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サイコロキャラメル [食]

サイコロキャラメル.jpg ぼんくら少年の部屋はどうしようもなく殺風景だった。父曰く「修道士の部屋」はポスターも皆無、オモチャの類はワードローブに放り込んであったので、室内はガランとしていた。喘息の息子のために部屋が埃っぽくならないようにという母の配慮だったんだけど、弟妹の部屋はフツーに賑やかだったので、内心は面白くなかったんだよね。そこで唯一の反抗というか、窓の桟にサイコロキャラメルの箱をズラリと並べたのだった。
 赤と白の箱は可愛らしく、箱が一つ、また一つと増えていく度に部屋が明るくなっていくようで、あれは嬉しかったなぁ。母も息子の気持ちを理解してくれたのか、これだけは許してくれた。ささやかな、でもぼんくらの胸に焼き付いている光景だ。
 明治製菓のサイコロキャラメルは昭和2年(1927)に発売された超ロングランの国民的なお菓子だ。発売当初の値段は2銭だった。ボクらの父や母が子供の時分に慣れ親しんだサイコロキャラメルは、あの愛らしい姿のままで今も店頭に並んでいる。


お知らせ: 昨日はお見舞いのお言葉に本当に元気をいただくことができました。暖かい友情に心から感謝です。今日もペットの雪之丞に虐められて体力の消耗が甚だしいため、ブログ訪問はできそうにありません。この調子だと明日は伺えると思いますので、どうかよろしくお願いします。


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今日は訪問ができましぇん^^;(BlogPet)

ぼんくらオヤジの「今日は訪問ができましぇん^^;」のまねしてかいてみるね

申し訳ありませんですが食べられなくなっている感じですが激しい毎日です(笑)?
腸感冒かも^^;肝心の差が食べられなくなって物が、今日にはならずになっちゃいましたんです(笑)。
腸感冒かも^^;肝心の差が激しい毎日ですが食べられなくなっている感じていた。
一昨日あたりから変調を感じです(笑)。
寒暖の返信を感じです(笑)。
寒暖のインフルエンザにつき、絶不調になっている感じて布団にやられていました?
寒暖のインフルエンザにやられている感じている感じて物が激しい毎日ですが激しい毎日ですが食べられなくなって物が食べられなくなっちゃいたんが激しい毎日です(笑)!
寒暖の病気にもぐり込みたいと思います!!
腸感冒かも^^;肝心の差が、今日にもぐり込みたいと思います。
腸感冒かも^^;肝心の返信を諦めて物が食べられなくなって布団に周辺のインフルエンザにもぐり込みたいとコメントの病気に立て続けに立て続けに周辺のインフルエンザになっちゃいたんですが、今晩は訪問と思います?
腸感冒かも^^;肝心の差が、今晩はならずに立て続けにはならずになって物が、どうかくれぐれもご自愛くださいね!

*このエントリは、ブログペットの「ぼんくら雪之丞」が書きました。

今日は訪問ができましぇん^^; [業務連絡]

ぶったおれ.jpg 申し訳ありませんが、絶不調につき、今晩はブログ訪問とコメントの返信を諦めて布団にもぐり込みたいと思います。一昨日あたりから変調を感じていたんですが、今日になって物が食べられなくなっちゃいました。腸感冒かも^^; 肝心のインフルエンザにはならずに周辺の病気に立て続けにやられている感じです(笑)。寒暖の差が激しい毎日ですが、どうかくれぐれもご自愛くださいね!

パインアイスの謎 - 続報 [食]

