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B級玩具傑作選 - けむり玉 [遊び]

けむり玉1.jpg 子どもの遊びの中にはハタ迷惑なものが決して少なくないんだけど、中でも『けむり玉』は横綱級に迷惑な代物だ。
 普通の花火と大差なく硝石と硫黄、松煙というシンプルな中味なんだけど、これを丸い容器の中に封じ込めて不完全燃焼させると大量のススが発生するんだよね。
「ぼんくらちゃん達、よくけむり玉で遊んでたでしょう。あの煙の臭いが洗濯物に染みついちゃってウチの母さん、すごく迷惑してたのよ。『あの悪ガキ達、生ゴミと一緒に持ってってもらいたいわ』ってよく言ってた(笑)」
 昨年末、友人知人の集まったパーティで幼馴染みの女友達にこんなことを言われちゃった^^; そーでしたっ、ぼんくら少年はお小遣いの結構な金額をけむり玉とヘビ玉に貢いでボーボー燃やしてました! あんなものスゴい煙の出る遊びを狭い路地でやってたんだから文句を言われて当たり前だよね。悪さもしていて、通りかかると必ず吠えかかってくる犬のいる庭や、駐停車してるクルマの下にけむり玉を放り込んだりもしてたし。
 2~3個のけむり玉にまとめて火を付ける遊び方も知ってはいたんだけど、これは消防車が来るかもしれないからマズいと、大人に言われるまでもなく友達同士で申し合わせてしなかった。ミョーなところでは抑制が効いてたんだよね。
 昨年の8月に、岐阜県のキャンプ場に向かっていた名古屋市の高校1年生の坊やが、JR中央線の快速電車の中でふざけて花火に点火し、車内に煙が充満するって騒ぎがあったけど、このニュースを聞いてすぐに思ったのは、
けむり玉2.jpg「ボクらが子どもの時にこんなことをしただろうか」
 ってことだった。今の子達なんか考えも及ばないような悪さをしていたぼんくら少年だったけど、電車の中で花火を付けるとどうなるかなんてことはカンタンに想像がついたし、それを実行するなんて、それこそ考えも及ばないことだったと思う。どこでどうなっちゃってるんだろうね?


■36個のけむり玉にいっぺんに火を付けるとこーなります^^;■


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ゲイラカイト [遊び]

ゲイラカイト1.gif 風の状態さえ良けりゃ手もとからスイっと垂直に空に昇っていく凧。和紙で出来た角凧や奴凧しか知らなかったぼんくら少年には、尻尾の要らない三角形でビニール製の『ゲイラカイト』はエイリアンのプレゼントじゃなかろうかと思えるぐらいに衝撃的なものだった。
 お隣の和兄ちゃんがハマっていて、羽根木公園でゲイラカイトを揚げる時は、ぼんくら少年の部屋の窓を叩いて、
「ぼんくらぁ、カイトやんない?」
 って声をかけてくれた。こうすれば大抵は妹や弟を巻いて二人っきりで遊びに行くことができたからね(笑)。
 ゲイラカイトが日本に上陸したのは昭和49年(1974)のことだ。アメリカのゲイラ・インダストリー社の商品を東京の(株)AGが代理販売して大ブレークしたんだけど、デルタカイト自体の歴史は1940年代にまで遡る。建築家のウィルバー(通称ビル)・グリーンが中国の伝統的な鳥凧にヒントを得て三角形の凧を考案したのが最初と言われている。日本上陸時に、元NASAの技術者が考案したかのような噂が流れたみたいだけど、これは当時がアポロ計画の真っ只中にあったことと、ゲイラ・インダストリーがヒューストンにあったことから生まれたデマだと思うな(笑)。
 昭和32年(1957)頃にはゲイラ・ブランドとして商業的な成功を収めてはいたんだけど、雑誌がゲイラカイトを取り上げてアメリカ全土に名が知れ渡ったのは昭和49年(1974)のことだった。これが日本に間髪を入れずに波及したわけで、欧米の文化が日本の若者に強い影響を与えていたことが分かる好例だよね。
ゲイラカイト2.jpg 発売時の値段は900円。小学生にはちょっと高価だったかも。ぼんくら少年はもう中学生だったから、マイ・カイトを持ってたよ。ギョロ目のカイトがみるみる空に吸い込まれていき、80メートルのたこ糸がピンと伸び切った時の爽快感といったらなかった。
 ゲイラカイトは根強いファンに支えられて、昨年(2009)で日本上陸35周年を迎えた。値段は何と発売時と変わっていない。消費税分が上乗せされてるけどね。30周年目の平成7年(1995)には、自由自在に旋回させることの出来る『スポーツカイト』も誕生して、楽しみ方は格段に広がっている。無心になれる凧揚げは絶好のメディテーションだよ♪ ひさしぶりに遊んでみない? 


