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ドブ板と板塀 [その他]

ドブ板と板塀1.jpg「ドブ板って何?」
 衆院選の報道番組を観ていたぼんくら息子達が「ドブ板選挙」という言葉を耳にして発した質問だった。ぼんくらオヤジは絶句したね。平成生まれは「ドブ」という言葉を知らないのだ。
「ドブは側溝。ほら、側溝にコンクリートのフタがしてあったり、鉄製のすのこが渡してあったりするだろう。お父さんが子供の頃は木の板でフタがしてあったんだよ。それがドブ板」
 そこでふと思いついて、
「じゃあ板塀って知ってる?」
「イタベイ? イタリアントマトがイタトマみたいな? イタカジの仲間?」
 やっぱり通じない。木の板で作られた塀だと説明したら大反論が。
「ノコギリで切れちゃうような塀じゃ防犯にならないじゃん! 放火されたりしなかったの?」
ドブ板と板塀2.jpg 昔は人様の塀をノコギリでちょん切ったり放火したりする悪い奴はいなかったんだと、苦し紛れの国会答弁状態で幕を引いてしまったけど、ドブ板と板塀の路地が地上から消え去ってしまったのだとイヤでも思い知らされた一時だった。
 ドブ板はたしかに危ないものだった。なにせ木製だから、小さな子供が乗っても踏み抜いてしまうほど傷んだドブ板があちこちにあったよね。幅寄せ駐車をしたクルマがドブ板を突き破って、往来の大人達が総出で引っ張り上げたりする光景もよく見かけたし(笑)。
 悪ガキだったぼんくら少年達はドブ板のロシアン・ルーレットをして遊んでたし。代わる代わるドブ板の上にジャンプするというたわいもない遊びだったけど、不幸にも板を踏み抜いた暁には、ネットリとしたドブ独特の泥にまみれたズックで帰宅して母親に叱られるという罰ゲームが待ち受けていたので、参加するほうは思いっきり真剣だった。バカだよねぇ、ハナっからやんなきゃいいのに^^;
ドブ板と板塀3.jpg 板塀も木製だったからドブ板並みに危ないものがあったよね。道路側にベラぁっと傾いちゃってる塀なんかがザラにあった。ぼんくら少年は一度、友達の家の庭に板塀を乗り越えて侵入しようとして、その家の板塀2面分を跡形もなく倒壊させちゃったことがある。幸運にも池に落ちたので大した怪我はしなかったけど、その家のお爺さんが丹精込めて育てていた盆栽のいくつかを台無しにしてしまって怒られたのなんの。今ならそんな危険な塀を放置していたほうの責任が問われるところなんだけど、当時は他人様の持ち物を壊したことが第一にいけないことだったので、ぼんくら少年は菓子折を持った両親に耳を引っ張られて被害を被った家にお詫びに行った。
 数ヶ月後に、ぼんくら少年が倒壊させた板塀はブロック塀となって再生した。その頃から急速にドブはU字溝となり、ドブ板はコンクリートのフタに取って代わっていった。空き地に土管が出現したのもこの頃だ。下水などのインフラ整備が急ピッチで進んだ万博の頃を境に、ドブ板と板塀の世界はボクらの前から姿を消していった。


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タグ:ドブ板 板塀
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ファジー

♪粋な黒塀、見越しの松に・・・♪
こういうのも一つ一つ説明が要る時代になりました。

先日上京して感じたのですが、古い住宅地を歩くと、大阪より東京の方がより多く板塀が残っているように感じました。
by ファジー (2009-10-15 17:22) 

ujiny

塀には、たいてい黒いコールタール系の塗料が塗ってあって、あの特有の臭いが、なんか好きというか懐かしいというか。下のほうに溜ったタールがつぶすとまだ乾いてなくて、手や服を汚したり。
ドブ板の踏み抜き、、、最悪!
もう、半ズボンだからスネ擦りむいて痛いし臭いの極致で、先日特集してたあの運動靴、たわしで洗うのだけど、カネヨンとかクレンザーだけじゃ臭いが取れなくてね。
by ujiny (2009-10-15 17:51) 

miopapa

私なんかも
”粋な黒塀 みこしの松に・・・”なんて歌も分かるくらい
子供の頃は、板塀にどぶ/側溝?には板の蓋って当たり前で
最近でもTVなんかで東南アジアの方の、いわゆるドブ板を見ると
懐かしさと共に、?年遅れてるんだなぁーーーなんて考えることも ・ ・ ・
by miopapa (2009-10-15 18:15) 

