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野球盤 [遊び]

野球盤1.jpg ボードゲームはたくさんあったけど、昭和を代表するものといったらやっぱり『野球盤』でしょー!
 野球盤の歴史は意外に古く、以前にも紹介したスマートボールの変形版も野球盤の勘定に入れるなら戦前から存在していたといえる。ただ現在誰もが思い浮かべる野球盤は、昭和33年(1958)にエポック社が販売を始めたものだ。
 半世紀の歴史の中で次々にいろいろな機能が加えられたり、人形の形が変わったりはしているけど、基本は一緒だ。バックスクリーンの裏にあるレバーでパチンコ玉のような鉄球を投げ、バネで回転するバットで打つ。打ったボールがボード上のどの穴に入るかでアウト・一塁打・二塁打・三塁打・本塁打かが決まる。万が一、穴に入らなかった場合は、どの位置でボールがとまったかでヒットかファウルを決める。ノーバウンドで観客席や場外に打球が飛んだ場合はホームラン、バウンドして柵越えした場合はエンタイトル・ツーベースとなる。
 打者はバッターボックスを左右のいずれかに決める程度だったけど、投手側には、ホームベース手前に仕込まれた磁石消える魔球.gifによってシュートとカーブの投げ分けが出来た。昭和46年(1971)には「消える魔球」モードも装備されたけど、これはホームベースの直前に落とし蓋をこしらえただけのお話で結構、セコかった(笑)。 説明書には「消える魔球を使用して見送られた場合はボール」というルールがちゃんと書いてあるのにストライク扱いにする子がいて、あれはケンカの原因になりやすかったなぁ。この機能、さすがに20世紀も終わりに近付いてくると「消える魔球」じゃ通じなくなってきちゃって、平成8年(1996)には野茂投手にあやかって「フォークボール機能」と改名されている。
 平成19年(2007)にはアーケードゲームも登場したんだけど知ってた? 伝統的な二人ゲームもできるけど、コンピュータ相手の一人ゲームもできる。回数制限はあるけど消える魔球も使えて思わずハマッちゃうよ♪ ゲーセンに行って遊んでみない?


■野球盤実況中継 長女 VS 三男 実況は次男だそうです(笑)■




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ツイスター・ゲーム [遊び]

ツイスター1.jpg ぼんくら家は親の代からのゲーム好きだ。親がからっきし常識不足だったので、トランプやボードゲームで火が点くと、平日だというのに夜半を回ってもキャーキャーやるなんてことはザラだった。花札や麻雀も、ぼんくら少年以下、子供全員が小学生のうちにマスターしてたんだから呆れたもんだ。
 こんな不良家族が夢中になったゲームで異色だったのは『ツイスター』だった。ゲーマーは色と手足の位置をランダムに決めるスピナーという指示盤に従って、シート上の4色のドットに手足を置いていく。当然、ゲーマーは無茶苦茶なポーズを強いられることになるわけで、耐えきれずに倒れたら脱落、最後まで残った人が勝者になる。
 ツイスターの発明者は、1960年代という比較的最近のことなのに諸説あってはっきりしない。公式にはアメリカ人の Neil Rabens と Charles F. Foley が昭和41年(1966)にパテントを取得していて、同年にミルトン・ブラッドリー社が発売を始めている。が、実のところは、これに先立つ昭和40年(1965)に Reyn Guyer という人物が"Pretzel"という名前で寸分違わぬゲームのプロモーションを始めていたのだ。さらにパテントを取得した二人は Reyn Guyer の父親の会社で働いていたといういわくつきだ。それもあってか、日本でツイスターを販売しているタカラトミーではゲームの誕生を昭和40年(1965)としている。日本語のWikiではイアン・ハービーという少年がゲームを思い付いたというエピソードも紹介しているけど、これは現時点では出典が明らかに出来ていない。
ツイスター2.jpg 伝説的なMCジョニー・カーソンとセクシー女優のエヴァ・ガボールがテレビ番組で実演したところ、あっという間に米国内で300万セットを売り上げちゃったというんだから、初めにツイスターに"感電"したのが大人だったのは間違いのないところで(笑)。"sex in a box"なんて非難を良識ある皆さんから浴びたのは、遊ぶ側の下心が丸見えだったからだろうね^^;
 にもかかわらず"sex in a box"は瞬く間に世界中に広まることになる。しかも家庭やパーティで楽しむゲームの定番として。え、ぼんくら少年はどうだったかって? 女の子ともフツーに遊んだよ♪ てか女の子のほうがこういうゲームは積極的だったような気もするんだけど、気のせいかな(笑)


