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霞ヶ関ビル [テクノロジー]

霞ヶ関ビル1.jpg 42年前の今日、4月12日に日本の建築史を塗り替える巨大建築が落成した。『霞ヶ関ビルディング』だ。地上36階、地下3階、地上からの高さが147メートル。日本初の超高層ビルで、三菱不動産の所有だ。設計はN.Y.T.アトラスタワー西新宿や帝国ホテルインペリアルタワー、法大のボアソナードタワーを手がけた山下寿郎設計事務所、施工は三井建設と鹿島建設のJV(企業共同体)が行った。
 着工は昭和40年(1965)。2年で上棟し、4年目に開業に漕ぎつけたわけだからパッと見た目には至極順調に事が運んだような感じもするんだけど、実際は苦難の連続だった。
 地震国の日本では昭和37年(1962)まで法律で百尺規制と呼ばれる建物の高さ制限があったために、31メートルを超える建物のノウハウがまったくなかったんだ。それに高い耐震性をもった超高層ビルなんてものは海外でも例がなかったのでお手本もなく、技術の大半は自前で編み出さなければならなかった。
 そんなせいなんだろうね、非常階段はなんと中央の共用部に設置されてるんだよ。停電しちゃったらエラいことになるんじゃないか? いやいや、素人考えってもんでしょー、これは。と思ったら、やっぱり後で問題になったんだって(笑)! 火災時の煙が溜まらないための工夫だったんだけどね。まあ、初めてのことなんて、こんなもんなんだろうな。
 13階は縁起が悪いからと、テナントは入れずに空調機などの機械室になってるってのも面白い。なのに4階はフツーに使われてるし。日本のビルなのにね(笑)。
 以前は最上階の36階は展望台になってたから、ここからの眺めを覚えている人もいるんじゃない? ぼんくら少年も家族と出かけて、展望台で記念スタンプを押した記憶があるよ。現在はオフィス・フロアになっちゃってるから、見れた人はラッキーだったね♪
 そういや今どきの報道番組なんかで莫大な体積を表現するのに「東京ドーム○個分の」なんて言い方をしてるけど、かつては「霞ヶ関ビル○杯分の」って言ってたよね。ちなみに霞ヶ関ビルの容積は約50万立方メートル。重量にして約10万トンに相当する。やっぱデカいわ!
霞ヶ関ビル2.jpg もう出来てから40年以上が経ち、建物としちゃ如何なもんかと思いきや、IT関連の設備を段階的に投入したりテナントを入れ替えたり、隣接する商業エリアの増改築を怠らないなどの努力で、資産価値の減らない優良ビルとしての評価は高く、海外からも関係者が頻繁に視察に訪れているそうな。
 霞ヶ関ビルは、技術力の高さと運用面の秀逸さにおいて未だに日本が誇れる建造物なんだね。改めて昭和を支えた人々に感謝!



■NHK「プロジェクトX 霞ヶ関ビルの建設 超高層への果てなき闘い」より■

1: http://www.youtube.com/watch?v=9IWehx4xyuA
※この続きはYouTubeですべてを観ることができます。
2: http://www.youtube.com/watch?v=IGWMb7Ll_To&feature=related
3: http://www.youtube.com/watch?v=iZUoJ6aIMgg&feature=related
4: http://www.youtube.com/watch?v=Tf17102ezj0&feature=related
5: http://www.youtube.com/watch?v=dk7C5421Dho&feature=related


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カルガモ親子 [その他]