わか

こちたでは、U字溝すらなく、
ドブは幅1メートルくらいの淀んだ川が自宅前に有りました。
よく飛びっこして、失敗し胸の辺りまで潜ってしまったことも。
汚い思い出です。
塀と言えば、最近は塀の無い家が多いです。
周りからよく見えた方が防犯になるからでしょうか。
by わか (2009-10-15 18:25) 

 さよちゅう

  こんばんは・・・ちょっこと来てみました。
  ドブ板・・・?? すいません・・・わかんなかったですww
どうしましょう・・・困ったです。笑。。。笑ってごまかすしかないわねww
板塀・・・・なんだぁ・・・なんだぁ・・・・
  またまた知らなかったんですが・・・困ったですわねぇーー
  これも笑ってごまかすことにします。ww
ドブはわかりましたよぉーー。
  今はドブはあまりないですわ・・・・。
  板塀。。。ブロックの塀ですね・・・今はです。
  はぁ。。。今回も大変勉強させていただけましたわ
  すいませんねぇ・・・ムチですわ
  写真アップされててわかりやすいようになってて助かりました。
  また、いろいろ教えて下さい。
by さよちゅう (2009-10-15 19:39) 

タラオのパパ

今の側溝とコンクリートブロックと違い、
昔の木製のドブ板は土の溝の上に置かれただけの
物が多く、木が腐ってたりずれたりしていて
踏むと板が割れたり、ずれてドブによく足を落としましたよ。

今と違い台所の流しから垂れ流しのドブは黒くドロドロの
水で濁り、ボウフラなんかいっぱいいたね。

落ちたら最期、ちっとやそっとじゃ、匂いが取れないくらい
臭くて臭くてたまらんかったですねぇ(泣)
by タラオのパパ (2009-10-15 19:40) 

Milu

きゃぁ〜
ドブで思い出してしまいました。
幼い頃、学校の帰り道・・・
未だに原因は、判っておりませんが
ドブに落こちちゃったんです。^^*
そして、ドロドロ状態で家に戻りましたわっ!ふっふっふ
母の反応は覚えていませんが・・・
by Milu (2009-10-15 20:55) 

ixion

藤子不二雄の漫画にこの当時の背景画がよく出てくるよね。
原作が描かれたのがこのあたりの時代だっけ?
ドブ板や木塀の朽ち果てた感じが、また貧乏臭くてたまらんです。
高度経済成長の過渡期、私らもまた夢ん中でしたね。
by ixion (2009-10-15 21:07) 

課長

全くこのブログは私の少年時代のロクでもない思い出を甦らせてくれます(笑)。
これも流血なんですが、学校の帰り道、何故かコンクリート塀の上を綱渡りしていた私。約3m進んだ所で足を滑らせ1m下のドブに転落。U字溝に頭をぶつけ出血。今でも縫った跡が約2cmハゲになってます。
by 課長 (2009-10-15 22:23) 

たろす

ドブ板に板塀、記憶にはありますが、私が子供の頃にはコンクリートの蓋にブロック塀か垣根の方が多かったような・・・。
でも学校の帰りにドブにハマったことは何度かありますけど(^_^;)
家のまわりは砂利道でした。

by たろす (2009-10-15 23:13) 

o_hiro

私もコメントした課長さんではありませんが、少年時代は特に
生傷が絶えなかった気がします。意外に大けがはしなかった
ですね。唯一は、やはり堅い場所(寺境内のコンクリートの歩道
角)に頭をぶつけてはげを作ったことかな!
でも、昔はこんなことは普通にありましたね!結構みんなに!!