■ツイスターって、こういう遊び方が原型なんじゃない?■



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針金鉄砲とゴム銃の世界 [遊び]

針金鉄砲1.jpg 以前、学校の周辺にいろいろな人々が出没していた話(記事はこちら)を書いたことがあったけど、路上で売られていた怪しげな商品の中で、ぼんくら少年にはどうしても買えなかったものがあった。輪ゴムを飛ばす『針金鉄砲』だ。
 なぜ買えなかったかというと、とても高かったからだ。たしかぼんくら少年が小学校の中学年だった昭和40年代の中頃で、500円から1,000円の間ぐらいだったと思う。サイズや形状で値段がいろいろだったのだ。針金とスプリングだけで出来た素朴なオモチャだけど、製作の手間は結構かかったんじゃないだろうか。だから、ぼったくり価格とまではいえないスレスレの価格設定だったと思う。もっとも材料代は知れたものだから粗利は相当なものだったろうけど(笑)
針金鉄砲3.jpg 針金鉄砲がいつ、誰の手によって誕生したのかは分からないんだけど、少なくとも明治時代の末には現在と変わらぬ形状の針金鉄砲のあったことが分かっている。当時は輪ゴムがなかったので、細い笹竹を輪切りにしたものを玉にして飛ばしていたらしい。そんなものが飛ぶのかなぁ? 輪ゴムの国内生産が始まった大正12年(1923)以降は早速、輪ゴムが玉として使われるようになり、造作も打つ度に輪ゴムを引っかけるシンプルなものだけじゃなく、複数の輪ゴムがセットできる連射式が早々と登場している。
針金鉄砲2.jpg 飛距離は2~3メートルがいいところだし、銃になったから命中精度が高いかというと指鉄砲と大差ない。指鉄砲に比べると輪ゴムを引っ張る力が強かったので当たると結構、痛かったけどね。それでも欲しかった理由はただひとつ。カッコよかったのだ。同じ機能の銃は割り箸と輪ゴムがあれば作れたけど、針金とスプリングのスケルトンは大金をはたいてでも欲しいと思うメカニックな魅力を放っていた。
 余談だけど、大人になってもゴム鉄砲の魅力が忘れられない人たちって多いんだね。日本ゴム銃射撃協会という素晴らしい団体があるんだよ。サイトはこちら。針金鉄砲に始まるゴム鉄砲がどれだけ進化したかに関心のある人なら飛ぶ価値があるよ!


■脅威のゴム・マシンガン なんと288連発!■



■日本ゴム銃射撃協会のお話 和製ゴム銃の今がみえます♪■


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ドングリの季節 [遊び]

ドングリ1.jpg もうじき、あちこちにドングリが散らばる時期だね♪ ぼんくら少年が遊び回っていた世田谷の羽根木公園も、木々が色付く頃には辺り一面にドングリの実が散らばっていた。
 これが遊べる実なんだよね。パチンコの玉にして銃撃戦をやったり、鼻に突っ込んで飛ばしたり(汚いなぁ^^;)。目一杯、袋に集めて、遊具の土管から出てきた友達の上にブン撒いたり、滑り台の上から流したり、大人が目をむくことばっかやってたな^^;
ドングリ2.jpg もちろん(文科省ご推薦の)模範的な遊びもやってたよ。女の子達ともよく遊んでたし。例えばドングリこま。あれってドングリのてっぺんにキリで穴を開けなきゃならないでしょ。家のキリを持ち出して、公園のテーブルで穴開け代行業をやってたんだよね。涙ぐましい努力を重ねてたんだよ、女の子の歓心を買うだけのために(笑)。悪ガキ集団の他の仲間も、こういう時はしおらしく爪楊枝を自宅から盗んで来たり、ボンドをつけてやったりしてたから考えてることは一緒だったと思う。
ドングリ3.jpg 本命の子には、竹ひごを自腹で買ってドングリのやじろべえを作ってあげたりもしたけど、効き目はなかったなぁ。でも、そうやって女の子たちとも楽しい時間を過ごせたのはドングリのおかげだった。11月には小学校の同窓会があって、現在は世界中に飛び散ってしまったかつての悪ガキ集団が十数年ぶりに集結する予定なんだけど、その時は羽根木公園に行ってドングリの銃撃戦をやってみようかな。きっと子供連れのお母さんたちに叱られるぞ(笑)


