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ラッタッタ♪のロードパル [テクノロジー]

ロードパル1.jpg ラッタッタ♪ とくりゃソフィア・ローレンだし、ホンダのロードパルでしょー! 
「うんうん♪」
 と首を縦に振った貴方は間違いなく昭和生まれだ(笑)。
 本田技研工業が昭和51年(1976)に発売した原チャリの『ロードパル』は、ソフィア・ローレンがCMで使った“ラッタッタ”というキャッチフレーズとともに空前の大ヒットとなった。
 もちろんCMだけで売れたんじゃなく、バイクは男のものというしょーもない思い込みを捨てた結果の大当たりだったんだ。女性が違和感なく乗れるように、いわゆるママチャリの構造をベースにしているのがロードパルの真骨頂だ。
 先ず車重が44キロと軽い。当時若者の間で同じく大ヒットしていたヤマハのミニトレ(GT50)でも62キロあったことを思うと、ロードパルの軽さがどんなに際立っていたかが分かる。これはエンジン回りとチェーンケースなどの駆動部をリア部と一体化したり、ミニサイクル並みの14インチタイヤを採用したりといった小型化の努力の賜だった。こうした技術革新は、その後のスクーターの進歩に大きく貢献することにもなったんだよ。
ロードパル2.jpg それまでバイクの始動にはお約束だったキックペダルも捨てちゃって、代わりにタップスターターというキックペダルのようなものを4~5回踏んでからブレーキレバーを握ればエンジンが始動するという画期的なシステムが採用された。これって仕組みは実にシンプルで、タップスターターを踏み込むとゼンマイが巻かれるんだよね。ブレーキレバーを握るとゼンマイはリリースされて、セルモーターのようにクランキングが始まってエンジンが始動するんだ。
 このシステムは後に走行中に自動的に巻き取られる仕組みに変わり、クイックボタンを押したままブレーキレバーを握りさえすればエンジンが始動するようになった。
 ママチャリと一緒でスカートを穿いていてもまたがることができ、しかもボタンとブレーキレバーだけでエンジンがかかる。おまけに前面に買い物カゴをつけることもできたわけで、これは女性ばかりじゃなく男性にも便利でお手軽なバイクだった。
 ロードパルはぼんくら家にもあって、当時小中学生だった弟を除いて全員がお世話になってたよ♪ 自転車とそう変わらない感覚で使えたから、ちょっとした買い物や移動には本当に便利なバイクだった。
 ロードパルの出現は、ライバル会社の間でミニバイクの開発販売競争に火をつけることになり、ヤマハのパッソルやスズキのユーディミニなどの競合車が次々に市場に投入されることになった。それでもロードパルの人気は強く、ホンダが小型スクーターに軸足を移す昭和58年(1983)まで生産は続く。
ロードパル3.jpg 昭和59年(1984)には、ロードパルよりもはるかに自転車に近い『ホンダ・ピープル』が発表されたけど、スクーターを上回る高価格でまったく売れず、数年で姿を消してしまった。
 近年、電動アシスト自転車が急速に普及してきたけど、あれはロードパルとは似て非なるものだ。ロードパルはあくまでバイクだったわけで、
「ラッタッタ」
 とパタパタ音を響かせてくれないと後継車とはいえないよね。また出ないかな、ロードパルの子孫♪



■ロードパルやミニスクーターの懐かしいCM集です♪ 1977-1996年■

http://www.youtube.com/watch?v=JERxp2Am4F0&feature=PlayList&p=A69F43254FEE916C&playnext_from=PL&playnext=1&index=3


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捜索願その1 チューリップハット [捜索願]

