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糸居五郎のオールナイトニッポン [深夜放送]

糸居五郎2.jpg「夜更けの音楽ファンこんばんは。朝方近くの音楽ファンご機嫌いかがですか」
 糸居五郎。この名前を知っている平成生まれはほとんどいないだろう。昭和生まれですら、深夜放送に関心のない人は知らないかもしれない。彼こそは放送界のマエストロだったとぼんくらオヤジは思ってるけどね。
 糸居さんはニッポン放送のアナウンサーで、オールナイトニッポンの初代パーソナリティのひとりだった。ぼんくら少年が彼の放送を聞くようになったのが昭和46年(1971)で、放送期間は昭和42年(1967)10月から昭和56年(1981)6月30日までの14年弱(正確には2年強の降板期間があるので12年だけどね)だったから、3分の2は通しで聴けてたんだなぁ。なんてラッキーだったんだろう!
 独特の語り口調はもちろんだけど、何といっても音楽と語りの絶妙なタイミングが糸居さんの持ち味だった。音楽、語り、ジングル、CMの全てが、まるでひとつのリズムでまとめ上げられた作品であるかのように聞こえてくるのだ。先に流した音楽の余韻を次の音楽のイントロに思わせるほどのリズミカルなつなぎ方と、そのリズムを決して崩さずに的確な間合いで挿入される独特な語り。だからといって音楽を流しっ放しにすることなく、時には短いコメントを曲中にスネイクインさせて緊張感を与えることも忘れない。番組とCMの間には、オールナイトニッポンのジングルだけではなく必要に応じて独自に曲片を放り込んで、CMによる番組の分断を極力リスナーに感じさせないような工夫もしていた。
糸居五郎1.jpg なんでこんな芸当ができたかというと、理由はシンプルで、彼がレコードのセットからジングルやCMの挿入、マイクのスイッチング等をすべてひとりで行っていたらなのだ。糸居さんには叱られるかもしれないけど、ある意味、彼は音楽もCMも含めたすべてを素材にコラージュを作りあげていたともいえるような気がする。ただ、それは自己顕示のためなんかじゃなく、純粋に取り上げる音楽の魅力を引き出すためだったし、第一に、番組を楽しむリスナーのためであったとも思う。その証拠に、彼の番組で取り上げられた曲は、単体で聴くより、番組内で流れていた時のほうがはるかにカッコよかった(笑)。
 エンゲルベルト・フンパーディンクの"The Last Waltz"をBGにボクらに別れを告げたこの偉大なDJは、その3年後に帰らぬ人となった。享年63才だった。糸居さんの功績をたたえて、命日となった12月28日は『ディスクジョッキーの日』とされている。


■糸居五郎さんのオールナイトニッポン最終回の様子 1981年6月30日■



■エンゲルベルト・フンパーディンク 「ザ・ラスト・ワルツ」 1980年■


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かぜ耕士と『たむたむたいむ』 [深夜放送]

 今日は、ぼんくら長男の中学校でゴスペル・コンサートがあった。学校のコンサートなんだからと大して期待もせずに行ったら、『アノインティッド・マス・クワイヤー』という綾戸智恵やDA PUMP、平原綾香、クリスタル・ケイと共演するぐらいの本格的なシンガーズで度肝を抜かれちゃった。頑張ったね、主催のPTA(拍手)!
 コンサート自体も本当に楽しくてよかったんだけど、アンコールで歌ってくれたのが『涙をこえて』だったんだよね。昭和40年代を生きた人なら知らない人はいないぐらいの曲なんだけど、ぼんくらオヤジにとっては、ある人物を思い出すという意味で感慨深い曲なのだった。
かぜ耕士1.gif かぜ耕士。この名前を覚えている人は、ある時期、相当な深夜放送ファンだったはずだ。『涙をこえて』を作詞し、風小路将伍というペンネームで数多くの情報番組やドキュメンタリー番組を手掛ける放送作家であり、昭和48年(1973)から昭和53年(1978)年までニッポン放送の深夜番組『たむたむたいむ』のラジオパーソナリティを務めていた人物だ。
 たむたむたいむは、ぼんくら少年がラジオの深夜放送に夢中になった時期とぴったり重なっていて、恐らくかぜ耕士の担当した期間は初めから終わりまで全部聴いたんじゃないかと思う。事情があって聴けない時はカセットに予約録音したり、友達に録音を頼んだりしてでも聴くほどのファンだった。深夜0時から0時10分までの『あおい君と佐藤クン』と0時30分から1時までの『コッキーポップ』の間の20分枠を使った番組で、飾らず真摯な姿勢でリスナーと向き合うかぜ耕士のトークは、多感な時期の少年の心に深く響くものだった。元祖都市伝説のナンチャッテおじさんの情報発信源としても知られているように『なんでもしゃべろう30秒』でリスナーの生の声を紹介したり、リスナーが自作自演した曲を流す『自作自演の歌』など、当時としては画期的な聴取者参加型の番組でもあった。
 最終的には、身体障害を抱えた人々をめぐっての意見が番組内で論争を呼んで、それに巻き込まれたかぜ耕士が心身ともに疲れ果てて番組を降板するという愛聴者としては辛い結末を迎えちゃうんだけど、それもかぜ耕士の誠実な人柄故のことだったのだと今では理解することができる。最終回なんて泣けて仕方がなかったし、しばらくは思い出しても身を切られるように悲しかったけどね。
かぜ耕士2.jpg 今じゃ番組のパーソナリティとかMCに人格的な影響を受けたなんて言ったら、
「バカか、お前」
 って笑われちゃうよね。でも、ぼんくら少年にとって、かぜ耕士は正にそんな存在だったよ。昭和とは、人を揺り動かす言葉や歌が電波に乗る時代だった。かぜさん、30年目の御礼です。本当にありがとうございました。



お知らせ: 『かぜ耕士のたむたむたいむ Web Version』にリンクするお許しを、かぜ耕士さんから頂くことができました。トップページからブログやウェブ・ラジオなど、現在のかぜさんの多彩な活動に触れることができます。恒久的なリンクは後で貼りますが、取り急ぎ本文にもリンクを掲載させて頂きます(※ウェブ・ラジオを聴くにはパスワードの申請が必要です)。末尾ながら、リンクを快諾してくださいましたかぜ耕士さんに深く御礼を申し上げます。

 『かぜ耕士のたむたむたいむ Web Version』 http://www.din.or.jp/~kkoji/



■たむたむたいむ最終回 前半 (下のリンクからどうぞ♪)■
http://www.youtube.com/watch?v=cLLu6Jqf-B0



■たむたむたいむ最終回 後半 (下のリンクからどうぞ♪)■
http://www.youtube.com/watch?v=4oZScWJ7zsM



■ステージ101による『涙をこえて』 1974年■



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