ロウ石 [遊び]
ロウ石は、ケイ酸塩鉱物が層を作ってできた葉ロウ石が含まれた鉱石の総称で、普通は耐火煉瓦やグラスファイバーの原料になる。日本じゃ岡山県備前市の三石や広島県庄原市の勝光山が主産地なんだけど、縁のある人はいる?
筆記用具としてのロウ石は『石筆(せきひつ)』と呼ばれて、今でも建設現場や鉄鋼・造船所などで、鉄板やコンクリートに文字や記号を書き込むために使われている。尋常小学校の黎明期に子どもたちに石版を使わせていた時期があったんだけど、この時に鉛筆代わりにしていたのが石筆だった。日本の義務教育を軌道に乗せた立役者でもあったんだね。
平成っ子もロウ石で遊ぶことがあるんだけど、何をしてるか分かる? 答えは彫刻だよ。あれって柔らかいから、釘やカッターでカンタンに削れちゃうでしょ。しかも水で濡らして細かいサンドペーパーをかけるとツルツルになるんだ。意味不明の置物から立派なペンダントまで作れるものも様々だ。もっとも遊ぶっていったって、大人が手取り足取り指導してくれる地域のカルチャーセンターや子供向けの美術教室でのお話だけどね^^;
給食用ジャム - タカベビー [食]
地味な脇役なのに何でそんなに覚えていたかだけど、それなりに理由はあったんだよ。いちご、りんご、ママレード、ピーナッツバター、チョコなど種類はそれなりにあったんだけど、給食用ジャムを手がけるメーカーが限られていて、地域や年代に関係なく毎日同じ包装のジャムを見てたんだ。
寡占状態で小分けの給食用ジャムを製造していたのは、福岡県瀬高町のタカ食品工業だ。『タカベビー』ジャムという名で、昭和29年(1954)から生産を開始。それまで給食のおばさんか先生、あるいはクラスの給食当番がひとつのビンから注ぎ分けていたジャムが、衛生的で均一に、しかも手間いらずで配ることができるということで、たちまち全国に普及した。
「でも寡占ってのは問題じゃない?」
と思う人がいるかもね。実はこれにも理由があるんだよ。この小分けの袋詰めをする自動箱詰め機(オートパッカー)が、なんと21世紀になった現在でも、昭和46年(1971)にタカ食品工業が開発した『白鷹号』しかないんだ。ビックリだよね。よく弁当に入ってるしょう油やソース、マヨネーズ、タルタルソースの類は、メーカーが違っても白鷹号がせっせと生産しているってことだね。
オートパッカーの登場以前は製造工程の大半が手作業だったものが、昭和50年(1975)には、50台の白鷹号が日産200万個という驚異的な生産を行うまでになり、タカ食品工業は他の追随を許さない給食用ジャムのメーカーになったのだった。
米飯給食の普及でピーク時のような出荷量はないけど、タカベビー・ジャムは、相変わらず子どもたちの給食には欠かせない名脇役のままだ。
粉末ジュース [食]
小5の次男が得意満面で差し出してくれたものをみて、ぼんくらオヤジはちょっと困ってしまった。昔懐かしい粉末ジュースだったんだ。
現在では、法律で果汁100パーセントでない限りは「ジュース」と呼んじゃいけないことになってるので「粉(末)ジュース」と言っちゃいけないんだけど、「粉末タイプの清涼飲料水」って言うのも何だかねぇ^^; ぼんくらオヤジは販売元じゃないので、今回は「粉ジュース」と親しみを込めて使わせてもらうね♪
お初がどこかは現時点で把握できなかったんだけど、1950年代には既に流通していたようだ。安い人工甘味料のおかげで製造コストを抑えられたこともあって広く普及し、ハイカラな飲み物とは縁遠かった子どもたちばかりじゃなく、大人の愛飲者も多かった。当時はどの家庭でも徳用袋に入った粉ジュースを常備していたよね。
でも1970年代に入って人工甘味料が使用禁止となると、価格維持が不可能とみた多くのメーカーが製造から撤退してしまい、冷蔵庫やビン・缶入り飲料の普及も追い打ちをかけた結果、現在のように駄菓子屋さんやごく一部のスーパーに置いてある程度の存在に成り下がってしまった。
それでも北米や南米、東南アジア、中国では現在でもフツーに飲まれているそうで、こんだけ粉ジュースが虐げられてるのは、もしかすると日本ぐらいなもんかも(笑)。現在、国内で昔ながらの粉ジュースを製造しているのは名古屋の松山製菓と日邦製菓ぐらいなものだ。ある意味、流行り廃りが極端だった昭和の名残といえるかもしれないね。
ところで、初めて粉ジュースを飲んだぼんくら次男の感想はというと、
「ま、不味い~」
炭酸キツいし、袋の色と全然違うし等々、文句タラタラ^^; そこで、
「粉を、まんま口に放り込んでみな」
とアドバイスしたら、
「こっちのほうが美味い♪」
と一定の評価。なんだ、平成っ子も舌の感覚は一緒じゃん!
