SSブログ

ワワワ 輪が三つ♪ [テレビ]

 子供の頃に大好きだったドラマって、スポンサーのCMと対で覚えてない? ぼんくら少年は『名犬ラッシー』の大ファンだったので、スポンサーだったミツワ石鹸のCMが未だに頭にこびりついている。

ミツワ.gifワワワ 輪が三つ
ワワワ 輪が三つ
ミツワ ミツワ ミツワセツケン♪

 てな歌詞なんだけど、番組のエンディングでは、

ミツワ ミツワ ミツワのラッシー♪

 なんて歌詞まで変えちゃうんだから強引だよね(笑)。大体が何だよ~、ミツワのラッシーって^^; 放射能汚染の突然変異体かっ
 ミツワ石鹸は万延元年(1860)創業の由緒ある石鹸・洗濯洗剤メーカーだった。ミツワの名は創業者の三輪善兵衛から取ったものなんだけど、三輪さんは、実はミワさんでミツワさんではなかったんだよね。あんまり意味ないか(笑)。当初は化粧品の製造販売業者で、石鹸メーカーになったのは明治43年(1910)になってからだった。代表的なヒット商品となった薬用石鹸『ミューズ』が世に出たのは昭和28年(1953)年。そして件のCMが誕生したのは翌29年(1954)のこと。昭和50年(1975)に同社が倒産するまで「ワワワ 輪が三つ」は20年以上にわたって茶の間に流れ続けたのだった。
「え?『ミツワ石鹸』も『ミューズ』もまだあるじゃん!」
 その通りなんだけど、現在のミツワ石鹸は、玉の肌石鹸がP&Gから商標権を取得して平成20年(2008)に設立した子会社で、CMを流していたミツワ石鹸と直接の関係は無い。
ミツワ2.jpg 話は戻るけど、ぼんくらオヤジはコリー犬(最近は見ないねぇ)を見ると、未だにラッシーよりも先にミツワ石鹸とハウス食品(新・名犬ラッシーのスポンサー)のほうを思い出しちゃう。もう50才なのにねぇ。そっか、スポンサーが完全に主役を食ってるってことは、やっぱり「ミツワのラッシー」「ハウスのラッシー」で当たってるのかもしらん。


■ワワワ輪が三つ♪ 怒濤の3連チャンだぜ!■



にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(14)  コメント(31)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

バハハーイ [テレビ]

ケロヨン1.jpg「バ・ハ・ハーイ」
 映画化で大ブレイクした『20世紀少年』で"ともだち"が多用しているフレーズだよね。これの意味が分かるか分からないかで、万博以前に少年少女をやっていたかどうかが分かるんだけど、あなたはどっち?
「ケ~ロヨ~ン」
 と反射的に出てきた人は昭和生まれでも旧人類です(笑)。ちなみにぼんくらオヤジは旧人類で、昭和41年(1966)から昭和45年(1970)に放送された『木馬座アワー』がサッと甦ってくる。この番組の中に『カエルのぼうけん』というコーナーがあって、主人公のケロちゃん(後にケロヨンに変更)が登場時に言う挨拶が「ケ~ロヨ~ン」で、お別れの台詞が「ハバハーイ」だったのだ。
 児童文学の好きな人は心外かもしれないけど、『カエルのぼうけん』はイギリスの児童文学者ケネス・グレアムの『たのしい川べ』(岩波書店)を叩き台にして、影絵作家の藤城清治がプロデュースした着ぐるみ人形劇だ。だからケロヨンも原作通りカエル屋敷に住むヒキガエルの息子なんだよね。でもケロヨンが名うての自動車マニアなんて設定は、カーマニアの藤城が勝手に盛り込んじゃったものだし、ガールフレンドのエルちゃんやモグラのモグちゃん、アナグマさん、片眼のタヌキのギロバチや子分のヒロイヤなんてことになってくると、もう『たのしい川べ』はキレイに忘れ去られちゃってる。パクリとはいえない次元にまで話が独創的になったんだから、まあいっか(笑)
ケロヨン2.jpg 番組は大好評で「ケ~ロヨ~ン」と「バハハーイ」は流行語のはしりとなり、関連グッズは飛ぶように売れた。木馬座アワーの終了後も、『ケロヨンと遊ぼう』や『ケロヨンと三人組』などの番組が昭和47年(1972)まで続くほどの人気だった。『ケロヨンのうた』や『ケロヨン音頭』を始めとする主題歌・劇中歌・劇中音楽は、当時の人気作曲家だったいずみたくが全てを担当している。ちなみにケロヨンと薬局に立っているコルゲン・コーワのケロちゃんはなんの姻戚関係もないので念のため(笑)。