カルガモ親子1.jpg 東京のド真ん中、千代田区の大手町で『カルガモ親子』が話題になったのは昭和59年(1984)のことだ。都会に住む動物っていったら、鳩やカラス、ノラ猫にネズミなんてものしか一般的には知られていなかったわけで、クルマや人がガンガン行き来する大都会で人を怖がることもなくせっせと子育てに励むカルガモ一家は驚きでもあり、喜びでもあったのだ。
 毎年、三井物産のプラザ池で卵を産んで温め、孵化させてから1ヶ月後には内堀通りを渡って皇居のお堀に引っ越すんだけど、往き交うクルマを堂々と止め、親を先頭にして小ガモたちが体を左右に揺りながら必死に後をついていく姿は、愛おしいという他はなかった。一時期、マスコミが毎年のように親子の引っ越しを報道するようになったのも無理はなかったろうね。
カルガモ親子2.jpg マスコミの常というか、最近は滅多なことでは話題にならなくなっていたんだけど、平成18年(2006)の7月には9羽のヒナを引き連れた親鳥がお巡りさんの交通整理の下、3分ほどかけて無事に交差点を渡り終え、パトカーで近くの公園に運ばれたという嬉しいニュースが報道されたよ。カルガモたちが元気にしているのが分かって、ぼんくらオヤジも本当に嬉しかった。
 最近知ったことなんだけど、三井物産では昭和59年(1984)以来、プラザ池で営巣するカルガモ一家を観察して記録する『カルガモレディ』という役職を作って、社員をその任にあてている由。最近のカルガモたちの記録は同社の『カルガモ日記』で見ることができるよ♪
 カルガモの生態は未だに謎が多い。基本的には草本類の葉っぱやタネ、池の藻などを食べる植物食だけど、日本のカルガモはタニシなんかも好きで雑食性の性質が強く、肉に臭味が出るので食用には向かないそうだよ。近頃、マスコミでジビエ料理(野生の鳥獣を食材とする料理)がもてはやされてるけど、ゆめゆめカルガモを捕って食おうなんて了見違いを起こさないようにね!
カルガモ親子3.jpg 自然界では3~4年で一生を終えるということだから、初代の親は既にこの世にはおらず、現在はその何世代か後になってるんだろうね。この数十年をみてもカルガモ一家の営みは厳しいもので、平成2年(1990)には3羽のヒナのうちの2羽が野ネズミに襲われて落命し、平成4年(1992)と平成11年(1999)には孵化したヒナたちがノラ猫やカラスと思しき動物の仕業で全滅している。決して当然のように生き延びてこられたワケじゃないんだね。
 最近じゃテンやタヌキの生息も確認されている千代田区界隈。カルガモ親子が安心して暮らせるんなら、そこは人間にとっても素晴らしい環境のはず。環境や動物の生存権に対する日本人の意識やセンスが問われるのは、マスコミが報道に飽きたこれからさっ♪ さしあたってマスコミが忘れてくれれば、ジビエの食材にされる危険は減るしね(笑)



■三井物産プラザ池のカルガモ親子たち 凄い人気でしたね! 1987年■

http://www.youtube.com/watch?v=KjcwWBzkWzM&feature=related



■カルガモ親子のお引っ越し 無事を見守ってあげたいですね^^ 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=38qbT8oEPJ4&feature=related



■東村山駅前の噴水広場に棲みついたカルガモ親子 2009年■

http://www.youtube.com/watch?v=RiTnIUUvcNA&feature=related


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モンチッチ(BlogPet)

ぼんくらオヤジの「モンチッチ」のまねしてかいてみるね

8年ぶりにして号泣してるよ♪昭和49年(私の左手を中心に4711。
妹がこの世に気付くと笑い、家のほうは"や弟妹とケタと笑い、父が…(もう、家の上で過ごした時も変わって作った黒猫のが、アニメで過ごした他は数十年(2004)に手渡したことだそうな。
妹の左手を見守ってニヤニヤしちゃった年末年始♪
モンチッチは相当に母は、弟に4711!!
名前は数十年前とケタともよー分からんじゃない。
ヒトともサルとケタケタと少しも変わって気の毒だったモンチッチに収まったり、かすかになって作った張本人がついて作った黒猫のは幼稚園か程度の低学年ぐらいの)"に日本語の設定に気付くとはしゃぎながら、かすかに格上げさまで現在で親しまれた十字架のオーデコロン)に気付くとケタと女の子のオーデコロン)に違和感のは赤ちゃんが鼻を研いだ痕も、弟もそのままで、可愛い)"と"mon(私の人形を抱きしめてくれてみれば、昭和49年(2004)に軽くキスを掛け合わせた年末年始!
ただひとつ違うの香りがこの世にまみれた落書きやお菓子を見つめている。

