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自販機天国だった昭和 [テクノロジー]

 仕事や留学で長いこと日本を離れた経験のある人、久しぶりに戻ってきたときにヤタラと目につくものってない? ぼんくらオヤジにはふたつあって、しばらくは気になって仕方がないんだよね。
中吊り広告.jpg ひとつは電車の中吊り広告。こういう広告形態って日本の他にあるんだろうか。どぎつい内容の見出しが躍る雑誌の広告や語学学校並みの勧誘合戦を行う私大の広告なんかが、のれんのように天井のあちこちからぶら下がっている。誰が離婚しただの、こうすれば負け組から脱却できるだのと、「知らないでいる権利」を保証してもらいたいと思いたくなるほどの無意味な情報が否応なしに目に飛び込んでくる。
 もうひとつは辺り構わず林立する自販機だ。わざわざ指摘するまでもないほど、日本の自販機の多さは広く世界に知れ渡っているけどね。数年前まで住んでいた長野の田舎町で、フランスから遊びに来ていた親戚の高校生が、田畑しかない農道にポツンと設置された清涼飲料水の自販機に感動して日長一日、写真を撮り続けたことがあったけど、彼曰く、
「日本はシュールだね! こんなとこで誰が買うんだろうと思ったけど、ボクがいる間に10人以上は利用していったよ。今日はマンガとロボットの国にいるんだって実感しちゃった」
 こんな得体の知れない感動を呼ぶほど、日本の自販機は独自の地位を占めているのだ。考えてみれば、ぼんくらオヤジが少年の時分から既にこの現象は始まっていたような気がする。
自販機1.gif 昭和40年代の自販機で個人的に忘れられないのは、噴水型のジュース自販機だ。昭和32年(1957)年に導入されたマシンで、主にデパートの屋上に設置されていた。マシンのてっぺんに金魚鉢を逆さにしたようなガラスのボトルが乗っていて、その中でオレンジジュースが噴水のように噴き上がりながら循環しているのが見える仕組みになっていた。見た目に美味しそうで、そんなに喉が渇いているわけでもないのに、つい紙コップを引き出して10円玉を投入口に入れちゃうのだった。
自販機2.jpg もうひとつ忘れられない自販機を挙げるとすれば、たいていの人はガムの自販機を挙げるだろう。こちらはデパートの階段の踊り場や駅の構内なんかによく設置されていたよね。今でもごく稀にロッテのカッコいいデザインのを見かけるけど、昭和40年代にはハリスの自販機があって、フーセンガムを補充するのに便利だった。投入口にお金を入れ、ガタガタンという振動がしてガムが落ちてくるのは何ともいえない快感だった。他にも、ガシャポンの原型にもなった丸いガムの自販機や、ビンの時代のコーラの自販機など、万博以降の日本には、既に自販機が巷に溢れていたのだ。
 ところがギッチョン(古っ)、この20年は自販機の数と種類が減少傾向にあるんだよね。どうしてか分かる? 原因はコンビニや24時間営業のスーパーが普及したためでした! そのうち自販機は対面販売だと買いにくいアレとかコレとかソレとかに限定されたものになるかもね(笑)


■自動販売機のあれこれ■



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バハハーイ [テレビ]

ケロヨン1.jpg「バ・ハ・ハーイ」
 映画化で大ブレイクした『20世紀少年』で"ともだち"が多用しているフレーズだよね。これの意味が分かるか分からないかで、万博以前に少年少女をやっていたかどうかが分かるんだけど、あなたはどっち?
「ケ~ロヨ~ン」
 と反射的に出てきた人は昭和生まれでも旧人類です(笑)。ちなみにぼんくらオヤジは旧人類で、昭和41年(1966)から昭和45年(1970)に放送された『木馬座アワー』がサッと甦ってくる。この番組の中に『カエルのぼうけん』というコーナーがあって、主人公のケロちゃん(後にケロヨンに変更)が登場時に言う挨拶が「ケ~ロヨ~ン」で、お別れの台詞が「ハバハーイ」だったのだ。
 児童文学の好きな人は心外かもしれないけど、『カエルのぼうけん』はイギリスの児童文学者ケネス・グレアムの『たのしい川べ』(岩波書店)を叩き台にして、影絵作家の藤城清治がプロデュースした着ぐるみ人形劇だ。だからケロヨンも原作通りカエル屋敷に住むヒキガエルの息子なんだよね。でもケロヨンが名うての自動車マニアなんて設定は、カーマニアの藤城が勝手に盛り込んじゃったものだし、ガールフレンドのエルちゃんやモグラのモグちゃん、アナグマさん、片眼のタヌキのギロバチや子分のヒロイヤなんてことになってくると、もう『たのしい川べ』はキレイに忘れ去られちゃってる。パクリとはいえない次元にまで話が独創的になったんだから、まあいっか(笑)
ケロヨン2.jpg 番組は大好評で「ケ~ロヨ~ン」と「バハハーイ」は流行語のはしりとなり、関連グッズは飛ぶように売れた。木馬座アワーの終了後も、『ケロヨンと遊ぼう』や『ケロヨンと三人組』などの番組が昭和47年(1972)まで続くほどの人気だった。『ケロヨンのうた』や『ケロヨン音頭』を始めとする主題歌・劇中歌・劇中音楽は、当時の人気作曲家だったいずみたくが全てを担当している。ちなみにケロヨンと薬局に立っているコルゲン・コーワのケロちゃんはなんの姻戚関係もないので念のため(笑)。


