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さようなら、白熱電球 [テクノロジー]

電球1.jpg 東芝が今年、平成22年をもって電球の生産を終了する。
 国産初の白熱電球の生産を東芝が開始したのは明治23年(1890)。イギリス人のスワンが発明したのが明治11年(1878)、それを追うようにエジソンが翌明治12年(1879)にエジソンベースと呼ばれるネジ式口金の実用的な電球の生産を始めて10年後の快挙だった。
 日本で電灯が点ったお初は明治11年(1878)3月25日、東京虎ノ門工部大学校(現東大工学部)で開催された電信中央局の開業祝賀晩餐会の席上だったんだよ。日本のエジソンと呼ばれる藤岡市助や電気工学のパイオニアだった中野初子(「はつね」と読む。男性です^^;)らがフランス製のアーク等を点灯させて列席した人々を驚かせたんだ。
 もっとも、それから明治20年(1887)にインフラとしての東京電燈(現東京電力)が設立されるまでには10年近くを要したし、当初の電球はアメリカ製やドイツ製の高価なものしかなかったわけで、とても一般家庭に普及するような代物じゃなかった。
電球2.jpg それだけに当時の日本にとって電球の国内生産は国家的な悲願だったわけで、現実に先の藤岡市助は、明治17年(1884)のフィラデルフィア万国電気博覧会に国の特使として派遣されてエジソンに面会し、電球を含む電化製品の国産化の指導を受けているんだよ。帰国して5年後の明治22年(1889)、藤岡は電球の国内生産に向けての研究を始めるんだけど、ガラス管球をどうすれば作れるのか、できた管球内部を真空にするにはどうすればいいのか、フィラメントはどんな材料で作ればいいのか等々、すべてが手探りの開発だった。それでも藤岡は矢継ぎ早に解決策を見出し、翌明治23年(1890)4月には東芝の母体のひとつとなる「白熱舎」を東京の京橋槍屋町に設立し、同年に竹フィラメントの炭素電球12個の製造に成功したんだ。
 以降、生産の拡大と共に電球の単価は大幅に下がり、やがて一般家庭にも普及して、日本の近代化は大きく前進することになる。新美南吉の『おぢいさんのランプ』はこの頃を話題にした物語だね。昭和17年(1942)に「50年ぐらい前の話」となってるから1890年代の後半には、灯油ランプが電球に取って代わっていったことが分かる。
電球3.jpg 白熱電球は、もちろん昭和史を語る上で欠かすことのできないアイテムでもある。戦時中、夜間の空襲時に真っ先に庶民が手を伸ばしたのは電球の根元にあるスイッチだったし、戦後の焼け野原やバラックで、そして闇市を明るく照らしたのも裸電球だった。蛍光灯に変わるまでは、夕暮れ後の帰り道や一家団らんの居間を暖かい光で照らしてくれたのも電球だった。
 じきに姿を消すことになる白熱電球だけど、あの優しい光は過去を照らす照明として、ボクら昭和生まれの心に生き続けることだろう。



■東芝「電球への思い」 白熱電球生産終了のお知らせです■

http://www.youtube.com/watch?v=USTEcoQKmdQ



■ナショナル電球のCM 1970年■

電球
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ファジー

この記事を読んでいて、鳥取の仁風閣に行ったときの驚きを思い出しました。
「明治40年、時の皇太子の行啓の時に、鳥取では初めて街中に電灯が燈った。」と記してありました。
http://fuzzyphoto.blog120.fc2.com/blog-entry-776.html

明治40年なんてほんの100年ほど前のことで、昨日のような話です。当時の市民の驚きはいかばかりであったでしょうか。
by ファジー (2010-02-17 16:26) 

斗夢

戦時中もそうだったのだろうが、敗戦後(私のご幼少の砌)電灯はでっかい家の中に1灯しかありませんでした。すべての部屋に電灯がぶら下がったのが敗戦後しばらくたってからでした。
よく切れましたね^・^。
by 斗夢 (2010-02-17 18:21) 

りみっと

旦那の実家が(もう廃業したけれど)東芝系列の電器屋さんで、光速エスパーの「いらっしゃいませ」のスタンドが立ってました。で、店内の柱に、やはり光速エスパーのイラスト付きの・・・アレって何て言うのかな…電球が切れているかチェックするソケットがあって、お客様が電球を購入されると、一回そこにはめて点くことを確認してから売るのよね。そんな風景がちょっと懐かしいです。

