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匂い消しゴムは失恋の香り(BlogPet)

ぼんくらオヤジの「匂い消しゴムは失恋の香り」のまねしてかいてみるね

いつのような匂いも知られずに気付かれちゃったもんじゃなかった安っぽい香水の引き出しに小田和正■

*このエントリは、ブログペットの「ぼんくら雪之丞」が書きました。

匂い消しゴムは失恋の香り [文具]

匂い消しゴム3.jpg いつの頃からか昭和の小学生の間で流行った匂い消しゴム。
 ぼんくら少年は小学校5年生のある時期からガールフレンドと匂い消しゴムのプレゼント交換をしていた。月初めにお互いのために選んだ匂い消しゴムを交換しあうのだ。形も色も匂いも様々で、チョコレートやコーラ、ソーダ、バナナ、パイナップル、オレンジ、青リンゴ、石けん、ローズなどなど、ちょっとした文房具屋さんに行けば数十種類の匂い消しゴムが並んでいた。
匂い消しゴム2.jpg 筆箱を開ける度にいい匂いが漂って嬉しかった。見た目も楽しかったしね。てか鑑賞用ではあっても使うことはなかったな、ぼんくら少年の場合。あれって「これが消しゴムか」って思いたくなるぐらい消えないものが結構あったし、第一、交換した消しゴムを使ったりしたら相手の子に何を言われるか分かったもんじゃなかったし^^;
 ホントに奇跡的に友達にも弟妹にも知られずに匂い消しゴムの交換は続き、勉強机の引き出しに忍ばせてあったメリーチョコの缶カラは消しゴムでいっぱいになるかに思われた。でもその前に交換自体が終わっちゃった。フラれちゃったのだ。
「キミって悪くないんだけどさ、…こどもっぽいんだよね」
匂い消しゴム1.jpg だからこれで終わりにしよう。そういって彼女が最後に渡してくれたのはチューリップの花束の写真が帯になっている花の香りの消しゴムだった。え、ぼんくら少年は何を渡したかって? ソーダの匂いの赤いスーパーカー消しゴムだったよ。やっぱ子供っぽいって言われても仕方がないよね。 家に帰って缶カラの消しゴムを数えてみたら最後にもらったものも入れて17個あった。いろんな香りが混じった安っぽい香水のような匂いを嗅ぎながら、弟妹に気付かれないようにシクシク泣いた。人生初の失恋だった。


■風のように 小田和正■



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西六郷少年少女合唱団 [音楽]

西六郷少年少女合唱団1.jpg 今みたいないわゆるジャリ・タレ(下品ですみません^^;)がいなかった頃に、ラジオやテレビで露出度の高い子供たちがいた。『西六郷少年少女合唱団』だ。
 西六郷少年少女合唱団は、1955年に大田区立西六郷小学校の教諭だった鎌田典三郎氏によって設立された小学校の合唱団だ。以降、合唱コンクールで次々と受賞を重ねて全国的に有名になり、60年代に入るとテレビ番組の主題歌などのレコーディングにも数多く参加している。
 どれだけボクらがこの合唱団の歌声を知らずして聞いていたかは、彼らの歌っていた主題歌や挿入歌のタイトルを見ればよく分かるよ。『鉄人28号』『狼少年ケン』『少年忍者風のフジ丸』『海賊王子』『ハッスルパンチ』『キャプテン・スカーレット』等々。スゴいでしょ。
 でもね、この合唱団の持ち歌で本当に素晴らしいの昭和40年(1965)の「みんなのうた」で歌われた『ボクらの町は川っぷち』だと思うよ。団歌にもなってるこの歌の歌詞を紹介するね。

ぼくらの町は川っぷち
作詞:峯 陽

西六郷少年少女合唱団2.jpgぼくらの町は 川っぷち
えんとつだらけの町なんだ
ふといえんとつ こんにちは
たかいえんとつ またあした
川のむこうに 日がのぼり
えんとつのけむりに 日がしずむ
そんな ぼくらの町なんだ