 パインアイスの件で情報を寄せてくださってありがとう! とくに具体的な情報を寄せくださったixionさん、ujinyさん、たろすさん、ファジーさんには心から御礼申し上げます。おかげさまで糸口が掴めたかなって感じです。おかげさまで、ぼんくらオヤジに家族が着せた汚名はこれで返上できそうです(笑)。
 現在、最有力候補は2件あって、関係する会社に問い合わせたり、特許情報を洗い出すなどの詰めを行っています。次に候補について説明しますが、本件については数社のご協力を仰いでおりますし、本家・元祖を巡る神経質な話題でもありますので、事の次第が判明するまでは、記事中の固有名はすべて伏字で行いたいと思います。また、情報源となるブログ等の運営者の名誉に係ることも言及することになりますので、こちらも同様に固有名を出したり、記事から当該サイトへのリンクは致しません。以上、諸事情を御参酌の上、ご理解とご協力をお願いします。
 ます、頂きました情報で真っ先に浮かびあがったのは秋田のMK社という冷菓メーカーです。あるブログで昭和30年代前半に掲載されたというMK社の新聞広告が掲載されており、その中に「特許アイスクリーム ¥10」とあってパイナップルの輪切りのイラストが載っているのです。ブロガーさんは、これを基に「特許アイスクリーム」を「パインを輪切りにした形状の氷菓」とし、さらに金型の特徴と柱状結晶を作る製法を紹介して「その製法が特許を取得していたため『特許アイスクリーム』としたのだろう」と結んでいます。
 やったー、これで決まりだ! と小躍りしているところに、もうひとつの情報を頂きました。こちらには紙製のボックスパッケージの写真が掲載されていて、目ん玉が飛び出るほどビックラこきました。ぼんくら少年が食べていた、そのものズバリのパインアイスだったんです! これがMK社のパインアイスだったのかと、解説を読んで2度ビックリです。「TSアイスパイン(氷菓)」とあって「黄色のスライスしたパインみたいな形をした・・製法特許」とあるんです。「食べると"シャリシャリ"した感じ」というブロガーさんの感想から言って、これも件の輪切りパインアイスであると考えて間違いないでしょう。
 してみると同一ないしは酷似した製法がほぼ同時期に特許を取得していたという奇妙なことになります。そこで改めて、MK社の記事を丹念に読みなおしてみたんです。すると確認をしなければならないことが2点あることに気が付きました。
 ひとつは「特許アイスクリーム」が本当に輪切りのパインアイスを指すのかどうかということです。記事ではイラストを根拠にそう考えているようで、事実確認を行った節がないんです。何故そう思うかは後述します。
 もうひとつは、柱状結晶による製法を「特許アイスクリーム」の製法とと同定していいのかということです。「その製法が特許を取得していたため『特許アイスクリーム』としたのだろう」という下りでも分かるように、ブロガーさんもあくまで推論としているんです。つまり特許アイスクリームの形状と製法については推測の域を出ていない話なんです。
 記事中に詳細な製法が記述されているのは、ぼんくらの推論ですが、2008年にアップロードされている記事である点と、説明に使われている単語の特徴や説明の流れから、おそらく2005年に某商業サイトに掲載された記事がたたき台になっているものと思えるのです。パインアイスについてのネット上の情報は極めて少なく、金型を「シフォンケーキ」と表現している点や、「外側と内側から冷凍」というある種特徴のあるあやふやな表現がそのまま記事にも登場していますから。ただこのブロガーさんの名誉のためにも申し上げますが、他者の記事をそのまま引き写すような蛮行は決してなさってはいませんので念のため。話は外れますが、このブロガーさんの記事を臆面もなく丸ごと引き写しているブログが少なからずあったのには怒りを覚えました。
 幸いにもMK社は名前と業務内容を変えながらも現存していますので、本日、書面で質問状を送りました。電話で連絡してみたのですが、「昔のことで調べるには時間がかかる上に創業者の名誉に関わりかねない質問でもあり、質問の趣旨を書面で明らかにしてほしい」ということでした。時間がかかるかもしれませんね。
パインアイスパッケージ.jpg 他方のTS社ですが、こちらは現時点で足取りがつかめていません。こちらについては当該ブロガーさんに連絡をとって、パッケージから得られる詳細情報を頂こうかと思っています。事後承諾で心苦しいのですが、パッケージの画像を掲載します。もしご存知の方がいらっしゃったら、情報を頂ければ幸いです。
 井村屋さんにも情報照会を行っていますが、まだ返信は来ていません。お寄せいただいた共有情報なんですから当たり前ですが、途中経過なり、結論なりを報告していきますので、どうかお楽しみに!
 末尾ながら、情報を寄せてくださったこと、重ねて御礼を申します。お気づきの情報がありましたら是非、ぼんくらまでお知らせくださいね♪


■松田聖子 「パイナップル・アイランド」 いやぁ~何といいますかねぇ♪■


パインアイスの謎 [食]

