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汽車土瓶 [雑貨]

汽車土瓶1.jpg 懐かしいものを見つけちゃったので、今日は敢えて小ネタでいくね。昭和生まれなら画像を見ただけで、
「あー、これね」
 って言ってくれるだろうと思うんだけどな^^。じゃあ駅弁と一緒に買ったこのお茶の容器の名前って知ってる? 鉄道ファンは別として、意外に知らない人が多いんじゃないかな。材質は陶製だったりポリビニルだったりするけど『汽車土瓶』って呼ばれてたんだよ。ぼんくらオヤジは列車の旅行が子どもの頃から大好きだったので、汽車土瓶を見ただけで未だにワクワクしちゃう。
 汽車土瓶がいつ、誰によって開発されたのかは残念ながら分からない。鉄道マニアは一般に恐ろしく緻密に鉄道関係の資料を漁る人達なんだけど、その彼らが特定できないんだから、門外漢のぼんくらに分かるはずもなく。一般論として言うと明治時代には既にあったとされているけど、資料上では福岡市の皿山で大正時代に汽車土瓶が製造されていたことが確認されているようだ。
 汽車土瓶についてひとつ、はっきりといえるのは、少なくとも昭和30年代まで汽車土瓶は日本における数少ない使い捨て容器だったということだ。今、陶器の汽車土瓶を手に入れたら、とても捨てられない気分になるけどね(笑)。
 ぼんくらの記憶では、昭和40年代にはもうほとんどの汽車土瓶がポリ容器になっちゃってたと思う。ハッキリ言って、あのお茶は不味かった(笑)。だって容器の臭いがするわ、直ぐ冷めるわ、茶葉自体の質が悪いわ、どこを褒めていいのか見当がつかない代物だったもんね。それでも駅弁を車内で頂く時には是非とも欲しい小道具であることに変わりはなく。
 不味くても買われていた汽車土瓶茶に蔭りが訪れたのは1980年代の中頃だった。金属に触れると色や味が変質してしまう特性ゆえに困難だったお茶の缶詰化が技術的に可能となり、ホームやキオスクでお茶缶が売られるようになったのだ。
 汽車土瓶茶の終焉を決定的にしたのは、平成8年(1996)に飲料業界が産廃物抑制のために行ってきた1リットル以下のペットボトル生産の自主規制を解除したことだった。飲み残してもフタをすれば持ち歩くことができ、風味も格段に勝っている小分けのペットボトル茶に放逐されてしまったのだ。
汽車土瓶2.jpg こういうと跡形もなく消え去ってしまったかのようだけど、実をいうと今でも2ケタを軽く越える駅で汽車土瓶は生き残っているんだよ。一時は販売を止めちゃった駅でも復活させるところが増えてるんだって。希少価値に加えて、旅情を誘うアイテムとして再び利益の出る人気商品に返り咲いているみたい。そうなんだよね、旅はある意味、効率や合理を捨て去った究極の遊びなんだもん。行きに出会った重たい陶器の汽車土瓶や駅弁の容器を、先の長い道中でヒィヒィいいながら持ち歩くのも楽しみのうちなんだ♪ 汽車土瓶に再び出会った人は、失ったものを取り戻すことができるかもしれない。


■駅弁と汽車土瓶のある旅の光景 旅情を堪能できますね♪ 1983年■


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占い(おみくじ)灰皿 [雑貨]

占い灰皿1.jpg 先日、出先で飛び込んだラーメン屋さんに懐かしいものがあったよ♪ 灰皿の側面を12星座(あるいは十二支)とコイン投入口が一周していて、100円を入れてレバーを引くと、占いを書いた小さい紙の巻物がポロッと出てくる。これって1970年代には食堂という食堂に置いてあったよね。今となっては製造元はおろか商品名すら分からなくなっちゃった。
占い灰皿2.jpg お店のご主人に聞いてみたら『占い灰皿』とか『おみくじ灰皿』と呼んでいるそうだけど、それが正式名称なのかどうかは不明とのこと。以前は営業マンが紙の補充と代金の回収をしに回ってきたんだけど、平成に入った辺りからとんと姿を見せなくなり、単なる灰皿となってしまってから20年が過ぎてしまったそうだ。なんでも近所の喫茶店には新型が置いてあり、同様に営業マンが回ってくるという情報もあるそうだ。そっかぁ、未だに現役なんだ!
「まだ残ってるかもよ」
 ということで試しに100円を投入してみたけどコインが戻ってきただけだった。残念! 
占い灰皿3.jpg 子どもの頃は高嶺の花のお遊びで手が出ず、大人になったら関心が無くなっちゃったのでやらず、物好きな友人が手を出したのを一度見ただけの灰皿だったんだけど、何十年と使い込まれた外見がミョーに愛おしい。家族で行ったデパートの大食堂や町のお蕎麦屋さんの光景が鮮やかに浮かび上がってくる。
 店を出る間際にご主人が一言、
「その占いだけどね、12個も投入口があるけどコインの行き先は1ヶ所なんだよね」
 え、そうなん^^;?