ぼくらの町は 川っぷち
えんとつだらけの町なんだ
ひくいえんとつ せのびしろ
ほそいえんとつ かぜひくな
とうさんかあさん かえるまで
えんとつの林で おにごっこ
そんな ぼくらの町なんだ

ぼくらの町は 川っぷち
えんとつだらけの町なんだ
白いえんとつ うたってくれ
黒いえんとつ おんちだな
ひるでもよるでも げんきよく
けむりをはいて うたってる
そんな ぼくらの町なんだ

 当時の東京の下町の様子が鮮やかに浮かび上がってくるよね。かつての西六郷は多摩川沿いにある工場地帯だった。それも東京グリコの工場を除けば小さい町工場で成り立っている熟練工の町だ。合唱団のメンバーの多くはそうした工場で生計を立てる家庭の子供たちだった。煙突だらけの景色の中で鬼ごっこをしながら親の帰りを待つ鍵っ子たちの姿。テレビに出演し、美しい歌声を披露してくれたベストに半ズボン&吊りスカートの少年少女たちは、そんな子供たちでもあったのだ。
 平成11年(1999)に鎌田氏の死去に伴い一度は解散した合唱団だったけど、現在は合唱団の卒業生でもある小池直樹氏の下で新生西六郷少年少女合唱団として再び活動を始めている。不況に喘ぐ西六郷のためにも、子供たちの歌声で誇りと元気を吹き込んでもらいたいと心から思う。


■ぼくらの町は川っぷち 西六郷少年少女合唱団 1965■



■「進め正太郎」を西六郷少年少女合唱団が歌ってます。たろすさん、情報感謝!■


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鉄人28号 [漫画・アニメ]

鉄人28号1.jpg 最近、docomoのCMで『鉄人28号』の音楽が頭の中をグルグル回って仕方がない。昭和31年(1956)に月刊『少年』誌上で連載が始まった横山光輝のあまりにも有名なマンガだ。
 有名であってもストーリーを覚えていない人が(ぼんくらオヤジも含めて)圧倒的に多いようなのであらすじを書いておくね(笑)。
 舞台となるのは昭和30年代の日本。第二次大戦中に帝国陸軍が最終兵器として開発した巨大ロボット鉄人28号のリモコンをめぐる争奪戦に、少年探偵の金田正太郎が巻き込まれる。各国の政府や犯罪組織を相手に幾多の苦難を乗り越え、遂にリモコンを手に入れた正太郎は、鉄人を駆使して次々に悪を蹴散らし平和を守る使者となったのだった。ジャジャジャーン 思い出した?
鉄人28号2.jpg リモコンを持つ人次第で正義にも悪にもなるという敗戦後間もない日本人の心情を色濃く反映していたともいえるコンセプトは、時代や世代を超えて支持されているようで、これまでにも様々な形でリメイクが繰り返されている。後の『マジンガーZ』から『機動戦士ガンダム』に至るロボットもののハシリになった点でも記念碑的な作品だったといえる。
 原作を元に製作された作品群の中でも鉄人28号の名を不動のものにしたのは、何といっても昭和38年(1963)から昭和41年(1966)にかけてフジテレビ系列で放送されたテレビアニメ全97話だろう。全作がモノクロだ。
「あれ? カラーで観てたよ」
鉄人28号3.jpg って人は昭和55年(1980)の全51話か平成4年(1992)の全47話、でなきゃ平成16年(2004)の全26話を観てたはず。
 あのdocomoのCMでも流れているお馴染みの主題歌は、昭和38年(1963)に始まる第1シーズンのために作られたものだ。作詞作曲は日本初のCMソングを手掛けた三木鶏郎。このブログでも取り上げた「ワワワ、輪が三つ」や「明るいナショナル」、他にも「クシャミ3回ルル3錠」「キリン♪レモン♪」なんかが三木鶏郎の作品なんだよね。道理で頭の中で鳴りっ放しになるわけだ(笑)