■ケロヨンのぼうけん「バハハーイ」が入ってなくて残念! 1967年■



にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(11)  コメント(28)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

『Oh! モーレツ』と小川ローザ [テレビ]

小川ローザ1.jpg ぼんくら少年が異性を意識し始めた昭和44年(1969)、はからずも鼻血ブー系の名CMが誕生する。『丸善ガソリン100ダッシュ』のCMだ。パターンはいくつかあるけど、クルマが猛スピードで走り抜け、風圧で小川ローザのスカートがまくれて白いパンティがチラリと見える。そこでローザが口元に手をやり「Oh!モーレツ」ってのが基本だった。いってみれば当時流行った『スカートめくり』の元凶ともいえる存在で、ぼんくら少年史上、極めて重要な位置を占めるCMなのであった(馬鹿だね^^;)。
 オリジナリティがあるのかモンローの真似なのかがイマイチ怪しい役を演じた小川ローザは当時23才。文化服装学院在学中の抜擢だった。このCMがきっかけで、歌手として『風が落とした涙』をリリースしたり、テレビドラマや映画に出演するなど、たちまちにして人気タレントとなったローザは、モータースポーツに華を添えるレースクイーンの元祖として伝説を残すことになる。
小川ローザ2.jpg そしてCM出演から1年と経たぬ昭和45年(1970)にはトヨタ・ワークスのエース・ドライバーだった川合稔と結婚。夫婦でコロナT80型のポスターのモデルになるなど華やかな経歴は頂点を迎えたが、半年後に夫が鈴鹿サーキットで事故死するという悲劇に見舞われる。その後は一切の芸能活動から身を引き、昭和48年(1973)に一時的に映画出演で復帰するものの同年に引退。その後の足取りは全く分からないという謎の多い女性でもあるのだ。
 平成13年(2001)に菊川怜の『猛烈サービス・超モーレツ!』で再復活を遂げたわけだけど、かつてのインパクトは既に無く。逆に小川ローザがいかに妖艶なタレントだったのかを思い知らされる出来の悪さだった。
 初代レースクイーンは、流れ星のように突然現れて輝き、大人にはエロスを、子供にはスカートめくりを遺して消えていった。


■猛烈ダッシュ 1969年■



■小川ローザ『風が落とした涙』 1969年■



にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(15)  コメント(30)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

昭和の名番組『どっきりカメラ』 [テレビ]

どっきりカメラ3.jpg 昭和44年(1969)、日テレのバラエティ番組『なんでもやりまショー』の1コーナーとして、昭和を代表する記念碑的な番組が誕生した。翌昭和45年(1970)10月からスタートした『どっきりカメラ』だ。
 アナウンサーの金原二郎が司会を務めた初代『どっきりカメラ』は半年後の昭和46年(1971)3月に終了。同年4月からは牧伸二を司会に迎えて『いたずら大作戦』としてスタートするも半年後の9月に打ち切りとなる。そして2年後の昭和48年(1973)10月に高橋圭三の司会で『ビックリ決定版!!』として再出発、名称も『びっくりカメラ』と改名されるが、これも半年後の昭和49年(1974)3月で終わってしまった。以降、平成元年(1989)までは『木曜スペシャル』の単発番組として3ヶ月に1度のオンエアとなった。
 木スペの単発番組『元祖どっきりカメラ』では、宍戸錠と石川牧子アナの司会にプラカード役の野呂圭介というお馴染みのコンビが誕生して黄金期を迎える。末期は司会が高橋英樹と山田邦子、プラカード役が笑福亭笑瓶が務めたものの、ついに平成の世に復帰することはなかった。
どっきりカメラ4.jpg ところで昭和63年(1978)に持病の悪化で中途降板し、全国ネットから姿を消してしまった野呂圭介さんだが、現在は湯布院で陶芸家としての人生を歩んでおられる。一時期は肝臓ガンで死も覚悟するほどの闘病生活も送った野呂さんだが、奇跡的な回復を遂げ、ランプシェードの製作に励む今、『どっきりカメラ』をこう振り返る。
「個人情報保護が叫ばれ、イジメに対して厳しい視線が注がれる今の時代、『元祖どっきり――』みたいなユニークな番組は絶対に制作できないでしょうね(日刊現代2008.8.6)」
 やらせ無しというコンセプトは絶対的で、野呂さんは心身ともに満身創痍だったらしい。一般の人々を巻き込む手法は未だに賛否両論があるだろうけど、一切のやらせを排する潔さと対象を無作為に選ぶ過激さには、以降の芸能人を対象としたどっきり番組には失われてしまったリアルさと気高さすら覚える。昭和とともに終焉を迎えた『どっきりカメラ』が、どこか平成の日本人が失ったものを暗示しているように思うのは、ぼんくらオヤジの考えすぎというものだろうか。

