこの一作目、絵本が出る半年前に『たまご』ってタイトルで福音館の『母の友』誌に掲載されていたんだよね。その時の挿絵はモノクロだったんだけど、これを読んだお母さんもヨダレが出たのかな(笑)
 ぐりぐらはもちろんだけど、シリーズに登場する脇役たちも負けないぐらい魅力的だ。ぼんくら少年がイチオシだったのは手長うさぎの『くるりくら』。びよ~んと手の長いくるりくらの特技は肩車に木登り、そして雲を集めてボートを造り、空を漕ぎ回ること。うさぎといえば、慌てん坊のうさぎ『ギック』もいたね。
ぐりとぐら3.gif こうしたキャラクターの中には『すみれちゃん』のように、平成8年(1996)に脳腫瘍のために4才で夭折した福士すみれちゃんという実在の少女がモデルになっている場合もあるんだよ。すみれちゃんは、病気の進行で身体が食べ物を受け付けなくなってからも、ぐりぐらのつくったあの黄色いカステラやお弁当を見て、絵本の動物たちと一緒に食べる真似をしていたんだって。
 すみれちゃんの登場する『ぐりぐらとすみれちゃん』の制作にあたって作者の中川・山脇姉妹は、すみれちゃんのお母さんとの3年にわたる文通を経て絵本を完成させている。長く子供たちに愛される絵本とは、こうした真摯な姿勢と深い理解が醸成したものなんだなぁ。ボクらって、本当に素晴らしい創り手の作品に育ててもらってきたんだね。
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「ふりむいてください」 エメロン・クリームリンス [テレビ]

エメロンクリームリンス2.jpg 斬新なものは記憶に残るよね。CMは特にそうなんだけど、ライオン油脂(現ライオン)が昭和45年(1970)から投入した『エメロン・クリームリンス』のCMは、手法の目新しさが際立つ作品だった。
 日本全国の街角でフツーの女性に背後から近寄り、インタビュアーが、
「ふりむいてください」
 と声をかけてふりむかせるという「日本縦断ふりむき娘」がコンセプトだった。反応は十人十色だし、CMが有名になると声をかけられただけでそれと気付く人が多くて、キャーキャー逃げ回る姿が面白かったりもした。もちろん悪趣味だという批判もあったけど、こうしたヤラセなしのゲリラ性が許される世相でもあったのだ。時を同じくしてスタートした『どっきりカメラ(関連記事参照)』と考え合わせると、万博の熱気もさめやらぬ当時の祝祭的なムードが溢れていて感慨深いものがある。
エメロンクリームリンス1.jpg イメージ・ソングが重要な役目を担ったのはこのCMも一緒で、ベテランのコーラス・グループ、ハニー・ナイツが歌う『ふりむかないで』は、当時のオリコンで最高3位の大ヒットとなった。ハニー・ナイツは、以前に紹介した『ゴジラ対ヘドラ(関連記事参照)』で So-net にブログを持ってる麻里圭子さんとご一緒に主題歌を歌ってるよ♪
 このCMね、今、観てみると当時のファッションや街並みがつぶさに写り込んでいてものすごく面白いよ! ここに写ってる人達、今はどうしてるんだろう?


■エメロン・クリームリンス 1970年 いや~美しいお方っ♪■



■エメロン・クリームリンス 1971年 各地を回ってます■



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きのうは記憶しなかった(BlogPet)

きのうは記憶しなかった。

*このエントリは、ブログペットの「ぼんくら雪之丞」が書きました。

なぜ『豚の貯金箱』なのか? [雑貨]