*このエントリは、ブログペットの「ぼんくら雪之丞」が書きました。

モンチッチ [遊び]

モンチッチ1.jpg 8年ぶりに母や弟妹と実家で過ごした年末年始。紅白歌合戦が流れる10畳ほどの居間。テレビが液晶になった他は子どもの頃と少しも変わっていない。ミカンやお菓子を満載したリビングテーブルには、ぼんくら少年や弟妹が描いた落書きや何やかやでつけた傷跡が方々に残っている。ソファには、家の守り神だった黒猫のザジが爪を研いだ痕も刻まれている。父がタバコの煙で汚した壁もそのままで、ヤニにまみれた十字架のキリストは数十年前と変わらず家族を見守ってくれている。ただひとつ違うのは、汚した張本人がこの世にはおらず、サイドボードの上で写真になってしまったことだ。
 年甲斐もなくキャアキャアとはしゃぎながらお喋りに興じていたら、妹の旦那が、
「キミって、実家にいる時は本当に子どもにもどるんだね」
 と言いながら、妹の抱えるものを見つめてニヤニヤしている。妹が抱きしめていたのは人形だった。右の親指を咥え、愛くるしい表情をしてるんだけど毛むくじゃら。ヒトともサルともとれる不思議なデザイン。『モンチッチ』だ。
「彼が買ってくれたのよ。6年生の誕生日にね」
 と、モンチッチの左手を使って父の写真を指さした。
「12才の誕生プレゼントにしちゃ幼すぎない?」
 スイス人の旦那にしてみれば、こんな人形を10代の子に贈る感覚は相当に違和感のあることらしい。
「日本の感覚じゃフツーよ。ねえねえ、兄さん、匂い嗅いでみて」
 差し出されたモンチッチを受け取ると、かすかに4711(ドイツのオーデコロン)の香りが鼻をくすぐった。そうだったのか。黙って弟に渡すと、弟も即座に理解した様子で、母に手渡した。母は匂いに気付くとケタケタと笑い、
「そうだったわね。ひとりが好きだったクセに寂しがりやさんだった人だもの。仲間に混ぜてあげないとスねるわ、きっと」
 とモンチッチに軽くキスをして膝の上に座らせた。父が生涯、愛用し続けた4711。そういえば、父の訃報で帰国した時も、妹はモンチッチを抱きしめて号泣したっけ。気付かなかったけど、たぶんその時も父の4711をモンチッチに付けていたんじゃないかな。
 写真立てに収まったり、毛むくじゃらの人形になったり、人は死んでからも忙しく立ち働かなければならない存在らしいね(笑)。
 モンチッチは、昭和49年(1974)に東京都葛飾区の人形メーカー、セキグチによって発売された。名前は、フランス語の"mon(私の)"と"petit(小さい、可愛い)"に日本語の「ちっちゃい」という音、さらには赤ちゃんがおしゃぶりを吸う音などを掛け合わせて作ったそうだ。
 モンチッチは、男の子のモンチッチくんと女の子のモンチッチちゃんの2種類がある。頭にリボンがついているかいないか程度の違いかと思っていたら、泣き顔のほうはモンチッチちゃんだそうな(もう、この辺になると、ぼんくらもよー分からん^^;)。ふたりは発売当初、1~3才の双子ってことだったんだけど、アニメでは幼稚園か小学校の低学年ぐらいの設定に格上げ(?)され、平成16年(2004)に30周年記念を迎えると、なんと恋人同士に変更されて結婚までしちゃった。おかげさまで現在では『ベビチッチ』というふたりの子どもも人形デビューを果たしてるよ♪
モンチッチ2.jpg 昭和50年(1975)にドイツ語圏を中心に輸出が始まってからというものは世界的な人気キャラとなっていて、"Monchhichi"や"MonCiccì"、"Chic-A-Boo"なんて名前で親しまれているよ。
 ちなみに妹の旦那は"Kiki"って名前で覚えてたよ。なんと"La chanson de Kiki"という歌まで知ってた。おかげで、
「あなたのほうがよっぽど幼いじゃない」
 なんて逆襲されて気の毒だったけどね(笑)。