【お知らせ】 ぼんくらが日ごろお世話になっているブロガーのたかぽんさんが、この記事を取り上げてくださいました。そして下の動画の他にもっとたくさんの面白い画像を掲載してくださってます。ぜひ、そちらもご覧になってください♪ 


たかぽんさんのブログ: http://midorizaku.blog25.fc2.com/blog-entry-3839.html




■どっきりカメラ 年代不明■



■元祖どっきりカメラ 1986年 下のリンク(YouTube)からどうぞ♪■
http://www.youtube.com/watch?v=5ZvBWTJjnW0



■元祖どっきりカメラ 年代不明 下のリンク(YouTube)からどうぞ♪■
http://www.youtube.com/watch?v=N3ZJqtFDB_U



にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(8)  コメント(22)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

「わんぱくでもいい」「大きくなれよ」 - 丸大食品CM考 [テレビ]

 メラミンの混入した中国製の汚染粉ミルクの騒動から早、1年が過ぎようとしている。その際、丸大食品が5つの製品を自主回収したものの、たとえ中国側の隠蔽体質が影響したにせよ後手後手に回った公表と対策について社長が一度も記者会見を開かず、挙げ句の果てには、
「別にどういうことも無い」
 と発言して世間のひんしゅくを買ったのは記憶に新しい。日本企業の危機管理能力に疑問符が付いた恥ずべき出来事だったんだけど、ぼんくらオヤジはついつい過去のCMを思い出してしまった。1970年代から80年代にかけて少年少女だった昭和生まれにとって、丸大ハムのCMは特別に印象深い存在なのだ。
丸大ハム1.jpg なんといっても忘れられないのは「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」で有名な『丸大ハム』のCMだ。声優の小林清志(一時期は野田圭一)がナレーションを担当し、田中浩の扮する父親と息子たちの関わりをアウトドアの世界で描いていて、良くも悪くも当時の理想の父親像と男性像を色濃く反映していた。そういうものと縁のなかったぼんくら少年には、とても不気味な親子像だったけど(笑)。渓流のそばに風呂を置くなんていう無茶苦茶な設定も笑えたし。ただ何十年経っても頭に焼き付いてるということは、CMとしては大成功だったってことだよね。
丸大ハンバーグ.jpg もうひとつは『丸大ハンバーグ』の「大きくなれよ」だ。丸大ハムの後継CMとして80年代に流されたもので、ヘンゼルとグレーテルを彷彿とさせる青い眼の少年少女と大男を組み合わせた楽しいCMだった。このCMの面白いところは、単純な遠近法を利用した技術で撮影されていることだ。家の玄関側が総鏡張りになっていて、別のセットで演技をしている子供たちと家の前面が映っているだけなんだけど、アイデア次第ではCGなんかに頼らなくてもこれだけの映像が作れるという好例だ。上条恒彦の「ハーイリ♪ハーイリフレ♪ハーイリホー♪」も忘れられないよね。
 あれだけの食に対する不信を招いたにも関わらず、自らも被害者だったとして人心一新も行わずに事をウヤムヤにしてしまった丸大食品だが、かつて自らが流したCMと同様に昭和生まれは不信感も忘れていないのだということを肝に銘じて、信用を回復してもらいたいものだ。


■丸大ハム 1979~1980年■



■丸大ハンバーグ 1983年■



にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(13)  コメント(28)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

レナウン娘の変遷をたどってみた [テレビ]