■サイバーおみくじ『猫ぱんち』 困ったなぁ、可愛いじゃねぇか!■



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なぜ『豚の貯金箱』なのか? [雑貨]

豚の貯金箱1.jpg 子供の頃、貯金箱っていうと『ブタの貯金箱』だった。
 ぼんくら家では一風変わった習慣があって、毎年12月1日は親が新しいブタの貯金箱を子供たちに配り、子供たちはそれまでの貯金箱を割ってお金を取り出す日だった。貯金は好きに使って良かったんだけど、大半は家族へのクリスマス・プレゼントを買ったり、慈善活動へ献金するために使っちゃった。弟妹もそうだった。子供って、こういう時には自分のためにお金を使おうって思わないもんだよね。待降節を告げ知らせる楽しい行事だったんだけど、新聞紙を広げて貯金箱を置いて木槌で割る時は、なんか可哀想で目をつぶって叩いたなぁ。
 それにしても、なぜ貯金箱がブタなんだろうね?
豚の貯金箱2.jpg どうやらこれは、かつてヨーロッパで素焼きの粘土に用いられていた Pygg というオレンジ色の粘土に由来しているらしい。庶民の使う食器のほとんどは Pygg 製で、貯金箱も"Pygg Bank"と呼ばれる壷が用いられていた。それが19世紀のイギリスで Pygg を Pig と聞き間違えたのか、冗談だったのかはともかく、陶器職人が"Pig Bank"つまり豚の貯金箱を作ったところ大評判となり、これが世間に広まったものといわれている。まあ他にも Pygg 製の塩壺を貯金箱代わりに使っていたのが Piggy に転じて"Pig Bank"となった、なんて説もあったりするので、半信半疑でいてね(笑)。


■豚の貯金箱ショートストーリー よく出来てます♪■


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父のアイテム - ローラー・シェーバー [雑貨]

ローラー・シェーバー1.jpg ぼんくらオヤジの亡父が使っていたもの。いっぱいあったはずなんだけど、今でも覚えてるものって意外に少ない。そんな数少ないアイテムのひとつが手動式の『ローラー・シェーバー』だ。小さなハードケースのチャックを開けると、手のひら大の四角いシェーバーが顔を出す。金属製のコアの表裏にプラスチックの化粧板を施したもので、見かけのわりには重い。ローラー状のカミソリ刃が回転する部分は弾力性のある金属製のメッシュ・カバーで覆われていて、この部分が顔に当たる。メッシュ・カバーを外せばローラー本体もカンタンに着脱できるので、掃除をするときは取り外したローラー表面に刻まれた螺旋状の刃を専用のブラシで掃けばよかった。
 ぼんくら少年は髭は生えていなかったから(笑)本来なら触ることも許されない道具だったんだけど、父親が髭を剃ったあとの掃除を買って出ることで、おおっぴらに道具の分解組み立てをすることができた。親公認で道具をいじり回せることなんてそうはなかったから、この作業を任されているときは大人の仲間に入れてもらったようで、ちょっぴり誇らしかった。
 やがて父は電動シェーバーを使うようになり、中学生になって髭剃りが必要になったぼんくら少年は晴れてローラー・シェーバーのオーナーとなった。でも使ったのは1年ぐらいだったかな。高校生になってからはカミソリを使うようになったので、ローラー・シェーバーは勉強机の引き出しに放り込まれたままとなり、その後は引っ越しを重ねるうちに姿が見えなくなってしまった。たぶん小物の整理をしているときに捨ててしまったんだろう。
ローラー・シェーバー2.jpg 名前はおろか存在自体も忘れて数十年が経った先日、たまたまヤフオクに出品されているローラー・シェーバーに出くわして、先述の記憶が堰を切ったように甦ってきた。それで気付いたんだけど、これってタダの懐古趣味じゃないんだね。ぼんくらオヤジもみんなもよく「懐かしい」って言うけど、これは安っぽいノスタルジーなんかじゃないんだよね。今の自分を支えてくれている大切な根っこを思い出したり気付いたりしたときの気持ちを、ボクらは「懐かしい」という愛おしい言葉で語ってるんじゃないだろうか。ぼんくらオヤジがローラー・シェーバーで思い出し、再確認したのは、今は亡き父との間にあった確かな絆だった。