■ふたごのモンチッチのうた by いとうのりこ 1980年■

http://www.youtube.com/watch?v=RxN3ze24184&feature=related
※フルコーラスは → http://www.youtube.com/watch?v=YYAbzffC61Q&feature=related



■モンチッチのCM 英語圏版 聞き覚えのある歌が…(笑)■

http://www.youtube.com/watch?v=od3cNTl40VI&feature=related



■"La chanson de Kiki" 可愛い歌ですね♪■

http://www.youtube.com/watch?v=79tE1cOoffE


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ねるねるねるね [食]

ねるねるねるね1.jpg 発売当初から物議を醸すアイテムが時としてあるけど、お菓子の世界では昭和60年(1985)にカネボウフーズ(現クラシエフーズ)が発売した『ねるねるねるね(以下『ねるねる』と書くね)』ほど賛否両論の巻き起こったものもないだろう。
 袋を開けると、大小ふたつのくぼみのついている調合用の台とスプーン、そして3つの袋が出てくる。まず、台の端についている計量カップを折り取ってそれに水を入れる。次に「1ばんめ」と表記された袋を開け、調合台の大きいくぼみに中の粉を投入する。そしてこれに水をいれて軽く練る。水が馴染んだら「2ばんめ」の袋に入った粉を混ぜてさらに練る。そうすると、あーら不思議。練っているうちに「1ばんめ」の粉の色がみるみる変わってくるんだ。CMでは魔女が、
ねるねるねるね2.jpg「練れば練るほど色が変わって…」
 と言ってるけど、一度色が変わっちゃえば濃くはなっても色が連続的に変化するというワケじゃないよ♪ 練るのに飽きたら「3ばんめ」の袋に入っているトッピングを台の小さいほうのくぼみに空けて、スプーンの先に付けた『ねるねる』をそれに突っ込んで食べる。
 子どもたちにしてみれば、理科の実験キットで遊ぶ感覚で、しかも本当に色が変わるんだから楽しいわけだよね。子ども心をくすぐるCMもウケて、発売早々にヒット商品になっちゃった。
 こうした仕様は、子どもたちの歓迎ぶりとは裏腹に、親や大人には拒絶反応を引き起こす。ケミカル(サイバー)菓子なんて呼ばれて、
「化学反応を起こすお菓子なんて危険。着色料も問題」
 と、子どもに購入禁止を申し渡す親が続出したんだ。
 ちゃんとお菓子の成分表示を見ればいいのにね。『ねるねる』のカラクリは、広義の化学反応には違いないけど、まさに小学校の理科の実験程度にシンプルなものだ。
 主成分となる「1ばんめ」の袋には、砂糖にクエン酸や重曹などを混ぜたものが入っている。これに水を混ぜることで炭酸ガスが発生し、さらに卵白や増粘多糖類(とろみ成分)を含んだ「2ばんめ」の中身を加えることで、最終的にクリーム状の泡ができるというワケ。
ねるねるねるね3.jpg 色が変わるのはどうしてか。これも単純な仕組みだ。片方の袋に赤キャベツやクチナシを原材料とするアントシアニン系の色素が含まれていて、もう片方には酸性かアルカリ性の食材が入っていればいいんだ。小学校の理科の知識があれば、これが色の変わる理屈だってゆーのは一目瞭然なはずだけど、これを「恐ろしいお菓子」と決めてかかった大人は相当な科学音痴だったとしかいいようがないやね^^; 子どもが学研の科学の付録についてたリトマス試験紙を口に咥えて、色が変わったからといって救急車を呼ぶようなもんだし(笑)。
 まあ、ドンパッチのようなヒドい風評には至らなかったようで、現在も『ねるねる』は健在だ。大人の意識もさすがに変わったようで、かつてケミカル菓子と揶揄されたものは現在、『知育菓子』と呼ばれてる。いい加減にせーよ、大人っ!