■ゲイラカイトのCM集 1974年■



■ゲイラカイトのスポーツカイト版 よくここまで自在に飛ばせるもんです^^■



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竹スキー [遊び]

竹スキー1.jpg ぼんくら少年が2年ほどいた福島の温泉町は、長いトンネルで山形側に突き抜ければ日本有数の豪雪地帯というロケーションだったので、当然のようにスゴい積雪量だった。チョッと降っただけで60センチは軽く積もるんだもんね。10センチ降ったって大人が大騒ぎする東京から急にそんなところに放り込まれたもんだから面白かったのなんの! 冬休みは福島でできた新しい友達や東京から泊まりがけで来てくれた幼馴染みたちと雪遊びを満喫したよ♪
 雪合戦や雪だるま&かまくら作りを楽しんだのは言うまでもないけど、いちばん記憶に残っているのが『竹スキー』だ。本当は作ることから始めてれば言うこと無かったんだろうけど、当時の福島では駄菓子屋さんや雑貨屋さんで売ってるアイテムだったんだよね。だから一式100円程度で買って滑ってた。
竹スキー2.jpg 竹スキーってひとことで言っても、本当のスキー板ぐらいあるものから50センチ前後の短いものまで長さも様々だし、先端を極端に反らせてそこにつま先を引っかけるものからビンディングに近い凝った仕掛けのあるもの、両方の板の先端にロープを通してそれを手綱にするものなどいろんなものがある。ぼんくら少年が福島で遊んでいたのは50~60センチの長さで手綱の付いているタイプだった。
 竹スキーの歴史は明治44年(1911年)に遡る。新潟県高田市(現上越市)でオーストリア軍人のレルヒ少佐が日本軍にアルペンスキーを指導した時のことだ。これを遠巻きに見物していた人々の中に、見よう見まねで竹を細長く削り、先端を火で炙って曲げ、それに古下駄を打ち付けたスキーを作る者が現れた。これが元祖竹スキーらしい。大竹を真っ二つに割って先端を曲げたものや、細竹を並べて接いだ竹スキーなどを子どもにせがまれた父親が作ってやったりしているうちに、竹スキーはそれからほどなくして日本中に広まることになった。
 これとは全く別に、北海道では本格的なスキー板としての竹スキーの製作所が札幌や小樽で開業し、一時は特産品として本州でも評判を呼んでいたらしい。残念ながらこちらのほうは板スキーの普及と共に歴史の闇に消えてしまった。
竹スキー3.jpg 戦後は子どもの遊び道具になっちゃった竹スキーだけど、本格的なスキーが子どもたちの間に浸透している今ですら、雪のあるところではソリと竹スキーが健在だよ。最近はプラスチック製のミニスキーも使われてるけどね。
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B級玩具傑作選 - ブーブークッション [遊び]