電球って、切れると中でカサコソと音がするのよね。

『おぢいさんのランプ』は小学生の時、これの読書感想文で何かのコンクールに出させられました。優良賞だったか取った記憶があるけれど、何回も清書させられて面倒くさかったです。
by りみっと (2010-02-17 18:41) 

tateichi_m

二つ目の動画、爺さん顔のおうちゃく婆さんのCMがいいですね。
昔、近所のタバコ屋に、大昔は看板娘であったろう、と思われるこんな婆さんがいました。(笑い)
by tateichi_m (2010-02-17 20:19) 

ixion

こうゆうのは無くならないでほしいなあ~。
蛍光灯やLEDの光には無い温かみが、生活の悲喜こもごもを包括してそうでたまらんのですけど。

あ、私信ですがぼんくらオヤジさんコメントありがとうございます。
コメント第1号です。
ブログ開設がこことほぼ同時期なのに・・・

気が向いたらまたお持ちしてます。
by ixion (2010-02-17 21:44) 

みおのとおちゃん

電球の省エネ化ってよく聞くけど数的根拠があまりないですよね。
すでにほとんど蛍光灯だし、現在ある必要とされている場所への設置の範囲なら、
問題ないような気がするのは昭和生まれのエゴなのでしょうか。
使い分けてマメに消すことが省エネだと思うのですが・・・。
by みおのとおちゃん (2010-02-17 22:12) 

たろす

中学生か高校生の頃、勉強机につけていたのはZライトの白熱電球でした。ずっとつけているとかなり熱くなりましたよね。
それよりも前は布の傘で、点けっぱなしにすると火事になりそうで…
そうですか、生産終了ですか。
by たろす (2010-02-17 22:17) 

peace9314

白熱電球さん
長い間 お疲れ様でした(┯_┯)ウルルルルル

また
いつか会えるかな~♪ (Y∪。∪Y)
by peace9314 (2010-02-17 22:39) 

井上酒店

これから先は白熱球の製造は無くなって、蛍光灯か、LED系に確かなるんですよね。最近LED電球に興味津々です。
by 井上酒店 (2010-02-17 23:12) 

ケロリ

なくなってしまうと思うと、
何だか寂しいですね。。。
by ケロリ (2010-02-18 00:47) 

ソフィママ

いつも、ありがとう^^

ブログの調子が悪くて、
記事を更新しなおしたので
せっかくいただいたコメントも、消えてしまい
失礼しました
ごめんなさい
by ソフィママ (2010-02-18 04:12) 

ケセパタちゃん

え~![__がく~]無くなっちゃうの?
じゃぁ代わりに何を使ったらいいの?我が家の
トイレの灯かり。廊下の灯かり。
物置の灯かり。うわ!どうしよう~

by ケセパタちゃん (2010-02-18 07:15) 

ダー

おぉ~懐かしの便所電気♪ (≧∇≦)ブハハハ!

by ダー (2010-02-18 07:50) 

ポテト姫

 初めてお邪魔いたします。ブログ仲間の常連さん~常連さんへのルートよりたどり着きました。(^^;)
 私も、オーナー様と同世代です。そして、この度の、「白熱灯生産終了」の話を聴いた時、ホントにがっかりした者の一人です。
 確かに、電力を使うのかもしれないけど、例えばトイレなど、何度も点けたり消したりする場所では、蛍光灯の方が無駄な電力を使うと聞いたことがあるような...。それに、魚の色が悪く見えるからと、魚屋さんは、昔から白熱灯を使ってきたそうな...。私自身も、白熱灯のホンワリした灯りが大好きです。蛍光灯やLEDでは決して真似できない物だと思う...。
 なんとかならないものでしょうかね...。(ー_ー;)
by ポテト姫 (2010-02-18 08:23) 