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洗濯ばさみはアルミ製だった [雑貨]

モダンピンチ.jpg 毎日のように親に叱られてたぼんくら少年だったけど、こっぴどく叱られて未だに覚えていることがいくつかある。
 ある日曜日の午後、自宅の縁側で友達と遊んでいたぼんくら少年の目に、広告を折って作った紙皿にてんこ盛りになった洗濯ばさみが飛び込んできた。何気にそれを唇に挟んでみせたら、これがバカ受け。相手の友達も唇に洗濯ばさみを挟んでみせた。こうしてエスカレートして耳たぶやほっぺた、眉毛、鼻など、今思い出せるだけでも最終的には十数カ所に洗濯ばさみを付けることができたと思う。もちろん痛かったんだけど、お互いに洗濯ばさみだらけの顔が面白かった上に、動くと洗濯ばさみがジャラジャラと音を立てるので、きゃあきゃあ騒ぎながら居間を飛び跳ねていたら、
「何してるの、アンタ達っ(怒)」
 買い物から帰ったぼんくら母が玄関で仁王立ちしてこっちを睨みつけている。当たり前だけど、直ちに洗濯ばさみの撤去を命じられ、後は縁側に座らされてこんこんと説教された。…と、やがてぼんくら母がふと説教を中断したかと思ったら、驚愕と恐怖の表情を浮かべた。
「だからアンタ達はバカだって言うのよっ。二人とも鏡を見ておいで!」
 何事かと思って鏡を覗き込んでみて合点がいった。顔中に半円形の模様がうっすらと紫色に浮き上がっているではないか! どうやら挟んだところが内出血をおこしたらしい。顔を見合わせてゲタゲタ笑っていたら、急に二人とも腕を捕まれて友達の家まで引きずられていき、友達のお母さんにぼんくら母ともどもペコペコ頭を下げる羽目に。帰宅後は書斎から出てきた父にビンタをくらって大泣き。いやぁ散々だった^^;
アルミピンチ.jpg ここで、ふと思ったのが、
「なんで顔に挟んだ洗濯ばさみがジャラジャラ鳴ったのか」
 ということだ。それで思い出したんだけど、当時の洗濯ばさみはアルミ製だったのだ。調べてみたら今でも作ってるんだね、コレ。『モダンピンチ』とか『アルミピンチ』とか、メーカーによって名前や形状は違うけど、どれも昔懐かしいアルミ製の洗濯ばさみだ。すっかりプラスチック製品に席巻されちゃったけど、頑丈で挟む力も強いということで、今でも根強い需要があるらしい。10個で120円程度と決して高くないし、思い出して使ってみちゃどうだろう。


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なぜ学校では『レモン石けん』だったのか? [雑貨]

レモン石鹸2.jpg ぼんくらオヤジが小学生だった頃、学校の手洗い場に行くと、蛇口からみかん用のネットがぶら下がっていて、中に丸く黄色い石けんが入っていた。使うと、泡立ちはそれほどでもないけどしっかり洗えて、手にはうっすらとレモンのような香りが残った。うがいと手洗いは当時も励行されていたから、この石けんは正に生活の一部だった。
 やがて中学生になり、新築された校舎に移ると、洗い場にレモン石けんの姿はなく、代わりに緑色の液体の入った容器が備え付けられていた。
 それから数十年が経ち、我が子の授業参観で小学校を訪ねたぼんくらオヤジは驚いた。ネットこそ専用のものになっていたけど、あの懐かしいレモン石けんが洗い場の蛇口にぶら下がっていたのだ。先生に聞くと、
「さぁて、いつ頃からでしたかねぇ~。思い出せないぐらいだから10年以上は経ってるんじゃないですかねぇ、レモン石けんに戻ってから」
 とのこと。レモン石けんは意外に早く復権していたのだ。
 なぜ学校ではレモン石けんが重宝されているんだろうか? そんな素朴な疑問が湧いて調べてみたんだけど、諸説あって決定的な理由は見つけることができなかった。
 最も有力なのが単価の安さだ。納入価格のバラツキを考慮しても、1個あたりの単価は30~40円。標準的な固形石けんの3~4分の1のコストだ。おまけになかなか減らないときているから2度美味しいのだ。
 ある引退した先生のお話では、子供たちが手を洗ったかどうかが手の臭いを嗅げば分かったので大変便利だったとか。手洗いの指導に際してシトラスの香りが役に立ったのだ。
レモン石けん3.jpg 1946年からレモン石けんを製造しているカネヨ石鹸は、愛らしい形とフルーツの香りが特に子どもたちに喜ばれたことが学校に普及した理由だったとしている。
 単に納入品目の変更をしていないお役所仕事の結果だといううがった見方もあるけど、これは一時的であれ液体石鹸に変わった経緯をみても説得力に欠ける。
 おそらくは先の理由が複合した結果なんだろうけど、ボクらがそうであるように、きっとボクらの子供たちも大人になってレモン石けんを懐かしがるだろうと思うと、なんか嬉しくない?