ブーブークッション1.jpg 先日、笑い袋を取り上げたら『ブーブークッション』を思い出した人がたくさんいたよ♪ これってちゃんと理由があるんだ。実は笑い袋を開発した(株)アイコが、笑い袋とほぼ同じ時期に国内販売を始めて大当たりしたんだよね。だから笑い袋を面白がってた人なら、当然のようにブーブークッションも覚えていたわけだ。先日と重複しちゃうけど、最初にブームになったのは昭和45年(1970)前後だ。
 ただし笑い袋と違って、ブーブークッションは残念ながら(?)日本人の発明じゃなかった。歴史のある冗談玩具で、誕生したのはなんと昭和5年(1930)。カナダはトロントのJEM Rubber Co.が開発したものをJohn Smith Companyが売り出し、北米大陸で爆発的に売れた。正式名称は"Whoopee Cushion"だけど、競合品に付いた"Poo-poo Cushion"や"Razzberry Cushion"なんて名前でも親しまれてるよ。
 仕組みはメーカーによって多少の違いがあるけど、代表的なのは厚手のゴムを用いる単純なものだ。クッションのゴムが厚いと、中に空気を吹き込んでそのままにしておいても、外部から圧迫されない限り素材の支持力で空気は抜けきらない。それが座った際のケツ圧(?)で一気に押し出されることで、あの音が発生するというわけだ。
ブーブークッション2.jpg 流行がピークに達した頃にはガシャガシャでも売られていたけど、あれは口の付近だけは厚手だけど風船部がペラペラの安物で、勢いよく座られちゃうと音が鳴る以前に破裂して、別の意味で相手を驚かせることもあった(笑)。面白いイタズラだったんだけど、誰もが仕掛けるもんだから、そのうち、
「今どき古いんだよ!」
 なんて悪態をつかれるようになっちゃって誰もやらなくなっちゃった。それでもみんなが忘れた頃になるとまた流行るようで、流行はほぼ10年サイクルであるみたい。そういやぼんくら息子たちは、たしかこれって知らないはずだな。買って試してみようっと♪


■「BooBooトラップ」 懐かしいアイドルたちがブーブークッションの餌食に♪■


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B級玩具傑作選 - 笑い袋 [遊び]

笑い袋2.jpg 小学生の手なら握り締められる程度の袋なんだけど、これを押すと騒々しい笑い声がしばらく流れるオモチャ。昭和45年(1970)前後に流行った『笑い袋』は「だからなんだ!」を地でいく超B級玩具だった。
 なんとなくアメリカのパーティ・グッズっぽい感じなんだけど、これを世に送ったのは、昭和44年(1969)創業の(株)アイコという東京のメーカーだ。ジョーク玩具やパーティ・グッズなんかでは老舗的存在で、今でも笑い袋を販売しているよ。昭和63年(1988)までは(株)青木商会って名前だったから、そっちのほうで覚えてる人がいるかもしれないね。
 袋の中には笑い声を収録した小型プレイヤーが入っていて、スイッチを押すと一定時間、笑い声が再生されるというシンプルな作りだ。類似品はともかく、アイコの純正商品には、男、女、男女のカップルという3種類がある。ちなみに男性バージョンの笑い声は声優の肝付兼太さんが担当してるよ。
笑い袋1.jpg 今じゃすっかり忘れ去られてるけど、当時の小学生に与えたインパクトは並みじゃなかったようで、『ちびまる子ちゃん』では笑い袋が度々登場しているね。ぼんくら少年は、買う以前に友達の持っていた笑い袋で飽きちゃったんだけど、弟が福引きでこれをもらったおかげで、延々笑い声を聞かされるハメになってしまった。嬉しくもない時に笑い声を聞かされるって、ありゃ拷問だね(笑)。


■典型的な笑い袋 イライラしてる時には再生しないでね^^;■



■現代版笑い袋の『くすぐりエルモ』 これは可愛いです♪■


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B級玩具傑作選 - ブリキのセミ [遊び]

ブリキのセミ1.jpg 昭和を語る上で避けて通ることの出来ないブリキのオモチャ。複雑な動作をするものからただの人形までグレードはピンキリだ。
 ぼんくらオヤジが懐かしく思い出すのは、駄菓子屋で売っていたブリキのセミだ。昭和40年代前半でも1個10~20円で売られていたよね。ブリキの板を打ち抜いて凹凸を付けて着色したもので、裏に取り付けられた鋼の板を押すとペコンペコンと音がした。ただそれだけのオモチャだったので、すぐに飽きちゃ無くしちゃう。でも思い出しちゃまた買っちゃうんだよね^^; 結果、40年後の現在は一匹も手もとに残ってない。え、まだ持ってるって? そりゃスゴいや! ガッカリさせたくないから言っとくけど、骨董価値はないからね。今でも細々と流通してるから(笑)。
ブリキのセミ2.jpg お尻に"MADE IN JAPAN"とある他は、製造元に関する糸口がまったく掴めないブリキのセミ。あの音を思い出す度に、大切にしなかった罪悪感と愛おしさがない交ぜになった切ない気持ちが湧き上がってくる。かつて日本のどこかでブリキのセミを作っていた皆さん、ごめんなさい。そして、ありがとうございました!
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B級玩具傑作選 - スーパーボール [遊び]