豚の貯金箱1.jpg 子供の頃、貯金箱っていうと『ブタの貯金箱』だった。
 ぼんくら家では一風変わった習慣があって、毎年12月1日は親が新しいブタの貯金箱を子供たちに配り、子供たちはそれまでの貯金箱を割ってお金を取り出す日だった。貯金は好きに使って良かったんだけど、大半は家族へのクリスマス・プレゼントを買ったり、慈善活動へ献金するために使っちゃった。弟妹もそうだった。子供って、こういう時には自分のためにお金を使おうって思わないもんだよね。待降節を告げ知らせる楽しい行事だったんだけど、新聞紙を広げて貯金箱を置いて木槌で割る時は、なんか可哀想で目をつぶって叩いたなぁ。
 それにしても、なぜ貯金箱がブタなんだろうね?
豚の貯金箱2.jpg どうやらこれは、かつてヨーロッパで素焼きの粘土に用いられていた Pygg というオレンジ色の粘土に由来しているらしい。庶民の使う食器のほとんどは Pygg 製で、貯金箱も"Pygg Bank"と呼ばれる壷が用いられていた。それが19世紀のイギリスで Pygg を Pig と聞き間違えたのか、冗談だったのかはともかく、陶器職人が"Pig Bank"つまり豚の貯金箱を作ったところ大評判となり、これが世間に広まったものといわれている。まあ他にも Pygg 製の塩壺を貯金箱代わりに使っていたのが Piggy に転じて"Pig Bank"となった、なんて説もあったりするので、半信半疑でいてね(笑)。


■豚の貯金箱ショートストーリー よく出来てます♪■


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マルカワのマーブルガム [食]

マーブルガム1.jpg このブログを始めて間もない頃に、駄菓子屋で万引きを働いた体験を書いたことがある(『駄菓子屋』)。万引きしたのはオレンジ味で箱入りの丸いフーセンガムだったんだけど、昨晩、その正体が分かった。
 名古屋の丸川製菓(株)が昭和34年(1959)に発売を開始した『マーブルガム』。小さな四角い紙箱に丸いフーセンガムが4個入っていた。駄菓子屋のフーセンガムという独自の立ち位置を守り続けて今年で50周年。発売時は5円だったけど、昭和49年(1974)からは10円になり、平成2年(1990)からは6粒で20円になり現在に至っている。
 丸いガムって考えてみるとあんまりないよね。マーブルガム以外にぼんくらオヤジが思い出せるのは、ガシャポンに入っていたアメ玉大のガムぐらいかな。実はマルカワのフーセンガムが丸いのには面白いエピソードがあるんだ。
 ホントはね、マルカワのガムはキオスクなんかで売ってる四角い糖衣タブレットになる予定だったんだ。それがね、当時の加工技術だと何度チャレンジしても製造時の熱でガムがまん丸くなっちゃう。業を煮やして、
「ええやんか、丸くても。これはこれで面白いかも」
 と売り出したら当たっちゃった。本当の話なんだよ、これ。板ガムが主流だった当時、マーブルガムは小さな子供たちにとっては一口サイズの食べやすいガムだったのだ。
マーブルガム2.jpg もう一つの勝因は当たり付きだったということ。マーブルガムはロットで買うと、ひとつ余分にガムが入っている。つまり1ロット(36箱入り)につきひとつの当たり付きガムが入ってることになる。回転の速い駄菓子屋さんだと結構な確率で当たりの箱に出くわすわけで、これが子供たちにウケた。ただこういうシステムなので、当たったら買った店に行かなきゃダメっていうお約束があるよ。
 愛らしい小箱を振ると丸いガムがカラカラと音をたてるマーブルガムは、「3世代に愛される味」というキャッチで今も子供たちに親しまれている。

注: 現在、マーブルガムは当たり付きが6粒入り、当たりなしが4粒になっています。


■星のカービィ(コーラ味) 最近のマーブルガムも昔と全然変わってませんね♪■


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スペースインベーダー [テクノロジー]