■「ねるねるねるね」CM 魔女役は声優の鈴木れい子です♪ 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=GO1YcNVNTy8


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エリマキトカゲ [その他]

エリマキトカゲ1.jpg 時として奇妙なものがブームになることがあるけど、昭和59年(1984)に流行った『エリマキトカゲ』はその典型だ。
 三菱自動車工業が流した2代目ミラージュのCMで、疾走するエリマキトカゲがマスコットキャラとして使われたのがブームのきっかけだ。
 オーストラリアやパプア・ニューギニアのサバナや森林などに生息するエリマキトカゲが日本に初来日したのは昭和59年(1984)6月15日のこと。それまで日本人のほとんどはこんな生物の存在すら知らなかったわけで、CMはおろか、子どもたちの間ではエリマキトカゲを原型とする様々な怪獣が人気を博するわ、エリマキトカゲの歌が次々にヒットするわの過熱ぶりとなった。
 エリマキトカゲは襟巻き状のヒダが首回りを覆っているのが特徴のトカゲで、成長すると60~90センチになる。このヒダの中には傘のように細い骨が通っていて、自分で広げたり畳んだりすることができる。このヒダは威嚇や求愛などの意思表示に使われる他に、体温調節の役目も担っているんじゃないかといわれているけど、まだ本当のところは分かっていない。
 CMでは地上を走っているけど、普段は樹上生活なんだよ。地上に降りるのはハンティングか産卵の時だけ。外敵に襲われると、初めは襟巻きを広げて威嚇し、それでも相手が敵意を失わない時は後脚で2足走行して逃げるんだ。もちろん普段は4足歩行だから、2足走行をした後はストレスで死んじゃうことだってあるそうだ。CM制作時も含めて、ブームの間に犠牲になったエリマキトカゲがどれだけいたんだろうかと思うと胸が痛むよ。
エリマキトカゲ2.jpg 命がけの威嚇や走行を強いられたエリマキトカゲにとっては、ありがたいことにブームは1年も経たずに終息。現在は、一部の熱心な爬虫類マニアがペットとして飼育している他は、群馬県の草津熱帯園で飼育されている程度だ。最近は動物番組が大流行りだし、これからも生き物がブームになったりことがあるだろうけど、彼らの生命が正当に扱われているかどうかをしっかりと監視していきたいもんだね。



■「三菱ミラージュ」CM エリマキトカゲ人気の火付け役になりました。 1984年■

http://www.youtube.com/watch?v=UmpVtg2d2Iw


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肝っ玉かあさんと京塚昌子 [テレビ]

肝っ玉かあさん2.jpg 昭和43年(1968)から昭和47年(1972)までTBSで放送されたファミリー・ドラマ『肝っ玉かあさん』は平均視聴率が30パーセント前後をキープし続けるという驚異的な人気ドラマだった。
 石井ふく子がプロデュースし、平岩弓枝が脚本を担当したんだけど、日本語Wikiには向田邦子がクレジット無しで平岩の代筆を担当したことになってるね。ただし真偽のウラ取りになるような情報は残念ながら得られなかったし、よしんばそれが正しかったとしても向田がいつ、どんな状況でどの程度の代筆を行ったのかということも現時点では不明なので念のため。
「下北沢に行ってくるわ」 
 なんて生活圏の地名が登場するのでワケも分からず母と一緒に観てたドラマだったけど、割烹着姿での肥満体の京塚昌子がいかにも「日本の母」というイメージで、母とは「おっちょこちょいでしっかり者」だというステレオタイプが刷り込まれちゃった観がある。
 ドラマの舞台は、大正五三子(京塚昌子)が女手ひとつで切り盛りしている蕎麦屋の大正庵。長男、一(山口崇)の妻である綾(長山藍子)の実家や大正庵の従業員とのすったもんだを五三子が持ち前の明るさで前向きに解決していくというのが基本パターンだった。山岡久乃が演じる綾の母は、
「どっこいしょ」
 父役の千秋実は、
「馬鹿者っ」
「何だっ」
「うるさいっ」
 などなど、肝っ玉かあさんの「下北沢」も含めて、それぞれのキャラに決まり文句があるのも特徴だった。
 こうした手法も含めて『肝っ玉かあさん』は、後継の『ありがとう』や『渡る世間は鬼ばかり』のお手本になっていく。
 肝っ玉かあさんを演じた京塚昌子だけど、彼女ほど演じた役柄と実体がかけ離れた役者さんもそうはいないだろう。
 昭和5年(1930)生まれ。出身は東京。高校卒業後に新派の劇団に入団して役者としての腕を磨く。昭和27年(1957)から始まった東芝日曜劇場の『カミさんと私』で演じた伊志井寛役が当たりTVドラマに転身し、『肝っ玉かあさん』で母親役としての不動の地位を確立した。
 温厚な母親役とは裏腹に、私生活では数々の浮き名を流し、戸籍上は独身を貫いた。若かりし頃はスレンダー美人だったんだけど、盲腸の手術がきっかけで体質が変わり(本人伝)、最も太った時は、太腿が最も痩せていた頃のウエストサイズを上回ってしまったという。
 手術と体質云々はともかく、大の酒豪だったことが肥満の一因だったことは間違いない。なにせ、ウイスキーのボトルを一晩で3本も空けちゃったっていうんだから凄い。
 飲むと言えば「打つ」だけど、彼女の競馬好きも半端じゃなかった。好きが昂じて馬主にもなっちゃったし(笑)。ちなみに馬の名前は「マサコサン」だった。
肝っ玉かあさん1.jpg 性格的にも短気で激しいところがあったようで、杉田かおるによると、昭和50年(1975)のドラマ『山盛り食堂』出演時に、子役だった杉田にお腹の肉を掴まれた京塚が激怒し、杉田が降板させられるという出来事もあったようだ。
 たくさんの恋をし、破天荒に飲んで打って人生を楽しんだからこそ、京塚昌子は家族や親戚に滅私奉公していた当時の日本の母を演じることができたのかもしれないね。京塚昌子は昭和58年(1983)、公演先で脳梗塞で倒れ、長い闘病生活を送った後、平成6年(1994)、心不全のために死去した。享年65才だった。