レナウン娘.jpg 今日は物入りなので、軽いネタをひとつ。
「レーナウーンレナウン娘が♪ オシャレでシックなレナウン娘が♪ ワンサカワンサ ワンサカワンサ♪ イェーイイェーイイェイイェー!」
 ぼんくらはこの歌が大好きで、ぼんくら父がイライラして怒りだすぐらいよく口ずさんでいた。
 言わずと知れたレナウンのCMで、作詞・作曲は小林亜星。初出は昭和36年(1961)にかまやつひろし歌ったヴァージョンなので、なんとコカ・コーラのCMよりも古い歴史を持つことになる。このCM、歌はダサダサなのに映像がその時代の先端を行く感覚で作られていて、サウンド&ビジュアル世代を切り開くことになるぼんくらオヤジの世代にとっては、単なるCMの枠を超えた存在といえるものなのだ。現に弘田三枝子が歌う昭和39年(1964)の「ワンサカ娘」のプロモーションは、ポップでファッショナブルな内容が評価されて、国外コンペでは日本初のCM作品賞を受賞。日本のCM業界の水準の高さを国際的に知らしめる金字塔となったのだった。


「レナウンの唄」 作詞・作曲: 小林亜星

ドライブウエイに春が来りゃ
イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ
イェイ イェイ イェイ イェイ
プールサイドに夏が来りゃ
イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ
(イィわ!)
レナウン レナウン レナウン レナウン娘が
オシャレでシックな レナウン娘が
ワンサカ ワンサ ワンサカ ワンサ
イェーイ イェーイ イェイ イェーイ

テニスコートに秋が来りゃ
イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ
イェイ イェイ イェイ イェイ
ロープウェイに冬が来りゃ
イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ イェイ
(イィわ!)
レナウン レナウン レナウン レナウン娘が
オシャレでシックな レナウン娘が
ワンサカ ワンサ ワンサカ ワンサ
イェーイ イェーイ イェイ イェーイ


■レナウン娘 1964■




■レナウン娘じゃないけど、レナウンCMの水準が分かる作品 1967■




■レナウン娘 1980年代■




■レナウン娘 1986■




■レナウン娘 年代不明■




■レナウン娘 1992■




にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(8)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

アメリカン・ホームドラマ『アーノルド坊やは人気者』 [テレビ]

Diffrent-Strokes.jpg 昨日の『パートリッジ・ファミリー』を知らない世代が、
「こだよこれっ!」
 って膝を叩いてくれるのが、1978年から86年までのロングヒットとなった『アーノルド坊やは人気者(Diff'rent Strokes)』だ。
 ハーレムに住む黒人兄弟のアーノルドとウィリスのお話で、母親が亡くなって身寄りのなくなった二人を、パークアベニューの富豪ドラモンドさんが養子として引き取ったことからトンでもないドタバタ劇がスタートする。ぼんくらオヤジは、ドラモンドの娘キンバリーとちょい役で登場するお手伝いさん達が大好きだったけどね(笑)。今じゃみんなが当たり前のように使っている、
「冗談は顔だけにしろよ!」
 というフレーズはこの番組が生みの親だ。
 息が出来ないぐらい笑わせてくれるんだけど、当時の黒人差別や貧困層の問題などのテーマがサラリと盛り込まれているあたりはタダモノではなかった。ゲストも、Mr.TからJanet Jacksonまで、とにかく豪華だったなぁ!
 パートリッジ・ファミリーと違うのは、キャストのその後だ。
 弟のアーノルドを演じたゲイリー・コールマンは番組終了後、どうしてか次々に犯罪に手を染めるようになって芸能界から追放されてしまう。その後は何とか立ち直って、一時期はレストラン経営を手がけていたようだけど上手くいかず、現在は警備のバイトをしながらテレビゲーム三昧の毎日を過ごしている由。
 兄のウィリスを演じたトッド・ブリッジスは、テレビを中心にコツコツと俳優業を続けていたんだけど、1997年に暴力沙汰を起こして逮捕されてしまう。ただその後、数年間にわたる熱心な社会奉仕活動を経て業界復帰を果たし、現在では俳優業以外にも脚本やプロデュースも手がけるなど多彩な活動を行っている。
 キンバリー役のダナ・プラトーは、『アーノルド』以降はまったく役に恵まれず、それでもどうにか細々と女優業を続けていたんだけど、1991年にビデオレンタル屋で盗みを働き逮捕され、その頃からドラッグにも手を出すようになったらしく、1999年5月にドラッグの多量摂取で亡くなってしまった。自殺とみられている。
 唯一、無傷だったのはドラモンド役のコンラッド・ベインで、この番組ばかりでなく様々なテレビ・ドラマに出演して名脇役の地位を確立。現在はカリフォルニアで隠退生活を送っている。御年86才。
 当たり役の俳優さんが、実生活でも役柄の背負っていた陰なり光なりを反映した人生を送るというのは間々聞く話だけど、何だか本当のことのようにも思えてくるよね。でも、ホントのところは、アーノルド坊やを巡る世界の現実が番組に正確に反映されいたんだってことじゃないんだろうか。笑いと涙は紙一重なんだね。





にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(14)  コメント(15)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

アメリカン・ホームドラマ『パートリッジ・ファミリー』 [テレビ]

パートリッジ・ファミリー1.jpg 1972年(昭和47年)の4月から1年間ほど放映されたアメリカのホームドラマ『人気家族パートリッジ(ゆかいな音楽一家)』を覚えてる?
 お父さんが亡くなっちゃって経済的に大変な思いをしているお母さんを助けようと、5人の子供たちがバンド活動をするってお話だった。お母さんが運転するバス(スクールバスだったと思う)で演奏旅行をするんだけど、旅の途中でいろんな珍事件が発生するんだよね。アメリカ製ドラマのお約束「聴衆の笑い声」を仕込んだありがちな構成だったけど、自分と同世代の子供たちが活躍する様が他人事には思えなくって、ぼんくらオヤジはハマっちゃいましたよ! 知り合いがくれたポスターを部屋のいちばんいいところに貼り、サントラ盤を文字通り擦り切れるほど聴いてた。長男役のデヴィッド・キャシディはイケメンでもあったけど、歌も上手かったので、音楽だけでも十分に楽しめた。ヒット曲になった「悲しき初恋 (I Think I Love You)」なんて、聴けば思い出すかも。
パートリッジ・ファミリー2.jpg ファンだった人のために情報を追加すると、キャストの皆さんはママも含めて全員、健在。デヴィッド・キャシディは舞台俳優や歌手活動で活躍中。次男役のダニー・ボナデュースはもうすぐ50才。えへ、ぼんくらオヤジと同い年だったんだ! ラジオやテレビのパーソナリティ、コメディアンとして活躍している。一時期はプロレスラーもやってたらしい(そういやドラマでもアマレスをやってたっけ)。長女役のスーザン・デイはゴールデン・グローブ賞を受賞するなど、押しも押されぬ女優となった。次女役のスザンヌ・クルーフは大学を卒業して1993年まで書店経営をしていたけど近況は不明。初代三男役のジェレミー・ゲルブワックスは、コンピュータ業界を経て現在は経営コンサルタント業を営んでいる。2代目三男役のブライアン・フォスターは、長らくプロのレーサーとして活躍していたけど、現在は引退してレーシング・チームのコーチを務めている。マネージャー役のデイヴ・マッデンは、現在77才。フロリダで引退生活を送りながら、時折チョイ役でドラマや映画に顔を出している。そして、キュートなママ役を演じたシャーリー・ジョーンズは76才になった現在でも、歌手と俳優業を精力的に続けている。
 パートリッジ・ファミリーは架空の家族だけど、キャストの皆さんはボクらと同じ時間軸をそれぞれに生きてきた「仲間」なんだよね。そう考えるだけで、ぼんくらオヤジは心底、幸せな気分になれる。


■I Can Feel Your Heartbeat (バスが懐かしい)■




■悲しき初恋 (I Think I Love You)■




■デヴィッド・キャシディの近況(2007年。埋め込み不可なので下のリンクからどうぞ)■

http://www.youtube.com/watch?v=9ffk4NiTQYo




にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(13)  コメント(22)  トラックバック(1) 
共通テーマ:テレビ

ケンとメリーのスカイライン [テレビ]