どぶ板と言えば、神奈川は横須賀にどぶ板通りがありますが、
これはどぶ川に米軍払い下げの鉄板を蓋として置いたことが由来
らしいです。ぼんくらさんがいう木の板の蓋(側溝用)は確かに
ありましたよね!
by o_hiro (2009-10-15 23:21) 

peace9314

今日
側溝に片足落ちました。。泣

靴の中まで
ドロドロでした。。 ドブ板があれば助かったのにTоT~
by peace9314 (2009-10-15 23:22) 

ぼんくらオヤジ

@ファジーさん、仰ることがよく分かります♪ 東京も場所によってはかつての風情がよく残っていて、そういうところは他のどの都市よりも面影をよく伝えていますよね^^
by ぼんくらオヤジ (2009-10-15 23:35) 

ぼんくらオヤジ

@ujinyさん、板塀に塗られたコールタールの臭いは忘れられませんね。30年近く前のことですが、ウズベキスタンの寒村を歩いていたら、やっぱり板塀にタールを塗ったところがあって、時間も場所も全然違うところなのに、子供の時の記憶が甦ってきたんでしょうねぇ、とても懐かしい気持ちになったことがありました。よく服を汚して親に叱られましたけどね、ホントに(笑)

ドブの泥の臭いもしっかり記憶に焼き付いてますよね。ただの泥じゃなくて生活排水の沈殿物ですから。仰る通りで、あれは一度くっつくと何をやっても暫くは取れませんでした。嬉しくない思い出ですね^^;
by ぼんくらオヤジ (2009-10-15 23:41) 

ぼんくらオヤジ

@miopapaさん、ぼんくらは数年前にカトリック系の団体のツアーに参加して一週間ほどマニラ近郊のスラムで寝起きしながらボランティア活動に参加したんですが、その時にやった作業が「ドブ作り」でした。U字溝が設営できればいいのですが、法的には非合法に住みついているところに恒久的な設備を作ることは禁じられているので、苦肉の策でしたが単に地面に溝を切るドブ作りとなったのです。あの時に、たとえドブであっても排水設備があったことでどれだけ自分たちの生活が守られていたのかを痛感しました。排水が流れるようにするためにどんな工夫がなされているのかなんてことも分かって、実りの多い一時でもありましたが^^
by ぼんくらオヤジ (2009-10-15 23:51) 

ぼんくらオヤジ

@わかさん、1メートルの川をジャンプするのは勇気が要ったでしょう(笑) しかも胸まで汚水に浸かる恐れのあるところでとは^^; でも、そういうところだと尚のこと、おかしなスイッチが入ってチャレンジしちゃうんですよね、ははは! 失敗の暁には親御さんに相当な大目玉をくらったんじゃないですか?

たしかに最近の塀は低くなってますね♪ たぶん防犯上の問題でしょう。雰囲気も明るくなるし、そのほうがいいですよね^^
by ぼんくらオヤジ (2009-10-15 23:58) 

ぼんくらオヤジ

@さよちゅうさん、ははは、毎度のことながら困らせちゃってゴメンなさい♪ そっか、ドブはご存知なんだけど、ドブ板はご覧になってないんですね。もしかするとドブよりも先にドブ板が消えちゃったのかもしれませんね。逆に危ないとかいう理由で。これは面白いヒントを頂きました。ちょっと調べてみたいと思います。ありがとうございます!
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:02) 

泉

あ~昭和な光景じゃあ~~

私の住んでた市営住宅の周辺にも
どぶがあって、板がおいてあったけど
いつのまにかなくなっていたよ。

どぶには各家庭の下水が流れ込み
汚かったけど、雨が降ると
川から水が流れ込んだので
よく入って遊んでいたよ。

やっぱり、危険でも汚くても
ぜんぜん平気だった気がする。
by (2009-10-16 00:03) 

ぼんくらオヤジ

@タラオのパパさん、ボウフラがいましたねぇ! 覚えてます。衛生観念なんてまるでなかったから、ガラスビンにドブの水をボウフラごとさらって、部屋に飾ってましたね(スゴいバカ^^;) とにかく汚い水と泥でしたねぇ、赤痢や寄生虫に脅かされたわけです。あとドブさらいですくった泥をドブの脇に積み上げてたじゃないですか。あれも今にして思えば不潔極まりなかったですよね。これが乾いて固くなったのをズックの先で蹴って崩して遊んでたんだから、もう呆れちゃうよなぁ(失笑)
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:11) 

ぼんくらオヤジ

@Miluさん、ドブに落っこっちゃったんですか! 可哀想に^^; よほど考え事に夢中だったのか、そうでなければ、ひとつ前のコメントでタラオのパパさんが仰ってたようにドブのへりが崩れちゃったのかもしれませんね。家に辿り着くまでが辛かったでしょうねぇ!
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:17) 