ぺんちゃん

昭和の時代を思い出させてくれる物時代とともに無くなってしまうんですね。何だか寂しいです。
by ぺんちゃん (2010-02-18 10:24) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ファジーさん、貴重な情報をありがとうございました! 明治40年とはねぇ^^; 東京電燈設立から20年も経ってのことですから、この辺に「文明開化」の歪んだ実態が見え隠れしてますね。まあ、帝都と大阪・名古屋のインフラ整備を優先せざるを得なかったんでしょうが。ぼんくらも、日本人がちょんまげを切り落として20年で電気のインフラ整備が始まっていたことに驚きを感じていました。今以上の「待ったなし」的状況だったんだなぁと思うと感慨深いですねぇ!
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:14) 

ぼんくらオヤジ

[メール]斗夢さん、戦後の地方インフラの状況がつぶさに分かる貴重なお話をありがとうございました! そうですか、部屋中に電燈が灯ったのは昭和30年以降ということですね。地方のインフラ整備が遅々として進んでいなかった状況が先のファジーさんのお話と響き合って理解できます。「地方格差」なんて言葉が高度経済成長期に盛んに取り沙汰されましたが、これって、もしかすると明治維新から始まってたのかもしれませんね^^;
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:15) 

ぼんくらオヤジ

[メール]りみっとさん、昭和45年のCMにも登場してますが、電球切れのチェックをする様子って、特に子どもの記憶には深く焼き付いているのかもしれませんね。そうです、電球のフィラメントが音を立てて切れちゃいましたよね! あの何ともいえない音も忘れられませんね♪ それから、電球を振ったときに切れたフィラメントが中で奏でるくぐもった音も。感想文って文章力を養ってくれたのかもしれないけど、あれで本嫌いになっちゃった子って結構、多かったんじゃないですかね^^;
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:15) 

ぼんくらオヤジ

[メール]tateichiさん、笑笑笑! やっぱりそう思われましたか^^ 実は、ぼんくらの父があしげく通っていた近所のたばこ屋さんにもこんなお婆さんがいたんですよ。無愛想でねぇ。それでいて結構、こっちのしてる悪さはしっかりと見てたりするんです(笑)。母にとっ捕まって「たばこ屋のばあちゃんに聞いたよ!」なんて調子で、何度チクられたことか^^;;;
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:15) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ixionさん、まったく仰るとおりで、照明には効率とか経済性では片付けられないことがあるんですよね。そこはメーカーもしっかり踏まえておいて欲しいものです。コメント第1号になりましたか、光栄です! そっか、いつもあし@の伝言経由ですもんね♪ そうですね、これからはブログのほうにコメントしましょうか^^ お菓子の話題だと「メタボる~」とか「美味そ~」とか、いきなりボキャ貧になっちゃって、つい読むだけになっちゃうんですよね(笑)
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:16) 

ぼんくらオヤジ

[メール]みおのとおちゃん、そうなんだぁ! エコに関しちゃ、ホントに数的根拠の怪しいものがあるみたいですねぇ^^; 「LEDよ、お前もか」なんてことにならないで欲しいです。仰る通りで、省エネの基本は使いっ放しを避けることですよね!
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:16) 

ぼんくらオヤジ

[メール]たろすさん、Zライトは信じられないぐらい熱くなりましたね! そのせいかどうかは分かりませんが、電球も寿命が早かったような気がします。布の傘も今となっては懐かしいですねぇ^^ 縁にボンボリが付いてるのもありました♪ あとは電球に傘を引っかけるときに、割れるんじゃないかと冷や冷やしたことを覚えています^^;
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:16) 

ぼんくらオヤジ

[メール]peaceさん、ホントにそうですね。ぼんくらも寂しいです。
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:17) 

ぼんくらオヤジ

[メール]井上酒店さん、LEDにシフトするのは確実だと思います。興味があるのは蛍光灯の位置づけですね♪
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:17) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ケロリさん、こうしてパタンパタンと自分の背後で閉じる音が聞こえるのは何とも寂しいもんですねぇ^^;
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:18) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ソフィママさん、そうでしたか。とんでもないです、どうかそんなことを苦になさいませんように。お気の毒としか言いようがありませんが、早く安定した運営ができるといいですねぇ!
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:18) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ケセパタちゃんさん、そーなんですよ! まあ東芝が先陣をきることになるというお話ですが、早晩、他のメーカーも追随することになると思います。切れる度に新型の照明に切り替えていったほうが無難じゃないでしょうか。
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:18) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ダーさんのところは便所しか使ってないんすか! む~、不覚をとった。ぼんくらのところは、便所と脱衣場がまだ白熱電球だー
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:20) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ポテト姫さん、そうなんですか! みおのとおちゃんの情報と一緒ですね。なんかこういうお話を伺っていると、エコの名を借りてメーカーが好き放題してるんじゃないかと疑心暗鬼になってきますねぇ^^; ぼんくらも全く同意見で、白熱電球の暖かみのある光が大好きなもんですから、生産を終了するならするで、それに取って代わる色合いの照明をきっちり提供して欲しいと思います。こんなことまでノスタルジーなんて言葉で片付けてもらっちゃ困りますよね(笑)
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:20) 