■ドングリこま 回るときの音が心地よい♪■



■ドングリとネコ(笑) 何気に楽しい!■


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ラッキーパズル [遊び]

ラッキーパズル1.jpg 亡父が大好きだった『ラッキーパズル』。昭和10年(1935)に花山ゲーム研究所(現株式会社ハナヤマ)が発売した代表的なシルエットパズルで、長方形を7分割したピースを用いる至ってシンプルな遊びだ。この7枚のピースすべてを使って作られたシルエット集が小冊子になっていて、プレイヤーはシルエットをパズルで再現すればよいのだ。
ラッキーパズル2.jpg やってみると分かるが、たった7つのピースしかないというのに完成するには意外なほど骨が折れる。シルエットの再現が最大の楽しみなのはもちろんだけど、数えるほどしかない板きれで、どうしてこれほど多様な形が作れるのかという驚きがこのパズルには潜んでいる。
 既存のシルエット集に飽きたら、自分でシルエットを作って他のプレイヤーに遊んでもらうこともできる。ぼんくら家には亡父の遺したシルエット集が何十冊もあって、今ではそれで彼の孫たちがヒマさえあれば遊んでいる。もちろん彼の息子もね♪

luckypuzzle1.jpg


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『スリンキー』であり『トムボーイ』であり『レインボースプリング』だったもの [遊び]

 昨日はコメントにお見舞いのお言葉を頂き、本当にありがとうございました。皆様のお力添えとタミフルのおかげで、昨日9度以上あった熱が、今朝には37度台まで下がっていました。診断では、オーソドックスな香港A型で新型ではないとのこと。ホッとしたような、ソンしたような^^; 熱は下がったものの、オヤジの身体には相当なダメージがあったようで、長時間座っていることもできません。申し訳ありませんが、あと1日、訪問&応援をお休みさせてください。よろしくお願いします。
[ドコモポイント]

スリンキー.jpg さて、今日も手短にひとつ。昨日、熱にうかされながら繰り返し見た夢の中に、子供の頃に遊んだオモチャが出現した。薄く平たい鋼材で作られたバネが、子供の頃に住んでいた家の階段をシャーッシャーッと音を立てながらリズミカルに下りていくのだ。
 昭和20年(1945)にアメリカで販売が始まった『スリンキー』というオモチャで、日本では工業用のバネを製造していた三光発条株式会社(現サンコースプリング株式会社)が昭和40年代に『トムボーイ』の名称で売り出した模造品が大ヒット。
レインボースプリング.jpg 後にカラフルなポリ塩化ビニル製の『レインボースプリング』や『カラースプリング』も出回るようになった。ミニサイズには星やハート、多角形などがあって面白いんだけど、やっぱりスリンキーには勝てないでしょう! 爽快な音や切れのいい動作はスリンキーならではだもんね♪


■スリンキーの不思議な動きをお楽しみください♪■



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B級玩具傑作選 - ベビーヘリコプター [遊び]