■「ワタナベのジュースの素」CM by エノケン 1960年■
卓上調味料入れ [雑貨]
岐阜に本社のあるリス株式会社が昭和46年(1971)に発売したのがこの「トレビアンシリーズ」で、発売直後から飛ぶように売れる空前の大ヒットを記録した。一時期は、どこの友達の家に行っても卓上調味料入れといったらこれだった。
しょう油さしやソースさし、塩・コショウ入れ、楊枝入れ、からし入れ、シュガーポット、箸立てなどのテーブル用品をシリーズ化し、常備品を載せる回転カスターをラインナップに加えたのがミソだった。このカスターがあれば、例えば餃子が献立の場合ならしょう油と酢、ラー油、七味唐辛子の瓶を台所でカスターに載せれば、一度にテーブルに運ぶことができたし、同じように片付けることもできた。
利便性だけじゃなく、容器のデザインや柄も統一されていたこともセールスポイントだった。高度経済成長が一段落し、生活が安定してデザインにも関心を持つようになった消費者のニーズに応えた製品でもあったんだ。
プラスチック製であったことも「ガラスに比べて軽く、落としても割れない」というプラス・イメージをもって歓迎されたんだよ。プラスチック製品=チープなんて印象のある今どきとはえらい違いだね(笑)。
チェリー柄になって名前も「ブルームシリーズ」になってるけど、容器のデザインや色遣いはそのままで、現在も定番商品の座を守っているよ。
カセットテープ [テクノロジー]
コンパクトカセットは、昭和37年(1962)にオランダのフィリップス社によって開発された音声用磁気記録テープの規格で、昭和40年(1965)にフィリップス社が互換性を条件に特許を無償公開したことから、多くのメーカーが参入して実質的な国際標準規格になったんだよ。日本では、昭和41年(1966)に東京電気化学工業(現TDK)によって発売されたのがお初だ。
磁気テープが専用のカセットに収められているため、テープが汚れたり、よれてグシャグシャになり難くなったので、むき出しのオープンリールに比べて飛躍的に扱い易くなった。名前の通りコンパクトになったので、持ち運びはもちろん、録音再生用機材の小型化という革命ももたらした。当時の若者文化を彩ったウォークマンは、カセットなしにはあり得なかったよね。
もちろん、いいことずくめなはずもなく、物理的にオープンリールの半分以下の幅しかない磁気テープで高音質のサウンドを録音再生するのは技術的に無理があったので、基本的に音質はデッキに左右されることになってしまった。
「え~、ホント? だって高音質の録音テープがあったじゃん! 好きなアーティストの音楽は小遣いはたいて高いテープ買ったんだぜ」
って思った人もいるだろうね。ぼんくらオヤジもそうだ。もちろん看板に偽りがあったわけじゃなく、そうしたテープは音質や耐久性の点で標準的なものよりも優れていたのは確かなので安心してね。ただ与えられた状況下での改良に過ぎなかったってことだね。基本的な技術革新による音質改善は1980年代後半のデジタル・コンパクトカセット(DCC)でようやく実現したんだけど、その頃には既にCDやMDが普及し始めていて、サーチや頭出しが不得手なDCCの居場所は無くなっていた。
それでも取り扱いがカンタンなことや以前に録った貴重な音源の再生に必要だということもあるんだろうね。特に高年齢層には根強い支持があって、テープやラジカセ、デッキなどは、未だに家電店では定番商品だよ♪
■TDKカセットのCM by サザンオールスターズ 1980年代後半■
http://www.youtube.com/watch?v=itCFYTFzmew
■SONYカセットのCM by Princess Princess 1989年■
http://www.youtube.com/watch?v=iz92oTAFO7Y
■maxellカセットのCM by THE MODS 1983年■
http://www.youtube.com/watch?v=xCAngs0oXTU
■ナショナルカセットのCM by 近藤真彦 1985年■
http://www.youtube.com/watch?v=UxpB0LYmKiQ
■フジAXIAのCM by 坂井真紀 1994年■
http://www.youtube.com/watch?v=VexlTyse404
山下達郎と『Ride on Time』 [音楽]
記事を書いていてこう思うことが多々あるんだけど、山下達郎が『Ride on Time』を歌うマクセル・カセットテープのCMもそのひとつだ。昭和55年(1980)のオンエアだから今年で丸々30年目になるんだよね^^;
山下達郎は昭和28年(1953)生まれだから、昭和55年は28才。昭和51年(1976)にシュガー・ベイブが解散して以来、地道なソロ活動を続けていた山下が一躍、スターダムにのし上がる契機となったCMだった。
CMのロケ地はサイパン。レコーディングはロケを挟んで行われ、青山純 • 伊藤広規 • 椎名和夫 • 難波弘之らが参加する豪華なラインナップとなった。