ぼんくらオヤジ

[メール]ぺんちゃん、peaceさんやケロリさんも仰ってましたが、ホントに寂しいですよね。『おぢいちゃんのランプ』では最後に、おじいさんが東一を諭してこんなことを言います。「それでも世の中が進歩して自分の商売が役に立たなくなったらすっぱりそいつを捨てて、昔にすがりついたり時代を恨んだりしてはいけないんだ」 たしかにそういう一面もあるでしょう。でもそう思ってたどり着いたのが今なのなら、やはり何かが間違っていたんじゃないかと思うのは、ぼんくらだけでしょうか?
by ぼんくらオヤジ (2010-02-18 18:21) 

セッチー

昭和の明りがひとつ消えてしまうようで
じ~んと淋しさを感じますね。
ほんのりあたたかみのある電球の灯りはセピア色に心のなかで輝き続けるのでしょう。しみじみ。
by セッチー (2010-02-23 09:48) 

ぼんくらオヤジ

[メール]セッチーさん、ぺんちゃんへの返信に続きますが、『おぢいちゃんのランプ』の中で、巳之助(若い頃のおぢいちゃん)がランプ売りの商売をやめるときのシーンが思い浮かびますね。ちょっと長いですが原文を載せます。

 道が西の峠にさしかかるあたりに、半田池という大きな池がある。春のことでいっぱいたたえた水が、月の下で銀盤のようにけぶり光っていた。池の岸にははんの木や柳が、水の中をのぞくようなかっこうで立っていた。
 巳之助は人気のないここを選んで来た。
 さて巳之助はどうするというのだろう。
 巳之助はランプに火をともした。一つともしては、それを池のふちの木の枝に吊した。小さいのも大きいのも、とりまぜて、木にいっぱい吊した。一本の木で吊しきれないと、そのとなりの木に吊した。こうしてとうとうみんなのランプを三本の木に吊した。
 風のない夜で、ランプは一つ一つがしずかにまじろがず、燃え、あたりは昼のように明かるくなった。あかりをしたって寄って来た魚が、水の中にきらりきらりとナイフのように光った。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
と巳之助は一人でいった。しかし立去りかねて、ながいあいだ両手を垂れたままランプの鈴なりになった木を見つめていた。
 ランプ、ランプ、なつかしいランプ。ながの年月なじんで来たランプ。
「わしの、しょうばいのやめ方はこれだ」
 それから巳之助は池のこちら側の往還に来た。まだランプは、向こう側の岸の上にみなともっていた。五十いくつがみなともっていた。そして水の上にも五十いくつの、さかさまのランプがともっていた。立ちどまって巳之助は、そこでもながく見つめていた。
 ランプ、ランプ、なつかしいランプ。
 やがて巳之助はかがんで、足もとから石ころを一つ拾った。そして、いちばん大きくともっているランプに狙いをさだめて、力いっぱい投げた。パリーンと音がして、大きい火がひとつ消えた。
「お前たちの時世はすぎた。世の中は進んだ」
と巳之助はいった。そしてまた一つ石ころを拾った。二番目に大きかったランプが、パリーンと鳴って消えた。
「世の中は進んだ。電気の時世になった」
 三番目のランプを割ったとき、巳之助はなぜか涙がうかんで来て、もうランプに狙いを定めることができなかった。
by ぼんくらオヤジ (2010-03-01 14:16) 

セッチー

ぼんくら兄さん、感動のお話ありがとうございます。
もう、心打たれて、涙出てきた[__もうやだ~]
by セッチー (2010-03-02 00:51) 

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