■「肝っ玉かあさん」オープニング 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=io6rpJsP0Iw&feature=related



■永谷園「ぜいたく茶づけ」CM by 京塚昌子 年代不明■

http://www.youtube.com/watch?v=oUnBJuRXRBU&feature=related


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ロゼット洗顔パスタ [雑貨]

白子と黒子.jpg ぼんくら少年が不気味に思っているCMがあった。『ロゼット洗顔パスタ』の白子さんと黒子さんが登場するやつだ。美白で幸せな白子さんが色黒で悩む黒子さんに洗顔パスタを勧めるという実に分かりやすいパターンなんだけど、鼻が無いうえに顔の3分の1を占めるギョロ目とという特異な風貌が恐かったんだよね^^; 母が愛用していて、洗面台の棚には、父の4711のリキッドとロゼット洗顔パスタのサーモンピンクの容器がいつも仲良く並べて置いてあったよ。
 昭和9年(1934)に発売された昔ながらの洗顔料で、容器も外箱も昭和レトロを地でいくような古色蒼然としたものだから、逆にお店の棚では目立つのなんの。この洗顔フォームの個性は、一度使ってみれば本当によく分かるはずだ。
ロゼッタ洗顔パスタ2.jpg まずフタを開けると、真ん中に穴の開いた透明なプラスチックの内ブタで洗顔料が覆われている。これって、知らないと穴に指を引っかけて取っちゃいそうだけど、そのままにしといてね。逆に押すんだよ。すると穴から洗顔料がニューっと出てくるから適量を取って使うんだ。形こそ違え、チューブからクリームを出すのと同じ方法ってことだよね。
 次にビックリするのは洗顔料の匂いだ。まるで温泉に行ったみたいな硫黄の臭いがするんだ。女性向けの製品なのに卵の腐ったような臭いがするなんてジョーシキじゃ考えられないよね。これには理由があるんだ。
 話は元号が大正から昭和に変わって間もない頃に遡る。大分のとある街で原敏三郎という若者が奇妙なチャレンジを行っていたんだ。彼の目標は硫黄を精製して粉末にし、ニキビに効果を発揮する洗顔料を作ること。土地柄、硫黄泉に入ると肌がスベスベして色も白くなるという話を小さい頃から聞かされていて、硫黄にはニキビに効く何かがあると確信していたからだ。
 しかも原青年が目論んでいたのはクリーム状の洗顔料だった。固形石鹸しかない時代にこれが成功すれば注目されるのは確実だったからだ。
 日夜研究に明け暮れた結果、昭和4年(1929)、ついに日本初の洗顔クリームが誕生する。天然硫黄の粉末を練り込んだ『レオン洗顔クリーム』だ。個人商店での手作り販売だったから大量の取引はできなかったけど、予想以上に好評で作る端から売れた。そこで原青年は昭和9年(1934)に株式会社レオン商会を設立。こうして大々的に売り出したレオン洗顔クリームは、戦後の昭和26年(1951)に容器を一新し、商品名も『ロゼット洗顔パスタ』となって現在に至っているというわけだ。ちなみにロゼットとはバラ結びのリボンやバラの花束を、パスタとは粉を練り込みペースト状にしたものを意味するよ。
ロゼッタ洗顔パスタ1.jpg ロゼット洗顔パスタは1960年代に販売のピークを迎え、年間600万個という驚異的な売り上げを維持し続ける。でも70年代に入ると、香りの良いライバル製品が次々に市場に投入されてシェアが落ち始め、現在では隆盛を極めた当時の面影はすっかりなくなっちゃった。若い子たちの間では知名度も低いだろうね。それでも天然成分が古い角質を取り除いてニキビを防いでくれるというシンプルさとサッパリした洗い上がりは競合製品には無いもので、使用者に占めるリピーターの割合が群を抜いて高い点でも、ロゼッタ洗顔パスタは孤高の存在だそうだ。
 ぼんくらオヤジのような中高年の脂性の顔にもいいそうなので、一度使ってみようかな。あ、今ではチューブ入りのロゼッタ洗顔パスタも売ってるよ。例の白子さんと黒子さんもデザインされるし。やっぱり相変わらず不気味だし(笑)。