この曲、実は詩も曲もまったく違う別バージョンが存在するんだけど、知ってる? 『The RCA / AIR Years LP Box 1976 - 1982』というアルバム(2010/02/06時点で廃盤)のボーナストラックとして収められているっていうんだけど、ぼんくらオヤジは聴いたことがないんだな。なんでこんなものがあるのかというと、当時のCM制作では、プレゼン用に複数バージョンの曲を作って検討するのが慣行だったからだ。現ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役の小杉理宇造なんかは、この別バージョンのほうが気に入っちゃって、後に『One More Time』という歌詞を付けて近藤真彦に歌わせちゃったぐらいだ。これは近藤のシングル『永遠に秘密さ』のカップリング曲になってるから、知ってる人がいるかもね。
■マクセル・カセットテープのCM by 山下達郎 1980年■
http://www.youtube.com/watch?v=9srsJW7BXgQ
■『Ride on Time』 山下達郎 1980年■
http://www.youtube.com/watch?v=XS2yMUFBIY0
■『Ride on Time』CM用アカペラ・バージョン■
http://www.youtube.com/watch?v=SxC0DgL_bOU
レジャーシート [雑貨]
お初かどうかは断言できないんだけど、データ上では昭和48年(1973)に(株)アサヒ興洋が発売したストライプ柄のレジャーシートが最も古いものといってよさそうだ。
もっともアサヒ興洋は販売元で、製造元は岡山の森下化学工業(株)という元々ブルーシートを作るメーカーだった。
ところで、なんで作業用シートが青いかというと、1960年代までポリエチレン・シートの顔料はオレンジや青がせいぜいで、しかも特に青が安価だったからなんだよね。それが70年代に入ると、顔料が飛躍的に改良されて様々な色が使えるようになってきた。とはいえ作業現場にカラフルなシートは必要ない。そこで赤・青・黄で染色した小面積のシートを家庭用としてアサヒ興洋に販売してもらったところ、大当たりしたというのが実相のようだ。
水を通さず、アウトドアで使っても劣化しにくい上に、畳めば場所も取らず、しかも軽いレジャーシートは、それまで一般的だったござをアッという間に駆逐し、家庭の必需品に収まっちゃった。今では難燃剤を添加して防炎機能を持たせるなど、安全性も高い製品に仕上がってるよ♪
■オーソドックスなストライプ・レジャーシート■
http://www.youtube.com/watch?v=2A0U-kISO0A
■ゆるキャラひこにゃん、レジャーシートを敷く♪■
http://www.youtube.com/watch?v=9ZGEisMHIp4
黒ひげ危機一髪(BlogPet)
黒ひげ危機一髪 [遊び]
発売元はタカラトミー(旧トミー)。ホントはね、海賊を飛び出させた人が勝ちってゲームだったんだよ。なんでかというと、海賊は敵に捕まり縛られて樽に放り込まれたって設定で、短剣を刺すってのはロープを切って助け出すって意味だったからだ。
どうして今みたいなルールになっちゃったかというと、昭和51年(1976)から放送の始まった『クイズ・ドレミファドン!』の賞金賞品獲得コーナーで、黒ひげを飛び出させたほうが負けってルールで使われたからなんだ。まあ、この番組で使われたから『黒ひげ危機一髪』の今日があるわけだし、第一、今のルールのほうが分かりやすいよね(笑)。
もっとも平成21年(2009)に発売された『黒ひげ危機100発』では、原点に戻ったのか、黒ひげを救出できるかどうかで勝負が決まるようになっている。剣を刺さずにルーレットを用いる方式も目新しい。パーティゲームにどうよ?
B級玩具傑作選 - パンチガム [遊び]
といってガムを差し出して、
「サンキュー♪」
と手を出したほうが、
「ギャッ!」
と絶叫する。もう分かったよね。『パンチガム』といって、ガムをケースから引っぱり出すと、ガムに仕組まれたクリップで勢いよく指を挟まれるというバカバカしいドッキリ系玩具だ。子どもたちの間ではパッチンガムとかバッチンガムなんて呼ぶこともあった。
当時の玩具の常で、あっという間に流行ってみんなが知っちゃうから、まずガムを差し出してもすんなり受け取るような友達はいなかった^^; ごく稀にイタズラがヒットしてもケンカに発展しかねなかったから、あれで良かったのかな。仲のいい友達同士だと、どうなるか分かっていて罰ゲームのようにパンチガムを楽しむことはあったけど。
これ、ケガをすることはなかったけど、爪のど真ん中に命中すると結構、痛かったよね。
ぼんくら少年が中2の時だったと思うけど、居間でテレビを見ていたら弟のけたたましい声が聞こえてきた。ビックリして声のするほうに飛んで行ったら、なんと弟がぼんくら少年の部屋でギャアギャアと泣いてるじゃないの! 足もとにパンチガムが落ちていたので、何が起きたのかはすぐに合点がいったけど(笑)。そんなことがあるまで本人もキレイサッパリ忘れてたんだけど、小学生の時に買ったパンチガムを机の引き出しに放り込んでたんだよね。誰かが自分の机をいじってるのには気付いてたんだけど、こんな形で犯人が見つかるとは思わなかった。もちろん、パンチガムにこんな使い道があるなんて思いもしなかったしね♪
パンチガムは未だ現役だよ。もっともガムよか、相方が覗こうとしたらパンチを繰り出すようなパンチ・ケータイがあったら売れるだろうな。先ず間違いなく一台は売れるね。タイガーが買うだろうから(爆)。