ぼんくらオヤジ

@ixionさん、以前に土管と空き地のことを調べて記事にしたことがあったんですが、ドブの件が土管と深く関わっている点から、昭和40年代の初めの頃だと考えていいかと思います。http://bonkura-oyaji.blog.so-net.ne.jp/2009-07-16

> 高度経済成長の過渡期、私らもまた夢ん中でしたね。

ああ、いい表現ですね。まったくその通りだと思います。子供も大人も万博を頂点とする祝祭的なひとときを過ごしていたんでしょうねぇ、正に「夢ん中」でした^^
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:26) 

ぼんくらオヤジ

@課長さん、やっぱロクでもない者つながりでロクでもない記憶が甦ってきたんでしょうねぇ(笑笑笑)。どうしてなんでしょうか、あーゆー直線と思しきものか、飛び石状になっているパターンとかって、子供時代はスゴい誘惑なんですよね。だから危険だろうが何だろうが、そこにコンクリート塀の描く線がある限りは辿るっきゃないんですよね(笑) この感覚、分かる人にしか分からないだろうな^^;  
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:34) 

ぼんくらオヤジ

@たろすさん、生け垣も多かったですね! あれは風情がありましたが、通行人に吠えついて回る犬がいたりすると、タマに生け垣の隙間から顔を出してギャンギャン騒いだり、何気なく葉っぱを千切ったところを見つかって叱られたりと、なんかいい記憶が思い出せません。何でだろう^^;

ドブにはまるのは、ほとんどが下校時でしたね。気持ちが散漫になってたのか、友達と遊びながら帰るにあたって、ドブが怪しい魅力を放っていたのか、ひひひ。そういや、路地なんかは結構、砂利道のまんまのところが多かったですよね。雨が降らずにカラカラに乾いてると、歩いただけでスゴい土埃が舞い上がりました。風向きをみて、友達のいる方向にわざわざ土埃を舞い挙げたりしてました^^;
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:45) 

ぼんくらオヤジ

@o_hiroさん、当時の子供たちはホントに生傷が絶えませんでしたし、親も多少の怪我では慌てませんでしたよね。それで万事が丸く治まってたんです。今なら、ちょっと子供が怪我をしただけで、地域を巻き込んでの責任騒動になっちゃいます^^; 私らはいい時に子供時代を過ごせましたね♪

どぶ板通り、懐かしいなぁ! そうしょっちゅう行ったわけじゃないんですが、学生時代に米軍のお祭りがあるときなんかは、基地の行き帰りにブラブラして楽しんでました。今じゃ随分、変わっちゃたんでしょうね^^
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:51) 

ぼんくらオヤジ

@peaceさん、一体どこでそんな目に遭ったんですか^^; ドブ板なら、あったとしても助かる確率は五分五分だったでしょうね(笑) 不幸があった分、ロト6のあたる確率が上がったとみました!! こと金に関する限り、ぼんくらの予想が当たったためしはないんですけどね(爆)
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 00:55) 

ぼんくらオヤジ

@泉さん、ドブに入って水遊びしてたんですか!? げぇ~、ぼんくらよりも強者がいた-! 参りました <(_"_)> いくら川から水が流れ込んだっていったって、ドブはドブでしょ-(笑) まあ、大らかな時代だったことは間違いないですね。そして危険でも汚くても、私らは無事に楽しく乗り切ってこれたのも事実です♪♪♪
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 01:00) 

井上酒店

僕も昭和を生きた人間ですし、どぶ板と言う言葉知っていますが、実際僕が生きた時代には、既にありませんでしたね。まぁ、それがある意味都会っ子って奴ですかね。僕が生まれた時には既に水洗便所でしたしね。まぁ、段々こういう物が言葉だけ残り、実際目にしたことのない世代が多くなり、言葉も生まれては消えていくのかも知れませんね。
by 井上酒店 (2009-10-16 11:49) 

空楽

昔、夏の夕方に溝の水を撒いているおじさんがいませんでしたか?
by 空楽 (2009-10-16 13:40) 

ぼんくらオヤジ

@井上酒店さん、とても大切なことを説明する機会を与えて頂いたようです。お相手が井上酒店さんだからこそお話しできることでもあると思いますので、少々長くなるかもしれませんが、どうかお付き合いください。