パインアイス2.jpg 記憶ってあやふやなんだなぁって思い知ったことがある。
 先日のことだ。晩ご飯の後でぼんくら息子たちと学校給食の話をしていたら、パインアイスの話題になった。輪切りのパイナップルを凍らせたようなアイスで、給食の時に出ることがあるというのだ。そんなアイスがあったなぁと思って、
「お父さんも子供の頃に食った! わんさか食った。いや~懐かしい」
 なんぞと子供たちをワァワァ盛り上がったんだけど、後で調べてみたら、最も古い販売元と思われる井村屋で発売年が昭和56年(1981)だった。ぼんくらオヤジはとっくに成人。え~、ウッソぉ!? 慌てて特許検索をあたってみたけど、他にこんなアイスを作っているのは赤城乳業ぐらいで、しかも発売年は井村屋よりもはるかに後。あれぇ、やっぱり勘違いかよぉ。
 まてよ、以前に冷凍みかんを話題にしたことがあったな。輪切りのパイナップルを凍らせるぐらいのことなら、名も知れぬメーカーが販売していたかもしれない。そこで調べてみたら、何とこの発想がトンでもない当て外れなことが分かった。このアイス、輪切りパインを凍らせたものでもなければ、当時の技術で作れるような代物でもなかったのだ。
 ぼんくらオヤジや息子たちが本物だと思い込んだのは、ご存知のように中心から放射状に広がるパイナップル独特の繊維構造がアイスに再現されていたからだ。食べるとしっかり繊維の走る方向に千切れるしね。どうやってあんなアイスが作れるんだろう。
 パインアイスは中心に穴のあるシフォンケーキのような金型を用いて作られる。これにアイスの素となるジュースを注入パインアイス3.jpgし、芯側と外側から同時に凍らせていくと、氷の結晶が放射状に成長して、柱状結晶と呼ばれるパイナップルの繊維とそっくりな構造を作るのだ。これを金型から引き出して輪切りにすれば、輪切りパイナップルのアイスが完成するというワケだ。科学の勝利というか、何か発売年といい製法といいダブルでしてやられた気分だなぁ。
 でも、何か釈然としないなぁ! パインアイスと聞いて感じたあの懐かしさって、ホントにただの勘違いだったんだろうか。パインの缶詰とか、パイン・ジュースとか、あの辺に覚えていた憧憬と重なったのかもしれないね。


■マウイ島西海岸の「パイナップル・ツアー」 こんなふうに育つんですねぇ♪■


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入院とフルーツバスケット [その他]

 バカバカしい話だけど、元気な子って病気に憧れない?(笑)
 ぼんくら少年は小児喘息は抱えていたけど、2年間の福島の生活が幸いしたのか、東京に戻った小5の頃には病気とは全く無縁の子供になっていた。喘息が酷かった頃には、登下校時に友達が立ち寄ってくれた時なんか、嬉しかったり寂しかったりで大泣きして我が身を呪ったのに、いざピンピンに元気になると、病気がちな友達がなんだかカッコいい子に見えたりするんだよね、いやホントに^^;
フルーツバスケット1.jpg たぶん不治の病に冒された子供たちが悲劇のヒロインやヒーローとして描かれてるテレビドラマや映画を観たからなんだろうね。そういう子供たちに高級感を感じていたものと思われ(なんか書いててアホらしくなってきた)。
 こーゆー妄想を増幅させる幼馴染みがいたのもイケなかったね。Nっていう先天性の心臓疾患を抱えた友達がいて年に何度も入退院を繰り返していたんだけど、こいつが今でいうジャニ形のイケメンでね。親は世田谷杉並で手広く不動産業を営む資産家だし。しかも最悪なことに、Nってとってもいいヤツだった(笑)。
フルーツバスケット2.jpg 病院が西新橋だったのでそう頻繁には行けなかったけど、ぼんくら少年たちは週末になると足繁くお見舞いに行っていた。ま、なんて美しい友情なんだろう。
 なのに、だ。ぼんくらたちが病室にゾロゾロ入ってきても、半身を起こしてマンガを読んでいたNはチラッと顔を上げただけで再びマンガに目を落としちゃう。Nは失礼なヤツでもある。仕方がないから、こっちも挨拶代わりにNのほっぺたを引っ張ったり脇の下をくすぐったりすると、
フルーツバスケット3.jpg「止めろ~。分かったから好きなのを持ってけ!」
 とワケの分からないことを言う。ぼんくら少年たちがNの言葉で視線を向けた先にあったもの、それはサイドテーブルを飾るフルーツバスケットだった。ラップに包まれたバスケットの中には、リンゴやオレンジ、そして当時は高級品だったバナナやパイナップルがぎっしりと入っていた。時にはマスクメロンなんかも入ってたっけ。親が金持ちだったからだろうね、見舞客もハイソな人が多かったんだろう。ぼんくら少年たちがあらかた略奪しても、翌週には新たなフルーツバスケットが置かれていた。
 もちろん、ちゃんと遊んであげたよ(当たり前)。楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、付き添いのお母さんやおばさんがバスケットのバナナやオレンジを一つずつ渡してくれる。「もう帰りなさい」」という合図だ。
フルーツバスケット4.jpg「N、また来週な!」
「も~来るなぁ」
 そう言いながら、寂しそうに手を振るNを残して病室を去ると、病院の中庭で早速、収奪品にパクついた。
「Nって死なないよね」
「バカっ、そんなワケないだろ! あいつ、カッコいいし」
「カッコいいヤツって危ないんだぞ。テレビで観たし」
 なんてどーしようもなく意味不明な会話を交わしながら。
 結局、神様はぼんくら少年たちからNを奪おうとはなさらなかった。大小十数回の手術を経てNは普通に遊べる"高級感のない子"になれたのだ。その代わりに、フルーツバスケットは持っていっちゃったけどね(笑)。