スペースインベーダー1.jpg アーケードゲームの『スペースインベーダー』がタイトーから発売されたのは昭和53年(1978)のことだった。
 空前のヒットを記録して日本全国で100円玉が不足し、政府が慌てて100円硬貨の追加鋳造を指示する事態になっていたなんて知ってた? タイトーでは硬貨の回収が負担になって腰痛を起こす社員が激増し、集金袋の回収はライトバンでは間に合わず、4トントラックを手配する事態も発生していたんだよ。余談だけど、トラックに硬貨を載せたり降ろしたりするのが大変だったためにタイトーが三菱ふそうに作らせたのが、現在では当たり前の車載電動リフトだ。しかもタイトーは社会貢献を理由に電動リフトの特許を取らなかったんだから偉いね。電動リフトは今や運輸業ばかりじゃなく、介護の世界でも必要不可欠な道具だ。介護の世界とスペースインベーダーにそんな繋がりがあったなんて、ちょっとビックリだね。
スペースインベーダー2.jpg ところで、なんでキャラが宇宙人なんだろうね。実は、最初は戦車や飛行機をキャラにする予定だったんだけど、当時の技術ではリアルな再現にはムリがあって、最終的には『スターウォーズ』にヒントを得た宇宙人が形も動きもシンプルで面白いということで採用された。本当は宇宙人の前には人間も候補に挙がったんだけど、「人を撃つのはさすがにマズいでしょう」ということでボツになったそうな。当たり前だよね(笑)
 スペースインベーダーは、コンピュータががプレイヤーを敵と認識して攻撃してくるという今では当たり前のシューティングゲームの第1号でもある。後続となるナムコの『ギャラクシアン』と並んで、スペースインベーダーはアーケードゲームの先駆となったばかりじゃなく、家庭にコンピュータを導入したいという願望を広く醸成した貢献度抜群のゲーム機でもあったのだ。


■名古屋撃ち 左右どちらかに一匹残して安全地帯を作る方法■



■京都撃ち 真ん中をブチ抜いて安全地帯を作ります♪■



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快獣ブースカ [テレビ]

ブースカ2.jpg 怪獣映画というと、地球の平和を守ると称して陰惨な殺し合いがメインイベントになるもんだけど、『快獣ブースカ』は全然違って楽しいTVドラマだった(思い出させてくださったtateichiさんに感謝!)。だから『快獣』なんだろうけどね♪
 昭和41年(1966)11月から約1年、毎週水曜日の夜7時から日テレ系列で放送されたんだけど、人気があったので何度も再放送されたから覚えてる人も多いんじゃないかな。制作は円谷特技プロで、ストーリーは『ウルトラQ』の「カネゴンの繭」というエピソードがコアになっている。マンガで読んだ記憶のある人もいるだろうけど、ブースカはマンガが後追いするメディアミックスの先駆け的存在で、いわゆる原作は存在しない。
 もうひとつの特徴は、全話がモノクロで制作されていることだ。スティール撮りでカラーフィルムが用いられたので、何となくカラーで観たような気になりそうなんだけどね。
 話のあらすじは覚えてる? 発明少年の屯田大作が、ペットにしていたイグアナのブースカを怪獣にしようと強力栄養剤「クロパラ」を与えるところから話が始まる。クロパラのおかげで、ブースカは人間並みの大きさと知能、そしてオマケの超能力を持つ「快獣」となり、周囲を巻き込む珍騒動を巻き起こしていく、っていうお話だよ。
 ブースカを担当した高橋和枝さんのユーモラスな声と、大作のお父さんを演じた江戸家猫八の見事な脇役振りが番組に華を添えて、快獣ブースカは実に上質のコメディに仕上がっていた。怪獣映画の全盛期に育った子供たちが、
「僕ん家にも怪獣がいたらいいのに」
 って思うのは自然な成り行きだったわけで、そんな夢や想像を子供の目線で映像化した円谷プロならではの作品だったといえる。
 今回はYouTubeで第1話の「ブースカ誕生」をまるまる観れるので、ぜひ時間を作って観てみてね♪ そうそう、忘れるところだった。ブースカ独特の言葉である「ブースカ語」の意味を忘れちゃった人のために、最後に基本語を載せておくね。

ブースカ1.jpg「バラサ バラサ」: 歓声「わぁーい わぁ~い」
「シオシオのパー」: ガッカリしてシュンとした時の声
「ナイナイのパ!」: 姿を消す時の呪文
「メロメロのトロロンチ」: 恋をした時に発する声
「ミフチ ミフチ」: 美味しい、美味いの意
「ブリブリのキリリンコ、カッカッカッ!」: 怒声


■快獣ブースカ 第1話「ブースカ誕生」 フルバージョンです♪■



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