 マニラのスラムでボランティア活動をした時(詳しくは上miopapaさんへの返信をご覧ください)に、今私達が当たり前のこととして享受している上下水のシステムが、どういう経緯と先人の闘いによって生まれて来たのかを知らなければならないという気持ちが強くなりました。カンタンに言っちゃえば「過去を知ることで今を知る」ということですよね。
 そうですね、それがどういうことかといいますと、酒がガラス瓶に詰めて売られることに不思議を感じなければそれっきりですし、ガラス瓶が無かった時代にどう売られていたんだろうという疑問も生まれません。もしそこに引っかかったなら、酒屋さんがそんな時代にどういう役割を果たしていたのかとか、庶民の生活の様子が生き生きと理解できるでしょう。
 それをノスタルジーやトリビアの次元で捉えるだけなら話はそこで終わりますね。ですが、もしそこに当時の人々の感じた自由不自由や、改良改善への熱意や闘いを読み取れるならどうでしょうか。そこには彼ら無くしてはあり得なかった「今」が見えてきませんか^^? ぼんくらがこのブログを始めた真意はそこにあります。もちろん、あからさまにこんなことを書けば、読む方の自由を奪う押しつけがましい記事になりますから、いろんな感じ方で楽しんで頂けるように書いているつもりですが、もし上手くいってなかったらゴメンなさい^^; ホントはそんな意図で書いているのです。
 以上、長々とお付き合いを頂きありがとうございました♪ こういう「打ち明け話」をできる井上酒店さんのようなお相手がいてくださることに心から感謝したいと思います。
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 13:40) 

ぼんくらオヤジ

@空楽さん、いたいた! トイレの汲み取りに使うひしゃくの大きなやつでザッパーンとドブの水をブン撒いてましたよね(笑) 水うちのつもりでやってくれてたんでしょうが、熱い地面ですぐに気化して、ドブ独特の異臭が辺りに立ち込めましたねぇ^^; ちっとも爽やかじゃないし、衛生上もマズかったろうなぁ(笑)
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 13:52) 

BlogPetのぼんくら雪之丞

ぼんくらオヤジと、参加しなかったよ。
でも、きょうぼんくら雪之丞は、両親が侵入♪

by BlogPetのぼんくら雪之丞 (2009-10-16 14:50) 

みゆきママちゃん

昔は木の板だったのか~
記憶にない←(一時的に記憶喪失)(*^^*ゞ
by みゆきママちゃん (2009-10-16 16:31) 

ぼんくらオヤジ

@雪之丞の両親か、昼飯用の鶏のササミを持ってったのは^^;
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 16:43) 

ぼんくらオヤジ

@みゆきママさん、ドブ板のほうは、ぼんくらの記憶の中でもかなり古いものに属してるんで、ママさんの記憶になかったとしてもムリはないです^^; 一時的な記憶喪失ならまだ脈があるからいいじゃないっすか♪ じきに恒常的になりますから(笑)
by ぼんくらオヤジ (2009-10-16 16:47) 

牛子

板がある所と無い所があって、春先の雪解けの頃3回続けさまに片足を突っ込んで、祖母にお尻を叩かれた記憶あります。1回突っ込み着替え、2回突っ込み着替え、3回目の着替えで大泣き(^^;
by 牛子 (2009-10-16 18:06) 

ぼんくらオヤジ

@牛子さん、お尻を叩かれたって、そりゃ可哀想でしたね! わざとやったわけじゃないんでしょう? まあ一般論ですが、当時の大人は、あんまり子供の言い分は聞いてくれませんでしたよね。釈明しても「屁理屈いってんじゃないっ」でお終いでした(笑) 
by ぼんくらオヤジ (2009-10-17 16:29) 

ケセパタちゃん

一言では言い表せない位懐かしい~

近所の国鉄官舎や電電公社の社宅も板塀でした。

線路の枕木を側溝の蓋代わりにしていた所が多かったですよ。


by ケセパタちゃん (2009-10-18 08:05) 

ぼんくらオヤジ

@ケセパタちゃんさん、もしかすると本当に懐かしいものは、意識にのぼらないぐらい当たり前に見聞きしていたものなのかもしれませんね^^ バラ線を記事にしたときもそんな気がしました。そういや、官舎は典型的な板塀が多かったですね! 枕木もたしかに側溝にフタとして使われていましたね。場所によっては古電柱のものもありました。どちらも熱いタールに漬け込んだものなので、こういうところにはぴったりだったんでしょう。
by ぼんくらオヤジ (2009-10-18 15:45) 

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