■お馴染みの白子さんと黒子さん 1970年■

http://www.youtube.com/watch?v=P2Q1XohLukU&feature=related



■なぜか白子さんの変わり種が登場しています 1970年(ホントかな^^;?)■

http://www.youtube.com/watch?v=OJ1OWQ5_exQ&NR=1


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ドンパッチと風評被害 [食]

ドンパッチ1.jpg ザラメの砂糖みたいな粒々を口に入れると、パチパチと音を立てながら口の中で弾けながら溶けるお菓子。覚えてるよね、昭和54年(1979)に味の素ゼネラルフーズから発売された『ドンパッチ』だ。
 ドンパッチはザラメ状のアメに炭酸ガスの仕込まれた小さな空洞が散在していて、口の中でアメが溶けた時にガスが解放され、口の中で弾けながらあの独特の音を出すんだ。
 この"Crackling Candy"というアイデアは、既に昭和31年(1956)に米ゼネラルフーズ社の研究員だったウィリアム・ミッチェルによって考案されていたんだけど、さしたる理由もないままにお蔵入りとなり、商品化されたのは昭和50年(1975)になってからだった。
ポップロックス.jpg 『ポップロックス(Pop Rocks)』という名前で発売された世界初の弾けるキャンディは、たちまち米国全土を席捲する人気を博したんだけど、同時に刺激の過激さが世間の不安を煽っちゃって、米食品医薬品局には、
「子どもが喉を詰まらせないんだろうか」
 と心配する親からの問い合わせが殺到した。
 この騒動は、昭和54年(1979)頃には、
「炭酸飲料でポップロックスを一気に呑み込んだ子どものお腹が破裂した」
 という有名な都市伝説を生む。やがて味の素ゼネラルフーズが日本版ポップロックスであるドンパッチをライセンス販売し始めると、日本にもこうしたウワサが上陸し、まことしやかに伝えられることになった。
 米ゼネラルフーズ社は以後4年間にわたって、これが全くのデタラメであることを証明した様々な実験結果を全米の主要新聞に全面広告として掲載し、5万通もの書類を教育機関に送ってポップロックスの安全性を訴え続けたんだけど風評が止むことはなく、昭和58年(1983)にはついに生産中止に追い込まれてしまった。現在は別会社がポップロックスの製造販売をしてるけどね。
 ドンパッチもこの風評被害から逃れることはできなかった。アメリカ発の炭酸飲料&弾けるキャンディ=お腹が破裂のウワサに、
「ドンパッチを3袋一気食いすると内臓が破裂する」
 という変形版が加わり、恐らくはそれが
「ドンパッチを食べた子どもが死亡した」
 という形に発展していく。誰がどんなふうに死んだのかという詳細は全く無いのに、だ。他にも、
「食べたお年寄りがショック死した」
「鼻に詰め込んで遊んだ若者が鼻血が止まらなくなって失血死しかけた」
「目に飛び込んで失明しかけた」
「一気に喉に流し込んだら激痛が走って病院に運ばれた」
 などなどキリがない。しつこいようだけど、これは都市伝説の域を出ない風評にしか過ぎない。その証拠に当時の新聞記事のデータベースをいくら検索しても、ウワサ話として取り上げられてはいても、いつ、どこの誰がどんなふうに事故に遭ったのかという具体的な記事は一切、引っかからないし、それを当時の厚生省が問題にしたこともないのだ。