スーパーボール1.jpg 平成17年(2005)に放送されたソニーの液晶テレビ『BRAVIA』のCMは鮮烈だった。25万個のスーパーボールがサンフランシスコの坂を転がり落ちる様が美しい映像となって収まっていたからだ。街の一角を閉鎖して23台のカメラで撮影したという力作はCMの域を超える出来だった。
 このCMを観て子どもの頃を鮮やかに思いだした人も多いだろう。スーパーボールが日本に上陸したのは昭和40年(1965)。同年にフラフープやフリスビーで有名なアメリカの玩具メーカーWham-O Manufacturing Co.が販売を始めたものがアッという間に上陸しちゃったワケで、当時の物流のスピードが現在とさして変わらなかったことが分かるよね。ちなみにスーパーボールは登録商標で、英語では"bouncing ball"と呼ばれてるよ。
 なんでスーパーボールってあんなに跳ねるのかね。力を加えられると変形して瞬時に元のかたちに戻ろうとする『弾性』という性質をゴムが持ってることは誰でも知ってる。この弾性は、曲がりくねったり螺旋状になったバネのようなゴム糸が複雑に絡み合っていることで発生する特性だ。ただ普通のゴムは単に絡み合っているだけなので、衝撃が加えられると繊維がズレることで力を吸収してしまい、弾む力になりにくい。これを薬品(一般的には硫黄)を加えて隣近所の糸同士をくっつけあいズレないようにしてやると、元の形に戻ろうとする力がフツーの状態の何百倍にもなるのだ。単純な原理だけど、これに気付いた人はやっぱり凄いよね。
スーパーボール2.jpg 駄菓子屋でも売ってたけど、金魚すくいのスーパーボール・バージョンが縁日によく出ていたから、あれでゲットした人も結構いるだろうね♪ ぼんくら少年も弟妹と競い合って、いろんな色のスーパーボールを集めて空き缶に貯め込んでたよ^^ 同居していたネコたちともこれでずいぶん遊んだし。ラメ入りのボールを灯りに透かしてみると、まるでプラネタリウムみたいだった。あれ、どうしちゃったんだっけ? もしかすると実家にそのまんまあるのかもしれない。


■ソニー「BRAVIA」CM 2005年■



■ニャンコ VS スーパーボール■


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B級玩具傑作選 - 風船玉(『プラバルーン』『トラバルーン』) [遊び]

プラバルーン1.jpg 風船玉で遊んだことはある? 商品名でいうと『プラバルーン(オンダ)』や『トラバルーン(とらや)』が有名かな。あと『プチバルーン』とか『ポリバルーン』なんて商品もあるよ。
 臭いも形状もセメダインにそっくりな粘りけのある液体をミニサイズのアルミチューブから押し出し、付属のストローに付けて息を吹き込むと、シャボン玉のようにプーッと風船が膨らむ。適当な大きさに膨らませたらストローの根元をクリクリと回して吹き口を閉じ、ストローから外せば風船が出来上がる。
 この液体の正体は酢酸ビニール樹脂をエタノールで溶かしたものだ。ボクらが子どもの頃は酢酸エチルという有害物質が溶剤に使われていたこともある。シンナー類のトルエンを溶剤に使っていたものもあって、公園で遊んでる時に強いシンナー臭が辺りに漂って「あ、誰かが風船玉で遊んでるな」と分かることだってあった。だから友達によっては、
プラバルーン2.jpg「気持ち悪くなるからイヤだ」
 なんて嫌がる子もいたぐらいで、場合によっては危ない遊びだったのかもね。そういや、この遊びをやってた時はハイな気分になってたような気もするな(笑)。それでも、割れないシャボン玉が現実のものになったような気分になれて、やっぱり楽しかった。風船を透かして見える世界はとてつもなく面白かったしね♪
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マブチの水中モーター『S-1』 [遊び]