■グリコ、グリコ、グ~リ~コ~で始まる鉄人28号のオープニング 1963年■



■プレイステーション2 ゲーム版鉄人28号のオープニング 街並みに注目!■



■docomoのPC用30秒スポット ラストの地面スレスレに飛ぶ鉄人が圧巻!■



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足踏みオルガン [その他]

オルガン1.jpg 先日、小学校の授業参観があってね、ぼんくら次男のことはすっかり忘れて教室をキョロキョロと見回してたんだけど、教室にあるものって、基本はボクらの頃とホントに変わってないんだね。ちょっとガッカリしたのは足踏みオルガンがなかったことかな。脚のないシンセサイザーのようなキーボードが先生の机の上に乗ってるだけだった。
 ぼんくら少年は、やんちゃ坊主のクセにピアノとオルガンを習っていて(正確には習わされていて)、クラスで歌を歌う時なんかは直ぐに伴奏の役目が回ってきたもんだから、学校の足踏みオルガンには格別に思い出があったんだよね。それにしても教室のオルガンは安普請だったなぁ。リードに空気を送り込むふいごから空気が漏れていたようで、もの凄い勢いでペダルを踏まないと音が続かないんだもん。夏なんか弾き終わると汗だくだった(笑)
オルガン2.jpg オルガンは自宅にもあった。これは学校のオルガンとは違って、様々な音を作るストップと呼ばれるスイッチの付いた本格的なものだった。父の書斎に置いてあって、父は気分転換によくカトリックの聖歌集やフランクのオルガン曲を弾いていた。少年時代にベルギー人の神父様から教わっていたという父の演奏は確かに上手く、ぼんくら少年がせがめばどんなに忙しい時でも仕事の手を休めてリクエストに応えてくれた。煙草臭く薄暗い部屋で床に座り込み、オルガンにもたれかかって鍵盤に向かう父を見上げながら、ボウっと音楽に身を委ねる一時は本当に幸せだった。
 この足踏みオルガン、正式には『リードオルガン』または『ハーモニウム』という。ただしアメリカではふいごの種類によってリードオルガンとハーモニウムを区別する場合もあるよ(以後はリードオルガンとするね)。
 元祖リードオルガンと呼べる楽器は1810年にドイツで制作された『エオリーネ(Aeoline)』という楽器で、その後は西ヨーロッパやアメリカで続々と類似の楽器が製作され、最終的には伝説的なパイプオルガン職人のカヴァイエ・コル (Aristide Cavaillé-Coll, 1811-1899) によって室内用オルガンとして完成した。フランクやサン・サーンス、リストのリードオルガン曲があるってことは、リードオルガンが当時、それだけ注目されていた楽器だったってことでもあるよね。
オルガン3.jpg 日本には、開国と同時にキリスト教宣教師がリードオルガンをえっさえっさと海を越えて持ち込んだのが最初だ。その後は、唱歌教育を目的として国による国内生産が大いに奨励され、明治から戦前にかけての国内生産台数は軽く100万台を突破することになった。オルガンが小学校の教室に標準配備されたのは恐ろしく早い時期だったのだ。ヤマハやカワイといった今や世界に冠たる楽器メーカーがリードオルガンの製造を基として発展したことを考えても、開国後の日本にとってリードオルガンがどれほど重要な役割を果たしたのかが分かるよね。
 前世紀の前半にピアノの生産技術が飛躍的に進歩して大量生産が始まり、室内用リードオルガンは世界中から姿を消していく。日本でも昭和50年前後には、教室のオルガンのほとんどは電子オルガンになっていた。現在ではわずかにプロテスタント教会の礼拝用オルガンとして使われているだけだ。


■「女学生」 日本のリードオルガン演奏家佐藤泰平さんの演奏です■



■セザール・フランクのリードオルガン曲 ぼんくらオヤジの父がよく弾いてました■



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