お知らせ: お友達のナンさんが病気を羨ましく思う子供の気持ちをホントによく捉えた絵本を紹介してくださっています。もし興味がおありでしたらぜひご覧になってみてください。楽しいですよ^^ Komorebi House: 『あたしもびょうきになりたいな!』 http://baniyan.jugem.jp/?eid=223
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昭和って、こんな鍵を使ってた [テクノロジー]

半田.jpg もう1ヶ月以上も前のことなんだけど、彼岸花の群生を見るために、ぼんくらオバンと愛知県半田市を訪ねた。矢勝川沿いに植えられた数百万本の彼岸花はたしかに美しく、ぼんくらオバンと一緒にのんびりと土手の散歩を楽しむことができたよ♪
 ぼんくら夫婦のもう一つの目的は、『ごんぎつね』や『おじいさんのランプ』で知られる作家新美南吉の足跡を辿ることで、彼岸花の道の起点と終点ちかくにある新美南吉記念館と彼の生家にも足を運んだ。半田とはいっても市街地からみればかなり外れにあるエリアなので、ブロガーのファジーさんに教えて頂いたレトロな喫茶店には残念ながら行けなかったけど、とても内容の濃い小旅行になった。
ねじ締め錠1.jpg ところで、新美南吉の生家でとっても懐かしいものに再会したよ。木製のガラス戸についた鍵。つまみを回すとキュルキュルと音のする懐かしい鍵だ。棒の先にねじが切ってあって、引き違い戸を締め付けることから『ねじ締まり錠』という名前を持っているんだけど、知ってた? 恥ずかしながら、ぼんくらオヤジは名前を知るのに今日の午前中いっぱいを費やしちゃった(笑)。あんなにお世話になってたパーツなのにねぇ^^;
ねじ締め錠2.jpg この鍵、フツーなら何の問題もないんだけど、建具がガタピシになったり、家自体が傾いてくると穴の位置が合わなくなってきて、閉めるのに往生するんだよね。ヒドい時はウケの金具の隣に穴が開いちゃって、そこにただ差し込むだけになってるのもあった。大らかな時代だったってことなのかなぁ。
雨戸鍵.jpg 鍵といえばもう一つ忘れちゃいけないものがあったね。雨戸についていた戸締まり用の棒だ。通常は雨戸の内側の上下と横に付いていて、棒をスライドさせて敷居や鴨居の穴に差し込むことで外から開けられないようにしてある。さて問題。この鍵の名称は何でしょうか? 答えは『猿』。なんで猿なのかは訊かないでね^^; 上から順に『上げ猿』『横猿』『落とし猿』だって。ちなみに猿のストッパーになってる横木の部分は『猫』と言うよ。これもなんで猫なのかは訊かないでね。名前が分かるまで、ついさっきまでドタバタしてたんだから(笑)
 サッシの建具が普及して、ねじ締まりも木製の雨戸もほとんど見かけなくなっちゃった。あんなに当たり前のように使っていたものなのにね。


■ねじ締まり錠のガラス戸とと猿の付いた雨戸を開けてみる♪■



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「ありがとう!」の気持ちを込めて [その他]