ベビーヘリコプター1.jpg この画像を見て数十年ぶりに思い出した人も多いんじゃないだろうか。
「忘れてたけど、これで随分遊んだよなぁ」
 ってね。『ベビーヘリコプター』と呼ばれたこのオモチャ、ヒモの付いたつまみをグイッと引っ張ると、ゴム動力の軸が回転して、軸上に載せた円盤状の羽が飛んで行く仕組みだった。
 結構な勢いで空高く羽が飛んで行くので、友達と飛ばしっこして遊ぶと、どっちが高く飛んだの遠くへ飛んだのと、きゃあきゃあ騒いで面白かったなぁ。問題はカンタンに壊れちゃうこと。動力源のゴムが切れちゃったり、引っ張ったヒモが元に戻らなくなっちゃったりと、これほどトラブるオモチャもなかった。馬鹿力で引っ張るほうがそもそも悪いんだけど。たいていは直そうとして致命的に壊しちゃうんだよね^^; それでも、ぼんくら少年が遊んでいた頃で20円と高い買い物ではなかったので、壊してもそんなに気にすることもなく買い換えちゃあ、また壊していた。
 名も知れないメーカーが作っていたベビーヘリコプター。今でもどこかで細々と作られているらしく、駄菓子屋やネットで100円程度で販売されてるよ。

ベビーヘリコプター2.jpg


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遊んで食べられる『カタヌキ』 [遊び]

カタヌキ1.jpg 祭りの縁日や駄菓子屋で忘れられない遊びやお菓子はたくさんあるよね。でも、遊べるお菓子となるとそうはないんじゃない? 以前に取り上げたフエガムやフエラムネ、フーセンガム…、後は何だろ? そうそう、忘れちゃいけないお菓子とも遊びともつかないものがあるんだな。『カタヌキ』だ。
 カタヌキは、第2次大戦中に大阪の製菓会社(株)ハシモトで誕生した。小さな長方形の板菓子に様々な模様が一筆書きで描かれていて、それを針などで割らずに抜き取れば景品がもらえるというシステムだった。昭和20~30年代中頃までに少年少女だった人は、紙芝居のおっちゃんが遊ばせてくれたという印象のほうが強いんじゃないだろうか。しかもカタヌキはべっこう飴だと覚えているはずだ。実をいうと、今のような精糖を主原料とした板菓子になったのは昭和40年代も後半になってからで、それ以前はべっこう飴を薄く延ばしたもので、名も『ヌキ飴』と呼んでいた。ところがこのヌキ飴、量産には相当な職人芸が必要で、しかも夏場は互いにベタベタとくっついてしまうことがあり、これを当時の技術でクリアするのはまず不可能だった。
 そこで精糖に澱粉やゼラチンを加えたものを高温下でもベタつかない薄い板状に加工したわけなんだけど、遊んでみれば一発で分かるようにメチャクチャ破損しやすいわけで、商品の取り扱いが当初から大問題だった。そこで課題となったのが大きさで、試行錯誤の末に現在の2.5cm×3.5cmという履歴書用の証明写真のような大きさに落ち着いた。驚くのは、未だに製造過程のほとんどが手作業で行われていることだ。製造機械の技術が発達した今でも、ちょっとしたことで板が反ってしまったり厚みが均一にならないなど、相変わらず職人芸を必要とするお菓子なのだ。
 平成13年(2001)には『ザ・かたぬき』として型を一新。最近では恋のおみくじ付き『チャレンジ!!』が発売されるなど、カタヌキは元気でっせ~♪ たまには遊んでや!!

カタヌキ2.gif

昔懐かしいオーソドックスなカタヌキのデザイン


カタヌキ3.gif

2001年以降の『ザ・かたぬき』のデザイン


■大人が夢中になってます^^ 分かるなぁ、この気持ち♪■



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欲しかった『レーシングカーセット』 [遊び]