 問題の真偽が精査されることもなければ販売元が安全性を全面的に訴えることもなく、いつからともなく市場から完全に姿を消してしまった。問題があったから撤退したのでもなければ、風評被害に遭ったのでもないという、臭いものには気が付かれないようにフタをする形で幕が引かれたのだった。
ドンパッチ2.jpg 現在では、国産品と輸入物も合わせたらかなりの種類の弾けるキャンディが出回っているね。なかにはドンパッチとそっくりの袋で売られているものもあるよ、もちろん本物じゃないけど。どうやら21世紀に入っても死人はでていないようだ(笑)。でもね、ドンパッチは、ネットでは相変わらず怪我人や死人を出したお菓子だという記事が氾濫してるよ。これからドンパッチをブログで取り上げる人たち、頼むからポップロックスまで遡って調べてから記事を書いてね。ボクらを驚かせ、楽しませてくれたお菓子じゃないか。ドンパッチがかわいそうだよ。



■ドンパッチのCM 1986年■

http://www.youtube.com/watch?v=RbN5Xfztd5A



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リボンシトロン [食]

リボンシトロン1.jpg ボンタンアメが昭和じゃなくて大正時代に誕生したって話は先だっての記事で紹介したけど、同じように昭和のものと勘違いされているのがサッポロ飲料の販売する『リボンシトロン』だ。
 リボンシトロンは、サッポロビールの前身である大日本麦酒によって、なんと明治42年(1909)に発売されたんだよ。
「知ってるよ。ラベルに書いてあるじゃん」
 という人がいるかもね。そーなんだよね、今度ラベルをマジマジと見てほしいんだけど、"since 1909"としっかり印刷されてるよ。
 発売時はレモン風味の炭酸飲料ということで単に『シトロン』という商品名だったんだけど、大正3年(1914)に大日本麦酒の清涼飲料水のブランド名として『リボン』が採用されたことで『リボンシトロン』と改称されたんだ。古株のサイダーの中では炭酸は弱めでマイルドな味が売りだったんだけど、現行のものは現代人に合わせて少し炭酸を強めにしているそうだ。
 ところで昭和生まれがリボンシトロンと聞いて、パッと頭に浮かぶのはマスコットキャラの『リボンちゃん』だよね。
リボンシトロン4.jpg リボンちゃんは昭和32年(1957)生まれで、リボンシトロンに限らずサッポロの清涼飲料水全般に使われているマスコットだ。平成11年(1999)に一度、引退して全商品から姿を消したんだけど、平成17年(2005)から復帰。現在ではリボンシトロンのマスコットとして活躍しているよ。以前は服と髪にしか彩色されていなかったものが、復帰したリボンちゃんは顔にも色が付いてるんだけど気付いたかな?



■リボンちゃんの誕生した年のCM(濃縮ジュース) 1957年■

http://www.youtube.com/watch?v=J9hxo0V0H60&feature=related



■リボンちゃん、アッピー(札幌駅地下街のキャラ)とEXILEするの巻 ゆるっ!■

http://www.youtube.com/watch?v=9U-yQvY64gY



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