スカイラインC110型.jpg 日本のCM史に間違いなく名を残したと言っていいCMが『ケンとメリーのスカイライン』だ。日産自動車と合併する以前の富士精密工業(後のプリンス自動車)が1957年に生産を開始して以来、1972年に登場する第四世代のC110型に投入されたCMが『ケンとメリー』バージョンだった。
 先代のC10型、いわゆる『ハコスカ』が『愛のスカイライン』というイメージ・キャンペーンを張っていたのを継承する形で誕生したCMで、クルマといえば男の甲斐性みたいな古くさいイメージを払拭して、「クルマは彼と彼女のもの」っていう新たなコンセプトを、車体の形状を一新したスカイラインに被せたわけだ。恋人同士のさりげない日常が主体で、それに花を添えるようにスカイラインが登場するという、イメージCMのパシリだったと言える。ホントはハコスカ時代にも似たようなCMがあったんだけど、時期尚早だったのか何なのか、こちらは噂にもならなかった。不思議だよね。
ケンとメリー2.gif ケンとメリーのCMは大評判となり、放送された5年を通じて、なんと16ものバージョンが制作された。恋人を演じたのは諸説入り乱れているようだけど、どうやら初代が陣内ジミーとダイアン・クレイ、そして(陣内ジミーが亡くなったため[?])2代目が前田俊彦とテリー・ミラーということらしい。ケンについてはマイケル富岡説と蟇目良説もあったんだけど、マイケル富岡は『ジャパン』で、蟇目良は『ハコスカ』だから、たぶんこれで正解だと思う。二人の様子がとっても自然で感情移入がし易かったせいか、はたまたキャスティングの変更に妄想を膨らませたせいかはともかく、ぼんくらの小学校では、
「あの二人はホントの恋人同士で、実は心中していた」
 なんてウワサがまことしやかに囁かれていた(笑)。これを聞いて泣き出す女の子もいたんだから、それだけ人気があったってことなんだなぁ。相合い傘を流行らせたのも、このCMだったし。
 CMの大ブレークでC110型は『ケンメリ』と呼ばれ(『ヨンメリ』は4ドアセダン)、パトカーとしての採用が決まったり、スカイライン初の輸出車となるなど、押しも押されぬ名車の地位を確立し、77年に第五世代『ジャパン』の登場をもって、その役目を終えた。スカイライン自体はその後も進化を遂げながら現在に至っているけど、CMが注目を浴びたのは『ケンメリ』までだった。
ケンとメリー1.gif あれから30年以上が経つ。でも、BUZZのメロディをBGに愛を育むケンとメリーを見ていると、ぼんくらオヤジは少年時代を鮮やかに思い出す。スカイラインの生き字引だった友達のこと。黒板に相合い傘を書いて廊下に立たされたこと。お茶の間に流れる恋人の姿にバツの悪そうな顔をしていた父の姿。憧れのケンメリを買って得意気に洗車していた近所のお兄ちゃん。今でもケンとメリーは、忘れていた引き出しをいくつも引っぱり出してくれるのだ。





にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


nice!(14)  コメント(20)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

『キャプテン・スカーレット』を覚えてる? [テレビ]

キャプテン・スカーレット.jpg 一世を風靡したイギリスの人形劇『サンダーバード』と、実写版サンダーバードに近い構成の『謎の円盤UFO』の間に『キャプテン・スカーレット』という人形劇があったのを覚えてる人、いる?
 パッと見には『サンダーバード』そっくりなんだけど、パネルを操作する手なんかに実写が盛り込まれていて、ホントに人形と実写の中間だったことがよく分かる。
 あまり知られてないことなんだけど『サンダーバード』はアメリカでは全然ウケず、失地回復にの制作チームが満を持して送り込んだのが『キャプテン・スカーレット』だった。でも、肩に力が入り過ぎたというべきか、内容が恐ろしくややこしくて、アメリカはおろか前作が爆発的にヒットした日本でもまったく人気が出ず、キャラクター製品のライセンスを取得していた模型メーカーのイマイと玩具メーカーのバンダイが経営危機に陥るというオマケまでついてしまう。結局、イマイは倒産しちゃったけどね。
 台詞に連動して目や唇を動かす『スーパーマリオネーション』という当時としては画期的な技術も、『キャプテン・スカーレット』の失敗に引きずられるように終焉を迎える。日本の放送時期でいえば1966年の『サンダーバード』に始まり『キャプテン・スカーレット』で終わる68年までのたった2年間のことだったけど、スーパーマリオネーションはボクらを心から楽しませてくれた。そして大人になった今でも鮮やかに心に刻み込まれている。


■オープニング日本語版■



■オープニング英語版■



にほんブログ村 オヤジ日記ブログ 駄目オヤジへ人気ブログランキングへ


 
nice!(10)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。