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銭湯といえば『ケロリン桶』だった [雑貨]

銭湯1.jpg ぼんくら少年の家には風呂場があったんだけど、ジタバタして息子がせがむものだから、よく家族で銭湯に行くハメになったらしい。両親とも風呂好きだったので、まんざらでもなかったようだけどね。父は息子を自転車の荷台に乗せてくれて、時折、自転車を止めては星空を指さし、星座にまつわるギリシャ神話を話してくれた。父のベルトを掴んでそっくり返りながら星空を眺めていると、神話の神秘に後押しされて宇宙に吸い出されてしまうような感覚に襲われたのを覚えている。
銭湯2.jpg そして、ぼんくら少年の宇宙旅行は石鹸と人の体臭の混じり合った独特の匂いで唐突に終わるのだった。明るい照明に目をしばつかせながらカラカラと引き戸を開けると木のカギがついた下駄箱があって、先ほどの匂いがもっと強くなり、カラーン、カコーンって音が聞こえてくる。見上げるような高台に座っているおじさんかおばさんにお金を払い、脱衣場で服を脱ぎ捨てると、ようやく最終ゴールの浴場に辿り着く。
銭湯3.jpg 早速、プールのような湯船に飛び込もうとすると、
「こらっ」
ケロリン桶白.jpg っと腕を掴まれ、白い桶で頭からお湯をぶっ掛けられた。恨めしい思いも手伝ってか、ぼんくら少年の脳裏には、この湯桶のことが妙に焼き付いてしまった。ただ白いわけじゃなく、桶の底に赤い文字が印刷されていたのが印象的だった。
ケロリン桶黄.gif やがて、字が読めるようになった頃には、銭湯の湯桶は白から黄色に変っていた。底の赤い文字は『ケロリン』と読めたので、ぼんくら少年は「ケロリン桶」と呼んでいたんだけど、これが正式名称だとは夢にも思わなかった。
 この『ケロリン桶』は、内外薬品の頭痛薬『ケロリン』の販促用品として昭和38年にお目見えした。衛生上の問題から材質が木から合成樹脂に切り替わる時期と重なったことで、ケロリン桶は全国の銭湯や温泉、旅館やホテル、ゴルフ場の浴室などへ瞬く間に普及し、延べ200万個の納入実績を誇る湯桶となった。
ケロリン.jpg またケロリン桶は、ぼんくら少年のような危ない連中が蹴飛ばしたり乗っかっても壊れないだけの強度を持っていて、「永久桶」とも呼ばれているほどの優れものなのだ。手が滑らないように木桶のタガに相当する段差が付いているあたりも心憎い。顔となる文字が消えてしまわないように、キクプリントと呼ばれるプリント面を削ってインクを埋め込む当時の最新技術が採用されるなど、昭和を代表する工業製品に仕上がっているのがケロリン桶なのだ。
 現在でも年間に4~5万個が納入されているというケロリン桶。ボクらと共に歴史を刻んできたケロリン桶は、平成の今でも、かつてと寸分たがわぬ姿で活躍している。

不思議に流行った『紙せっけん』 [雑貨]