S-1_1.jpg 風呂場は子どもたちにとってただ身体を洗う場じゃなく、やっぱり遊び場でもあるのだ。ぼんくら少年と弟妹たちもも例外じゃなく、周期的に母親がヒステリーを起こして片付けさせるほど大量のオモチャを風呂場に持ち込んでいた。
 その中で特にぼんくら少年のお気に入りだったのがマブチの『水中モーターS-1』だ。水中で動作する魚雷か潜水艦を思わせる形のモーターで、スクリューと舵を装備し、防水された内部にはモーターと電池ボックスが仕込まれていた。単体ではあっさり沈んじゃって風呂桶の底でグルグルのたうち回るだけなんだけど、備え付けの吸盤か専用のマウントで船などの模型の底に取り付けると、本来なら動力を持たない模型がスイスイと走ってスゴく楽しかった。
S-1_2.jpg ぼんくら少年のお気に入りは、洗面器や水遊び用のアヒルの底に水中モーターを付けて泳がせることだった。水の抵抗が強すぎて動きは緩慢だったけど、風呂場のサイズからするとちょうどいいスピードだったし、なんといっても弟妹が面白がってくれた(笑)。
 昭和42年(1967)に発売されたS-1だけど、平成10年(1998)に惜しまれながら30年の歴史に幕を閉じた。発売当初は青と白、昭和46年(1971)からは赤と白のツートンカラーになったんだけど、覚えてるのはどっち? 模型の付属品には全体が灰色のものもあったよ。
 S-1は無くなっちゃったけど、平成18年(2006)にはタミヤから復刻版が発売されているので、今でも水中モーター遊びは出来るよ♪ 小さいお子さんやお孫さんがいるんなら買ってあげると喜ぶかもね^^。

お知らせ: 本日はヤボ用でブログ訪問が出来ません^^; 明日は必ず伺いますのでお許しを~[あせあせ(飛び散る汗)]


■タミヤの水中モーターで遊んでます。S-1とまったく同じ遊び方♪■



■タミヤの水中モーターのデモ。遊び方が進化してますね!■


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知恵の輪 [遊び]

知恵の輪.jpg ぼんくら少年の父方のお婆は教育ママならぬ教育ババで、神戸から遊びに来るたびに孫たちに渡すプレゼントは決まって『知恵の輪』だった。
 だから(といっちゃ気の毒なんだけど)孫たちはお婆が上京すると聞いても、ちっとも喜ばなかった^^; なにせ着た早々に孫たちに知恵の輪をさせて知能の程度をランク付けし、ちっとも一緒に遊んでくれないうえに、やたらと宿題の面倒をみたがったからねぇ。知恵の輪を外せずに悪戦苦闘している傍で、
「ぼんくらは頭が悪いなぁ。あんたのお父ちゃんは優等生やったのに何でやろなぁ」
 なんて言うもんだから、ブチ切れてペンチで輪っかを壊して、
「外したよ」
 って床にぶちまけたら、冷たい視線でぼんくらを一瞥してひと言、
「野蛮人には酷やったかな」
 まあ会えばケンカばっかりしてたな、このお婆とは(笑) 
 知恵の輪といっても、本来は起源や目的の異なるパズルを一緒コタに言ってる場合が多いんだけど、日本では一般に、カンタンに外せない2つ以上のパーツを繋げたり外したりする遊びと理解されていると思う。このタイプの知恵の輪は『キャストパズル』と呼ばれていて、19世紀のイギリスで発案されたものとされている。
キャストパズル.jpg 日本では、1960年代には既に様々なメーカーが基本的なパズル群を発売して第一次ともいえるブームになっていたんだけど、パズルとしての地位が不動のものになったのは、世界的にも有名なパズル・コレクターだった芦ヶ原伸之氏監修の知恵の輪セットがハナヤマから発売された昭和58年(1983)以降だろう。
 現在では書店やコンビニでも売られていて、形状も以前のものとは似ても似つかぬメタルの立体パズルへと変化しているけど、原理はまったく一緒の立派な知恵の輪なんだよ。脳の活性化には語学学習に匹敵するほどの効果があるんだって! 気分転換とボケ防止にまたやってみない?

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■今時のハナヤマ製キャストパズル(知恵の輪) カッコいいね!■


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