レーシングカーセット1.jpg ぼんくら少年は、誕生日やクリスマスが近付くと、いつになく熱心に新聞の折り込み広告をチェックした。おもちゃ屋のチラシを探していたのだ。クリスマス・シーズンのおもちゃ屋のチラシは、特に赤と緑のクリスマス・カラーで縁取りがしてあって、ズラリと並んだオモチャの写真はどれもこれもがステキに見えた。その中で真っ先に探し出して値段を調べたオモチャがあった。『レーシングカー・セット』だ。
 昭和37年(1962)にバンダイが発売したレーシングカーセットは、家庭用のスロットカーといっていい存在で、原理は鉄道模型と大した違いはない。軌道中央にスロット(溝)があって、この両側に電気が流れている。そしてミニチュアカーは、底にある通電端子から電力をもらって走行した。遊ぶほうは、アクセルだけのシンプルなコントローラーを持って、スイッチの押し加減でスピードを調節するんだけど、これがとにかく速いんだよね。特にカープが難しくて、直線の加速とカーブの減速をいかに上手く出来るかどうかで勝負がついた。
 軌道もいろんな形状があって、直線と曲線以外に、宙返り軌道なんかもあったよね。軌道もクルマもオプションでどんどん増やすことが出来て、その辺も魅力になっていたよね。
レーシングカーセット2.jpg 問題は値段の高さだった。元々バンダイが欧米市場向けに開発した商品だったので、あまり国内市場を意識した価格設定ではなかったのだ。昭和40年前後のキット(曲線と直線の基本的な軌道とレーシングカー2台)で定価が5,000円ほどしたわけで、現在の価値に引き直して、家庭用ゲーム機とほぼ同等の価格だったことになる。したがって庶民の息子だったぼんくら少年が、何度チラシに目を通しても手の届く値段に下がるはずもなく、いくら熱弁をふるって両親にプレゼンをかけても購入が承認されるはずもなく。当時の少年マンガ誌に数多あったレーシングカーセットが当たる懸賞にも幾度となく応募したけど、夢が適う前に少年時代が終わってしまった。
 まあ何だかんだと言って、結局はお人好しで金持ちの友達の家で散々遊ばせてもらったから、文句は言えないんだけどね(笑)


■シェイクカーをスロットカーに改造しちゃってます。大人になっても楽しんでるっていいね!■



■本格的なスロットカーの近況-まだ健在です! 昔はお店がありましたね♪■



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ライトプレーンは昭和の空を駆けた [遊び]

ライトプレーン1.jpg 駄菓子屋で買えたオモチャで、高くてなかなか買えなかったものがある。ライトプレーンだ。ゴム動力飛行機ともいわれていて、竹ひご製のフレームに紙を貼った翼と動力ゴムを実装した1本の棒材を組み合わせたものだ。材料と設計図を梱包したカラフルな紙袋が駄菓子屋の目立つ所に吊るされていた。名前も「スカイホース東京号」とか「スーパーアロー・テントムシ号」、「レルミック・レッドウイング」なんてカッコよかったよなぁ!
 作り方はいろいろで、部品を繋ぎ合わせて紙を張れば出来上がるものから、竹ひごを熱して曲げるところから始めなければならない上級者向けのものまで様々だった。ニューム管と呼ばれる管をカットして竹ひごのパーツ同士を継いだり、旋回させるために棒材の先をわずかに削ってプロペラを取り付けたりする必要があって、相当に手先が器用で辛抱強い子供でなければとても作れる代物じゃなかった。ぼんくら少年も小遣いを叩いて何度かチャレンジしたけど、まともに作れたことは一度もなかった。たいていはニューム管で繋ぐ際に力み過ぎて竹ひごを折っちゃうか、紙を上手く貼れずに貼り直しを繰り返しているうちに破ってしまうかで"THE END"となった。よしんば完成にこぎつけたとしても、翼がいろんな方向にひん曲がってしまって、まともに飛んでくれなかった。父に頼んで作ってもらう手もあったけど、壊そうもんなら大目玉を食らうのは目に見えていたので、これも叶わぬことだった。
 現在でも日本模型航空連盟(JMA)の行う競技会が各地で行われているけど、参加者のほとんどは高齢の熟練者で、子供たちや若者はほとんどいないという。遊びも多様化してるし、第一、遊ぶ場所を探すのが難しいかもね。その辺の公園で飛ばそうもんなら、
「お子さんやご老人にぶつかったらどうする気ですかっ」
 なんて公園のご意見番がふっ飛んでくるだろうな、たぶん。
 かつては校庭や稲刈りの終わった田んぼで空を自在に飛び回っていたライトプレーン。秋空をトンボと一緒に飛ぶ風景なんて、今年もお目にかかれないだろうな。

ライトプレーン2.jpg


■田んぼで飛び回るライトプレーン 秋空編■



■室内用ライトプレーン 映像が粗いのが残念!■



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