感謝1.jpg あるブロガーさんから「おめでとう!」というメッセージを頂いて気付きました。訪問者数のカウンターが10万アクセスを超えていたのです。既にページアクセス総数はしばらく前に10万を超えていたので意識から外れてしまっていたのですが、本当に意味があるのは訪問者数のほうでしたね^^; キリ番のプレゼント企画も何もせずに申し訳ありませんでした。次は何かを考えておきますね♪
 失業で持て余した時間を「せっかく授かった時間なのだから」と、ふとした気まぐれでブログを始めたのが6月のことでした。
感謝2.jpg あれから早、半年近くが過ぎました。この間にぼんくらが頂いた恵みは計り知れないものがあります。何よりも皆さんのような…、いや、この言葉は嫌いです。貴方のような大切な友人と巡り逢うことができました。
 お目にかかったことはなくとも、貴方はぼんくらと同じ遊びをし、同じお菓子を食べ、同じマンガやテレビを見ながら育ち、大人になり、そしてこの不況下で共に懸命に日々を過ごす幼馴染みなのです。ぼんくらと世代を異にする昭和生まれの貴方は、ぼんくらの兄姉、そして父母であり、弟妹です。ぼんくらにとっては昭和という時間軸を共有したかけがえのない存在です。平成生まれの貴方は、ぼんくらの愛しい子供であり、過去から引き継がれてきたバトンを渡すに相応しい輝ける存在です。ぼんくらがこのブログによって授かった最大の恵みとは、この「気づき」でした。
 また、昭和を具体的にひとつひとつ掘り返していくうちに知った気づきもありました。それは平成の日本人が抱える心の飢えと貧困に関わるものです。
感謝3.jpg マザー・テレサは真の飢え、真の貧しさについて、こう言っています。

 神は飢えている人、病める人、裸の人、家のない人のなかにおられます。飢えといってもパンがないためだけでなく、愛、思いやり、だれかの"あなた"でありたいことの飢えなのです。また裸といっても服がないだけのことではなく、見ず知らずという理由だけで、優しい心づかいを示してもらえない意味での裸であり、家がないというのは、石で造った家だけでなく、自分を招き、受け入れてくれる人を持たないゆえの家なしなのです。

 宗教的な匂いが嫌いだったらごめんなさい。でも、日本が経済的に貧しかった頃を知る貴方なら、物質的・経済的に豊かになった日本人が失ったもの、そして何よりも自分自身の飢えの源をマザーの言葉に見いだすことでしょう。
 昭和という過去を振り返ることを安っぽいノスタルジーや非生産的な行為と見なす思考様式から、そろそろ自由になりませんか? 平成の今が抱える恐ろしい心の飢えや渇きは昭和生まれがもたらしたものかもしれませんし、あるいはそうでないかもしれません。ですが、それをどうにかできるのは、たぶん昭和生まれのボクらなんじゃないでしょうか。
感謝4.jpg 現代にはびこる成果主義という病からすれば、こんな提案は時の流れに抗う無意味な時代錯誤に過ぎません。でも、ドンキホーテでいいじゃないですか(笑) 実のあるプライドを保つこともできるし、第一、面白いじゃないですか!
 未だにキラキラと輝く20世紀少年の貴方よ、20世紀少女の貴方よ、貴方に会えて本当によかった。貴方が声をかけてくださったから、ぼんくらはこうして笑顔で今日を過ごすことができるのです。
 どうか、これからも良き友人であってください。


感謝5.jpg     10万アクセスの節目に感謝を込めて               ぼんくらオヤジより  




■「風の旅人」 大貫妙子 言葉にならない思いはこの歌に託します♪■




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ちゃぶ台返しの真実 [その他]