紙石けん1.jpg ロケットペンシルのように「なんであんなに夢中になったんだろう?」ってものは、ほじくり返せばいくらでも出てくるよね(笑)。たとえば『紙せっけん』。
 当時の紙石けんは、透明の固形石けんを薄く削いで作った原始的なもので、ちょっと力を入れただけでバラバラに砕けてしまう代物だった。いろんな色があって、香りもいろいろだったと思うんだけど、それがメーカーによる違いだったのか、同じメーカーが複数の香りのものを生産していたのかまでは思い出せないなぁ。覚えてる人は教えてね。今嗅いだら相当にチープな匂いなんだろうけど、女の子の中には石けんとして使わずに、ランドセルにしのばせたり、ノートや教科書に挟んで香りを楽しむ子も結構、いたよね。
紙石けん2.jpg 種類がいろいろだったからなんだろうな、女の子同士では、よく交換してたよね。女子と石けんの交換ができる男子は、女子に人気がある子として一目置かれてたし(笑)。苦労して手に入れたレアな紙石けんを献上して、相手の気を引こうと涙ぐましい努力をする子もいたし。もちろん手も洗ったんだけど、男女入り乱れて紙石けんを集めているうちに、石けん本来の目的とはまったく違う用途に使われるようになっていったのが『紙せっけん』ブームの面白いところだった。
 台紙に24枚の紙石けんがついて30円。まあ、お小遣いで手の届くギリギリのところだったかな。ブーム自体は香りのついた消しゴムなんかも登場していつの間にか終わっていたんだけど、紙石けんはその後も駄菓子屋や雑貨店の定番商品として生き延び、現在もカンタンに手に入れることができる。ブームも度々発生しているようで、現在中3のぼんくら娘が小学生4年生の頃に紙石けんを集めていて驚いたことがある。
紙石けん3.jpg 最近では、ウイルス対策用の携帯石けんとしても評価が高まっているというから、もっとビックリしてしまう。仕様も従来のものから、特殊加工を施した絹の繊維を混ぜて本当の紙のように折り曲げられるものまで多様化している。ボクらの流行らせた「遊び」は、ひょっとするとパンデミックから世界を救うことになるかもしれないのだ。


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エコで不気味な『ハエ取り紙』 [雑貨]

ハエ取り紙1.jpg 天井や鴨居からぶら下がったアメ色のテープに、ハエや蛾がベタベタとくっついている光景を覚えているのは、昭和生まれでもどのぐらいの世代までなんだろうか?
 昭和34年生まれのぼんくらオヤジは、覚えているどころか、いろいろな思い出がある。単2電池ぐらいの円筒の上部に紙製の輪っかと画ビョウがロウで固定されていて、輪っかの部分を引っ張ると、アメ色の粘着テープが螺旋状に引っぱり出される仕組みだ。これが面白くて、ぼんくらオヤジはよせばいいのにハエ取りテープの交換を買って出るのだった。
 なんで「よせばいいのに」かというと、粘着テープが自分の背丈ほどの長さで、どんなに慎重に扱ったつもりでも、体や周りの家具なんかにベッタリと張り付いちゃうのだ。ちょっとでもどこかにくっつこうものなら、それを剥がそうとすればするほど他のものに張り付いてしまう。新品ならまだしも、使用済みのテープでこれが発生すると目も当てられない。虫の死骸がテープごと体にまとわりついてくるんだよ。ぼんくらオヤジは蛾が死ぬほど嫌いなので、それはそれは悲惨な思いを何度となく味わった。なら、交換なんかやらなきゃいいのに、バカだよね(^^; でもね、リスク覚悟でチャレンジしたくなるほどの快感があったんです。ニチャニチャ~って引き出す時の感触がね、ひひひ。
 このハエ取り紙は危険な薬剤が使われていないので、食品を扱う現場なんかでは相変わらず需要があって、今でも生産されている。形状もテープだけじゃなく、シートやスティックも販売されているようだ。ホームセンターで取り扱っているところもあるので、エコ重視の人はどうぞ!


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イラストといったら即、亜土だった時代 [雑貨]

水森亜土.jpg 水森亜土。昭和40~50年代にファンシー・グッズ(←もうこんな言い方しないか、あはは)といったら、それは水森亜土かサンリオの商品のことだよね。呆れるほど多様性のない時代だったなぁ(笑)。だからこそボクらは共有できるものがあって、初対面であってもすぐに連帯することができるんだから、なにが幸いするかなんてホントに分からないよね。平成生まれ同士が30年後、40年後に、ボクらと同じ調子で子供時代の記憶を楽しめるかっていうと、趣味嗜好がバラバラな分、ムズカしいんじゃない? 
 亜土ちゃん(でなきゃアドたん)は、イラストレーターだけじゃなく、歌手、女優、声優、作家などなど、裾野の広い活動でも有名だけど、ぼんくらオヤジが感じ入っていたのは、子供向けの『ピンポンパン』から『11PM』みたいなアダルト番組までを、キャラ設定を変えずに、まんまで通せちゃうということの不思議だった。今だって歌のお姉さんがグラドルになることはよくあることだけど、歌のお姉さんのまんま脱ぐことはないでしょう(笑)。亜土ちゃんは脱いだりはしなかったけど、あの天真爛漫なキャラのまんまでオトナの話題に突っ込んでいっちゃうんだもん(笑笑笑)。
 当時に比べると露出度は限りなく減っちゃったけど、70才を目前に控えた現在でも、亜土ちゃんは舞台やスタジオで地に足のついた活動を続けている。頑張れ、アドたん♪








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