■ケロヨンのぼうけん「バハハーイ」が入ってなくて残念! 1967年■



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『スリンキー』であり『トムボーイ』であり『レインボースプリング』だったもの [遊び]

 昨日はコメントにお見舞いのお言葉を頂き、本当にありがとうございました。皆様のお力添えとタミフルのおかげで、昨日9度以上あった熱が、今朝には37度台まで下がっていました。診断では、オーソドックスな香港A型で新型ではないとのこと。ホッとしたような、ソンしたような^^; 熱は下がったものの、オヤジの身体には相当なダメージがあったようで、長時間座っていることもできません。申し訳ありませんが、あと1日、訪問&応援をお休みさせてください。よろしくお願いします。
[ドコモポイント]

スリンキー.jpg さて、今日も手短にひとつ。昨日、熱にうかされながら繰り返し見た夢の中に、子供の頃に遊んだオモチャが出現した。薄く平たい鋼材で作られたバネが、子供の頃に住んでいた家の階段をシャーッシャーッと音を立てながらリズミカルに下りていくのだ。
 昭和20年(1945)にアメリカで販売が始まった『スリンキー』というオモチャで、日本では工業用のバネを製造していた三光発条株式会社(現サンコースプリング株式会社)が昭和40年代に『トムボーイ』の名称で売り出した模造品が大ヒット。
レインボースプリング.jpg 後にカラフルなポリ塩化ビニル製の『レインボースプリング』や『カラースプリング』も出回るようになった。ミニサイズには星やハート、多角形などがあって面白いんだけど、やっぱりスリンキーには勝てないでしょう! 爽快な音や切れのいい動作はスリンキーならではだもんね♪


■スリンキーの不思議な動きをお楽しみください♪■



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糸ひき飴 [食]

糸引き飴1.jpg 今日は体調不良のため手短にいきます(いよいよインフルエンザか^^;)。
 先だって、10円を先払いして糸を引っ張ると、先についた飴がもらえるっていう駄菓子の思い出をコメントで頂いた。スカは赤い円錐形の飴で、当たるとミカンの房やバナナなどなどフルーツの形をした飴か、円錐形の飴の大きなのが貰えたよね。ズルいヤツは店の人が目を離しているすきに当たりの飴を引っ張り、動いたヒモを持って、
「当たったよぉ~」
 なんてコスッからいことをやってたなぁ! この飴だけど、製造元は現在調査中。『糸引き飴』という立派な名前を持っている。今も駄菓子屋の定番だよ♪
糸引き飴2.jpg


お知らせ: 申し訳ありませんが、お薦めブログとSo-netのお友達、エディタ友達、あし@のお友達の皆さん、今日は体調不良(発熱)のため訪問&応援をお休みさせていただきます。明日、まとめて伺いますのでよろしくお願いします♪


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万能駄菓子『あんずボー』 [食]

あんずボー.jpg ぼんくら少年が不思議に思っている駄菓子があった。もっぱら女の子が買って、男の子はあまり手をつけないものがあったのだ。この駄菓子、『あんずボー』といって、種を抜いた干しあんずを甘いシロップで漬け込んだものだ。味はまさにあんずをシロップで漬けた味で(笑)、スティック状の袋を歯でちぎると甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がった。ぼんくら少年は大好きだったので道ばたで食べてると、
「ぼんくらぁ! また女の食い物、食ってんのかよぉ」
 なんて友達にバカにされるんだよね。ぼんくら少年も負けてないから、
「うっせーな、お前の服で手ぇ拭いちゃうぞ~」
 って手を伸ばすと、みんなが蜘蛛の子を散らしたように逃げてくんだよね。この駄菓子を食べると、どんなに気をつかってもシロップで手がベタベタになっちゃう。そんな手で触られたら目も当てられないことはみんなが知っていたんだ。
 夏なんかは冷凍して、シャーベットにして食べると最高に美味しかった。逆に、冬場はコップに空けて熱いお湯を注ぐと、あんずの香り漂うホット・ドリンクに変身した。妙な添加物が入っていないので、食べ手の工夫ひとつでどんなふうにも楽しめたのだ。
 あんずボーは東京の西浅草にあるあんず専門の加工メーカー『港常(ミナツネ)』で作られている。創業当初から作られている駄菓子ということなので、なんと誕生は大正4年(1915)ということになる。かつては信州産のあんずを使用していたけど、現在はすべてをアメリカや中国から輸入しているそうだ。作業工程は、パッケージング以外は発売当初から変わっておらず、8割方が手作業とのこと。種抜きなどは30年選手のベテラン従業員が熟練の技で行うんだけど、まれに種の入ったままの状態で出荷されちゃうのもあるらしい。そういやそんなのがあったような気がする(笑)。なんか人の温もりを感じていいよね。シロップとあんずが馴染むまでに1週間はかかるので、出荷したてのものよりはちょっと古い物のほうが美味しいとも。ならメーカーで1週間寝かした商品を発送すればよさそうなもんだけど、そこまで気を遣わない大雑把さもいい。 肩肘を張らない在り様で90年以上も同じ味を守り続け、子供たちに親しまれてきたあんずボーは、注目を浴びることなく平成の子供たちにもバトンタッチされている。


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