チューリップハット1.jpg ITの進化によって本当にいろんなことが即座に調べられる時代になったよね♪ そんなご時世にあって尚、いくら調べても分からないものもある。ベルボトムの記事を書いた時に思い出したもうひとつのアイテム『チューリップハット』がまさにそれだった。
 日本では70年代の前半に空前のヒットとなって、真夏の公園や行楽地なんかは、帽子といったら麦わら帽子とチューリップハットだらけという一種、異様な光景になっていた。値段も安かったし、クシャッと折り畳んでポケットに突っ込める手軽さもあったんだけど、やっぱり当時の「右向け右」式の典型といえる流行りだったと考えたほうが正解かもね(笑)。
サボ.jpg ぼんくら少年も小学生の頃はバンダナかチューリップハットが普通だったよ。これにベルボトムかお古のジーパンをちょん切ったハーパンを穿き、コンバースのスニーカーかサボ(靴底が木のサンダル)でまとめる。で、悪行の数々を働くために街に繰り出してたんだけど、以前にその辺は散々書いたからもういいよね^^;
 一時的とはいえ一世を風靡したファッションのくせに、チューリップハットについての情報は本当にない。いつ、どこで、誰が考案して、どんなふうに社会に認知されたのかっていう基本的な情報が、いくら探しても見あたらないんだよね。
チューリップハット2.jpg てっきり和製英語科と思ってたら、どうやら英語でも "tulip hat" ととは言うようなんだけど、特に決まった概念がある訳じゃなく、チューリップを連想させるものはクールハットであろうとクラッシャーであろうと、果てはチューリップのアップリケがついたアポロ帽であろうと全部ひっくるめているようで、日本でいうチューリップハットもその仲間に入れているって感じだな。これに特化した英語を知ってる人がいたら教えてね♪ たぶんそれが唯一の糸口じゃないかと思うので。
 他にもチューリップハットについての情報を持ってたらぜひ! ぼんくらは最後の望みを託してヒッピー文化との関係を疑ったんだけど見事に全滅^^; もー分かりまっしぇ~ん! 



■チューリップハットを嫌がる赤ちゃん。可愛いですねぇ^^■

http://www.youtube.com/watch?v=CEIkwok36yA



■チューリップハットを作りまっしょい!■

http://www.youtube.com/watch?v=8cxsrc_xKxE


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ボンタンアメ [食]

ボンタンアメ.jpg「昭和のお菓子を扱っているのにボンタンアメは取り上げないんですか」
 こんな質問を度々、頂いて困ることがある。何故って、ボンタンアメは昭和発のお菓子じゃないからだ。
 何とボンタンアメが誕生したのは大正15年(1926)なんだな^^; 鹿児島のセイカ食品が販売製造を始めて、今年で84年になる。
 キャラメルみたいな格好なんだけど、実体は餅に水飴を練り込み、阿久根産のボンタン・オイルを添加した求肥(ぎゅうひ)の一種なんだよ。お菓子の分類上では、キャンディーやソフトキャンディー、キャラメルなどなどバラバラに扱われてるんだけど、実際はそのどれでもない極めてユニークなお菓子なんだ。
 セイカ食品の前身は鹿児島菓子(株)という水飴の製造会社で、大正14年は会社にとって危急存亡の年だった。水飴が売れない。おまけに商品を輸送中の船でブリキ缶に穴が空き、水飴が台無しになった上に、船会社からは甲板の原状回復費を請求されちゃったのだ。フツーなら潰れるしかない状況下で、創業者の玉川壮次郎さんはある日、餅米と水飴と砂糖を独自の製法で捏ね合わせた朝鮮飴という鹿児島の銘菓を、社員がハサミで細かく切って遊んでいる姿を目撃する。その形状を見ているうちに、壮次郎さんは当時、既にヒット商品になっていた森永のミルクキャラメルと細かく切った朝鮮飴がダブって見えてきたんだよね。
「これをキャラメルのようにして売ったらヒットするんじゃないだろうか」
 そこで佐賀・熊本産の餅米ヒヨクモチをメインに阿久根さんのボンタンから抽出したオイルにいちき串木野のボンタン果汁、九州産うんしゅうミカン果汁などを加えた飴をキャラメルと同じパッケージングにして売り出したところ大当たり。会社も危機から脱却することができたのだった。
 ボンタンアメというと誰もが思い浮かべるパッケージデザインは基本的に発売当時のままだ。当初は「田舎っぽい」とも言われたんだけど、使い続けているうちに何世代にもわたって親しまれる顔になっちゃった。もちろん、今後も変更の予定は全くないそうだ。
 同じく大正時代に誕生したオブラートにくるまれ、優しい甘味とほのかなボンタンの香りを静かに漂わせながら、ボンタンアメは昭和を生きた人々に愛され、平成の今も大正の姿のまま、店の棚に並んでいる。



■ボンタンアメの箱を開けてみた♪ あの淡い香りが漂ってきそうですね!■

http://www.youtube.com/watch?v=rf2D8m9ugMQ


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