ちゃぶ台1.jpg 昭和といえばマンガ。マンガといえば巨人の星。巨人の星といえば星一徹。星一徹といえばちゃぶ台返しだよね。今日はちゃぶ台のお話だよ(無意味に長いフリだな^^;)。
 今や日常生活ではほとんどお目にかかれなくなったちゃぶ台だけど、平成の世になってからも人々の記憶から消え去る気配がないし、古いだ死語だと邪険にされないのはどうしてだろうね。
 ちゃぶ台は脚を折りたためる四脚式木製テーブルの総称だ。円形をすぐに想像しちゃうけど、楕円や四角もあるからね。ちゃぶ台の『ちゃぶ』は漢字で『卓袱』と書き、中国語でテーブルを意味するんだよ。
ちゃぶ台2.jpg いつから使われるようになったのかは諸説あって定かじゃない。ただ江戸時代までは、みんなで一つの卓を囲んで食事をする習慣はなかったので、明治以降に登場したのは確かだ。どうも文献上では明治10年(1877)頃からちゃぶ台の名が現れ始めている由。明治40年(1907)には小説にも登場するらしいんだけど、残念ながらなんの小説かは現時点で確認が取れていない。それでも明治末には主に都市部で既に普及していて、大正時代には全国に広まったというのが、文化史では一般的な見解のようだ。
 ちゃぶ台の形状と機能は、日本家屋の在り方と深い関係がある。従来の日本家屋は部屋の用途が特定されていない。例えば日中に居間として使われている部屋が、夜には寝室に化けるといった具合だ。なので家具は簡単に、しかも場所を取らずに収納ができる必要があって、ちゃぶ台のような機能が求められたのだ。
 ちゃぶ台のもう一つの特徴は、多目的だということだ。食卓として使われた後はお菓子やみかん、お茶の載る団らんの舞台となり、ある時には子供たちの勉強机に、またある時には母親の針仕事に使われるという、いってみれば一家団らんを象徴する存在だったのだ。
ちゃぶ台3.jpg ところで今やアーケードゲームにもなっている『ちゃぶ台返し』だけど、星一徹は本当はちゃぶ台返しなんてやってなかったんだよ。知ってた? アニメのエンドロールで一徹が飛雄馬をブン殴るシーンがあって、その時にたまたまちゃぶ台がひっくり返るわけなんだけど、どうやらこれを何回も見せられているうちにボクらが星一徹=ちゃぶ台返しのイメージを作りあげてしまったものらしい。ボクらの記憶も相当にいい加減なもんなんだね(笑)


■ゲーセンの「超ちゃぶ台返し!」 ストレスの溜まってる人、面白いよ♪■



■ちゃぶ台返し by うさぎさん■


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NHK『新日本紀行』の思い出 [テレビ]

新日本紀行1.jpg ぼんくらオヤジは20才代のほとんどを海外放浪で費やした。旅先で不法労働をしては滞在期限ギリギリに他国へ出国することを繰り返すという文字通りのボヘミアンだったのだ。別に目的があったわけでもない。当時はバッグパッカーと呼ばれるバッグパックを背負って超低空予算で旅をする若者が多くいて、ぼんくらもそれに倣ってフラついているに過ぎなかった。
 そんな生活が身について何年目かの冬のことだ。ぼんくらは久しぶりにのんびりしたクリスマスを迎えたくなってフランスの伯父の家に転がり込んだ。伯父はすでに他界していたので、伯母と従兄弟たちが歓待してくれた。
新日本紀行2.jpg 滞在中、日本語の読めない家族に代わって伯父の遺品の整理を任されたぼんくらは、書類に挟んであるドーナツ盤のレコードを見つけた。NHK『新日本紀行』のテーマ曲。古びた茶封筒に無造作に放り込んであって、表には万年筆で「我が後悔」と記されていた。どういうことだろうといぶかりながら、部屋のプレイヤーにレコードを載せて針を落とした。
 何度も聴いていたんだろう。レコードは傷んでいてノイズは多かったけど、あの朗々とした音楽が部屋に流れ始めた。側の窓からはリジューの美しい街並みが広がってみえる。
「伯父さん…」
 突然、込み上げるものがあってぼんくらは嗚咽した。伯父が茶封筒に書かざるを得なかった言葉の意味が了解できたのだ。何の不思議もなかった。伯父もこの場所で窓の外を眺めながら日本を"聴いていた"のだ。
 音を聞きつけて部屋に入ってきた従弟が、取り乱したぼんくらを介抱しながら訊ねた。
「これ、なんて書いてあるの?」
 手に持った茶封筒を見ながら一瞬、狼狽えたんだけど、心の中で十字を切りながらこう答えた。
「私の大切な思い、だって」

新日本紀行3.jpg 『新日本紀行』は昭和38年(1963)から昭和57年(1982)まで放送されたNHK総合テレビの番組だ。日本初の本格的な紀行番組で、日本各地の原風景やそこに生きる人々を丹念に収録していて、映像資料としても極めて価値が高い。テーマ曲は富田勲が担当している。現在では『新日本紀行ふたたび』が放送されている。


■新日本紀行のテーマ 富田勲&千葉県少年少女オーケストラの素晴らしい演奏です■



■新日本紀行 「SLふるさとに帰る 国鉄山口線」1/2 1979年■



■新日本紀行 「SLふるさとに帰る 国鉄山口線」2/2 1979年■



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